2   グ ス ク め ぐ り

 

   出発前におにぎりの朝食サービスをいただく。普段はない一品があった。

 この日は、1月11日で鏡開き。お正月の間ずっと置かれててきた鏡餅を割って食べる日だ。そのため、特別にぜんざい(沖縄風ぜんざいではなく普通のぜんざい)がサービスされていた。

  食事後、すぐに出発。ゆいレールで那覇バスターミナルのある旭橋に向かった。東横インは旭橋にもあるが、予約時には満室だったのだ。

 沖縄でアジアを感じる瞬間は2つある。1つは公設市場へ行ったときだが、もう1つはこのバスターミナルにきたときだ。

 市場の方は誰でもそう思うだろう。一方、このバスターミナルは自分がそう思ってるだけかもしれない。

 このバスターミナルは結構な大きさがあって、沖縄本島のバスの大半はここを発着点にしている。片道2時間くらいかかる系統も多い。そんな点や三角形をした外観などがそう思わせているのだろう。

 もっとも、物売りがいない点といつも閑散としている点は違うが、これで物売りがいて、人があふれていたらまさにアジアのバスターミナルだ。

 やがてやってきた28系統の那覇バス、読谷(よみたん)行きに乗車。

 沖縄本島のバスは、琉球バス、沖縄バス、那覇バス、東陽バスの4社で運行しているのだが、この日、意識していなかったにもかかわらず、4社とも乗車することができた。

 嘉手納あたりまでは、ずっと街並みが続いている。

 ようやく、街並みがとだえて、道路の一方の側が草原や森のようになってきたなぁと思ったが、よく見ると、フェンスがあって、米軍基地だった。基地っても、大部分は、建物がなく自然のまま残された訓練場みたいなものだとはじめて知った。

 1時間ほど乗車して、終点の少し手前の高志保入口で下車。読谷村の中心部のようだ。ここから徒歩で、座喜味城に向かう。

城に至るまでの間、ところどころに墓地があった。離島ではよく見かけた、大きな墓だが、本島でもあるんだなって思った。
 

 30分ほど歩いて座喜味城が見えてきた。画像では、そう高くないように見えるが、撮影地点がすでに丘の上のような場所なので、バスを降りた地点からではかなり上がっている。 

 

 

  

 城跡の最上部から、城の門を眺めたもの。石垣だけが残っているが、本土でみる石垣とはかなり違っている。
最上部から読谷村と東シナ海をのぞむ。
 
 読谷バスターミナルまで30分ほど歩く。つぎは、62系統で、琉球バス。

 

 出発まで少し時間があったので、ターミナル近くの海岸へ。伊江島までよく見えた。
 
 20分ほどの乗車で、「道の駅・かでな」に到着。バス停の真ん前にあって便利だ。

 ここの4階が展望台になっていて、嘉手納基地を見渡すことができる。

 でも、この日は日曜日で、訓練も休みのようで30分ほどの滞在時間中に飛行機の離発着は一機もなかった。

 かなり離れたところに輸送機と思われる米軍機が駐機していた。

 基地を取り囲んで、高い塀があるので、地面からは中をうかがうことはできない。

 そのため、道の駅ができる以前は、塀の側にある塀の高さまで上がれるところから基地を見た。

 サンパウロの丘とか安保の丘といい、道の駅のそばにある。だが、道の駅ができたあとは、こちらのほうが高いので、見学は道の駅からするのが普通になっている。

 30分後のバスでコザに向かった。途中から、道路の両側が基地になって、フェンスで挟まれた中をバスが通る。

 基地っても、子供の遊具があったりしている。米軍用地のなかで、一応の生活ができりうようになっていることをうかがわせる。

 かつてのコザ市は、全国唯一のカタカナの市で有名だったが、いつの間にか、沖縄市と何の特徴もない市になてしまった。

 とはいえ、現地では、コザという地名はしっかり根付いているようだった。

 
 コザの繁華街のひとつ、パークアベニュー。緑を多くして、見た目もきれいだ。でも、人通りがさっぱりだ。売りに出されている店舗も多く、寂れた繁華街のイメージだ。
 そんな中で、客が多く入っていたお店が、チャーリー多幸寿。タコスの草分けのような店で、ここで昼食をとるためやってきた。

 店内は米国風の雰囲気を出している。コザの古い店は、米国人とのかかわりがあり、こういう店が多いのかも。
 
 チャーリーセットを注文。タコス2個とタコライス、それにソフトドリンクがついているセットだ。

 タコスはかなり固めに焼き上げているのが特徴だ。肉をからめているサルサソースは辛口。

 タコライスは今や沖縄を代表するメニューになっているが、その発祥地が、ここチャーリー多幸寿だという。

 自分も沖縄通いをする前は、タコ飯との区別がつかず、タコスの具が載っているご飯とは思っていなかった。

 このあと、アーケードを歩いたが、開いている店が数える程度。歩いている人もほとんどいない。寂れ切っているような感じだ。

 嘉手納基地のゲートからのびているコザゲート通りに出た。米国人向けの店が並び、日本で一番、英語が氾濫する通りに思った。でも、ここも閉まっている店が多い。
 

 コザゲート通りを西に向かうと、やがて基地の第3ゲートに行きつく。

 

