2 打上げ延期と串本 |
打上げを見に田原へ |
この日は午前中、ロケットの打上げを見て、その後、串本観光の続きで橋杭岩と無量寺へ行く予定。 朝食は提供していない宿なので、前夜にコンビニで買っておいたおにぎりと味噌汁ですませる。 |
打上げ前日は、白浜から新宮までの宿はとりにくく、特に串本は早くから空室ゼロだった。でも、ある日、空室がでているのを発見し、すぐに抑え、旅程も一部変更した。 串本泊にしたので、朝はゆっくりでき、9時40分串本発の臨時列車・紀伊田原行きに乗車。写真は紀伊田原に着いたところ。 |
紀伊田原駅舎。ICOCAを利用したが、列車の最前部と最後尾にある降車用のICOCA改札機にタッチするように、何度も放送が行われていた。 普段はがらがらだろうが、この日は大都市圏の通勤ラッシュなみの混雑だ。このエリア一帯で、自動車の道路わき駐停車禁止になっているので。 |
公式の見学会場になっている田原海水浴場にやってきた。会場に入れないのは承知していたが、公道歩行を規制されているとは知らなかった。 公式会場のチケットを持たない人は、過疎上外側の道路で見ることもできない。やむを得ず、会場入口手前の歩道で見学する。 |
公式見学会場には大型画面が用意され、打上げ基地からの中継が行われていた。自分のいた場所からは見えないのだが、カメラのズームを最大にして、撮影できた。 当初11時1分と伝えられていたが、その時間になっても上がらず。やがて11時17分に延期になったが、打ち上がらず。もうこの日は打上げなしと判断した人たちが帰り始めたので、自分も駅に向かった。 |
紀伊田原発11時35分の臨時列車・串本行きに間に合った。 |
橋杭岩と無量寺 |
紀伊姫で下車。これから橋杭岩へ行くのだが、紀伊姫からは1km、串本からは2kmほどのところにあるため。 橋杭岩まで、歩道のない路側帯だけの道路を長く歩かねばならず、つかれる。 |
波打ち際に並ぶ岩の列が橋杭岩。 近くまで歩いていく。橋杭岩より陸地側に、岩がごろごしている。津波で運ばれたもので、津波岩とよばれる。 |
昼食を道の駅でとろうと考えていたが、ここの道の駅はレストランがなかった。それで、道の駅から道路の向かいにある「はし杭」で昼食をとる。 |
カレーうどんとめはりずし。 めはりずしは、高菜のおにぎりを高菜でくるんだもの。すし飯ではなく普通のご飯で、すしというよりはおにぎりに近い。 |
再び道の駅に行き、2階の展望室から橋杭岩を見た。大きな岩が一列に並んでいることがわかる。 |
道の駅できんかんソフトをいただく。 |
いったん宿のそばも通って、無量寺へ。 もとは別のところにあったっが1707年の地震のさい、津波で流出。1787年に再建された。本堂などはそのときのもの。 行った目的は、応挙芦雪館を見るため。円山応挙と弟子の長澤芦雪の水墨画が多数展示されている。応挙が障壁画を依頼されたが、芦雪を名代として派遣。芦雪は寺に滞在して虎・龍図を完成させた。ほかに伊藤若冲のものなどもある。 境内にある応挙芦雪館で見学。 |
有名な虎・龍図はレプリカが公開されていて、本物は収蔵庫にあるのだが、収蔵庫も公開されていた。 本館のほうから連絡があると、分厚い扉が開かれる。作品保護のため、マスクを渡され着用。また、雨天時は収蔵庫は公開されない。本館、収蔵庫とも撮影禁止。 不便な地に超一級の障壁画があることにびっくりした、 |
夕 食 |
宿には16時30分に戻った。部屋の風呂と別に、館外の別棟に天然温泉があるので入浴。 しばらく休憩のあと、前日はカツオが売り切れで閉まっていた「萬口」へ。 |
店内。すいているようにみえるが、客のいない方向を撮影したためで、小上がりなどにグループ客がいた。 |
冷酒の「黒牛」。 |
製造は海南市の「名手酒造」。 |
カツオコースを注文。 カツオのたたき。 |
カツオ塩焼き。 |
カツオ茶漬け。 まず、カツオ丼でいただき、次にカツオ茶漬けでいただく。最後にカツオ入りの卵かけご飯。 美味しかったのだが、最初に全部まとめて運ばれてきたのが難。お茶漬けが冷めると美味しくないので、急いで食べた。30分ほどで食べた。 |
|