5   石 垣 の 博 物 館 

 

    7時からの朝食後、1時間ほど部屋で休憩。この日は、島には渡らず、石垣市内のミュージアムを見て回る。どこも開館は9時なので、8時45分ごろにチェックアウト。そのさい、荷物を預けて出た。

  最初の訪問は、八重山平和祈念館。戦争ミュージアムだが、特に、戦争マラリアについての展示を中心にしている博物館だ。

  西表島や石垣島北部はかつて、マラリア発生地であった。1945年3月、波照間島などから島民が西表島に強制疎開で退去させられた。6月には石垣島南部から北部への強制疎開もおこなわれた。この結果、多くのマラリア患者が発生し、薬品もなく、患者の死亡率は高かった。8月には島民の帰島がおこなわれたが、マラリア患者はなおも増加。マラリア発生は翌年末まで続いた。これが、戦争マラリアである。

  1989年以後、遺族より補償を求める動きがでるが、軍命の有無がはっきりしないと、交渉は難航した。1993年に沖縄開発庁予算に「犠牲者慰藉事業」が組み込まれた。その 事業の一環で、1999年に八重山平和祈念館がつくられた。

  9時の入場開始後、すぐに入場したが、展示スペースはそう広くない割には長く見学した。ビデオ視聴などで時間がかかったからだ。

 

  平和祈念館から道路をはさんで向かい合うようにして、具志堅用高記念館がある。

  具志堅用高は、1976年にWBA世界ジュニアフライ級王座に着き、以後約3年間、13階にわたり防衛と、日本歴代の世界チャンピオンの中でも、最多連続防衛記録を持つ。

  2階が記念館で、館内の展示ケースには、トロフィーが林立している。リングも置かれている。1階は館独自の土産物を売っている。
 

 
  さらに、ホテル近くを通り過ぎて、石垣市立八重山博物館へ。

  石垣の民俗資料と古代遺跡からの発掘資料などを展示。

  ここは大急ぎで見学して、11時すぎにホテルに戻った。

  すぐにバスターミナルに行き、路線バスで空港へ。

 

  12時25分発の那覇行きに搭乗。那覇からは14時5分発の伊丹行きに搭乗。

  20分ほど那覇出発が遅れた。伊丹着も15分ほど遅れた。

  1泊2日での沖縄旅行ははじめてだったが、うまく計画をたてることで、じゅうぶん楽しめた。

  

 

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