 

 

 

 
 だが、ゲートのそばまで行くことはできない。左のような看板がゲートの少し手前に置かれているからだ。ゲートの手前に沖縄自動車道が通っているが、その下ににあったので、自動車道が境界になっているようだ。
 

 そのあと郷土博物館に行った。1970年にあったコザ騒動についての展示などに見入った。

 次に向かうのは勝連城。27系統に乗車。今度は沖縄バスだった。
 

 沖縄のバスでは12月からクーラーが休止されている。燃料費高騰のためだそうだ。

 この日は、寒い日だったので、冷房どころか暖房がなければ耐えられなかったが、昨年の同時期に訪問したときは25度をこえて汗ばんでいた。

 昨年は「冷房の休止」と書かれていたのだが、今年は表現が変わっていた。きっと「暖房の休止」と読み違えた人が多かったからだろう。自分も見間違えたし。
 

 西原バス停で下車。10分ほどで麓に到着した。麓から見ると、はるか高いところの城壁の上に人が立っていて、えっつ、あそこまで上るの?って感じだった。

 

  

 とはいえ、10分ほどでなんとか坂を上がり終え、城内に到達。建物の柱の跡も残されていた。
 
 太平洋の眺めは雄大だった。心地よい風も吹いていて、しばらく休憩。

 海を隔てて見える山並みのどこかに、次に行く中城(なかぐすく)城があるはずなのだが、城は確認できなかった。

 バス停を下りてすぐ、帰りの時刻を確認。これはいつもすることだ。で、帰りにはその時刻に合わせてバス停に向かった。ところが、目の前をバスが去っていった。あら、前のが遅れていたのか、それとも早発かと思った。

 停留所の時刻表をもう一度見て、理由がわかった。同じ系統を2つのバス会社が運行していたのだ。そして、時刻表は会社別にはってあるから、はじめは気付かなかったのだ。(バスターミナルの場合は、4社あわせて表示してあり、どのバス会社かはわからない。)

 今度は中城城に向かうが、乗り換えが必要だ。コザで下車し、30系統に乗車。今度は東陽バスだった。

 久場崎で下車。ここの公民館脇の道を山手に歩いて行った。
 

 上り道30分。かなりきつい。自動車道で舗装されていて、車は多くなく、かといって全然走っていないわけでもなく、適度な通行量だったので、まぁ歩けた。

 行きついたのは中城城。この日に訪問した3つの城跡の中で、ここが一番高い位置にあって上り甲斐があった。そして城跡は、3つの中で最大の規模だ。首里城に匹敵するくらいじゃないだろうか。

 

 本土の城でいえば本丸にあたる部分の入口。城壁はミニ万里の長城って感じで、格好も中国の影響を受けているような感じだ。

 

 

 

 本丸にあたる部分の内部。
 

 太平洋の眺めは素晴らしかった。この海岸から歩いて登ってきたのだと思うと、達成感を感じて、しばらく眺めに見入っていた。

 撮影している自分の背後の方角には、さきほど上がった勝連城も見えていた。

 この城は大きかったので、一通り見学するのに30分ほど要した。

 見おわったあとは、普天間の方に下山する。下山っても舗装した道路で、適度に車が走っているのだが。

 普天間方面に少し下ったところに中村家があるので、行ってみた。

 中村家は地頭代をつとめた豪農の屋敷で300年ほど前の建築だ。沖縄の伝統的な住居建築の特徴を残している。

 ここを見た後、ひたすら普天間方面に歩いて行った。上ってきた海寄りの道に比べて緩やかな道だが、距離が長い。45分くらい歩いて、普天間のバス停にたどりついたときには日が沈んでいた。

 山道をおりきったところに、キャンプ・フォスターのゲートがあった。

 ここは、沖縄駐留の海兵隊の司令部が置かれているところだ。自分が歩く道路に沿ってフェンスが張りめぐらされていたのは、嘉手納基地と同じだ。

 ちょうど、スクールバスがゲートを出るところだった。どこへ向うのだろうか。

 普天間まであと少しの地点にて。右手の丘などはフェンスの中だ。

 このように道路の片側が米軍用地になっているとおろはとても多い。そして、片側は市街地、米軍用地は自然のまま残されているのが異様な感じを受けた。

 普天間バス停にて、この日、乗車した最終ランナーのバス。

 那覇まで17kmほどの地点であるが、1時間くらいかかった。

 国際通りの牧志でバスを下車。19時30分ごろだった。12時間かけて、本島中部のグスクめぐりが完結。

 このあと夕食をとろうと、地元客向けの店を何軒かあたったが、どこもお休み。日曜日は休みの店が多いようだ。

 国際通りには観光客向けの飲食店がいろいろとあり、どこかに入ろうかと思ったが、どこも満員に近いような感じだった。

 それで、ちょっと横道を入ったところにある焼肉バイキングの店に入って、肉をたらふく食べた。沖縄に来て、わざわざ食べるようなものではないが、ほかに適当な店がなか ったので、仕方がない。

 21時にホテルに戻り、ネットをしながら、翌日の予定を考えたりして、この日は終了。

 

 

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