2021.4    那  覇

 

 

1日目



奄美旅行は那覇からスタートのつもりだった
 上左   奄美旅行のスタートは那覇から。那覇で2泊のあと与論に向かう予定だった。伊丹空港のサクララウンジで搭乗前のひととき。窓からは搭乗予定の国際線機材のB777が見える。

 上右   朝ビールをいただく。

 左   8時55分発那覇行きの搭乗開始。クラスJを確保しているが、国際線ビジネスクラスの席をそのまま利用だ。
 上左   自席。久しぶりの国際線ビジネスクラスの席に満足。この席にクラスJ料金1000円追加で乗れるのは破格だと思うが、購入時には株優料金で残席があり、なんなくゲットした。搭乗時はクラスJは満席だった。

 上右   飲物サービスはコーヒーにした。

 左   WiFiは国際線の設備を国内線用に改修したようだが、うまくマッチしておらず、ストレスは大きく、利用に値しないものだった。
 1時間弱、席をフルフラットにして休んだ。出発前夜は旅行準備でほとんど寝ていないので、助かった。

 いったん沖縄本島の最南端の喜屋武(きゃん)岬をぐるっと回るのがよく見えた。このまま高度を下げて那覇空港着陸。

 下左   那覇空港はいつきても明るく、花も多くて気持ちいい。

 下右   ゆいレール乗車。ICOCAなどのICカードが使えるようになってからは初めての乗車。この時は、翌日、コザへバスで向かうつもりだったのでOKICAにチャージして利用。バスを使う場合はOKICA以外のカードは使えないので。
 
 上左   県庁前で下車し、向かったのは「みかど」。本来は24時間営業なのだが、コロナ対策で10時から20時までの短縮営業になっていた。

 上右   店内。写真ではわかりにくいがアクリル板が設置されていた。

 左  「ちゃんぽん」をいただいた。長崎の「ちゃんぽん」は麺なのだが、沖縄の「ちゃんぽん」は、ご飯の上に、たまねぎ、にんじん、もやし、コンビーフ、それに上にのせられている緑のほうれんそうなどを卵でとじてかけたもの。皿にのっているので、丼ではないは、丼風の料理だ。



首里城火災跡と第32軍司令部地下壕



 上左   美栄橋からゆいレールに乗って首里で下車。2019年の首里城正殿の火災跡が見られるということで訪問。

 上右   さんぴん茶。沖縄独特の飲料。ジャスミン茶に似ているが、少し苦みがある。ペットボトル入りでは、この沖縄ポッカ製のほか沖縄伊藤園製をよく見かけるが、もっといろいろある。

 左   首里城の城壁の下を10分ほど歩く。左手の城壁の上が首里城跡。いったん正面玄関にあたる守礼門へ。
 途中、階段を下りたところに第32軍司令部跡があるので見に行く。

 第32軍は戦争末期の1944年に設置され、沖縄の防衛にあたった。司令部は首里城の下(真下ではなく少しはずれて、守礼門の下あたりを中心にして)の地下壕に設けられた。

 写真は、その案内板。首里城は約20年前に訪問しているが、第32軍の司令部跡のこの案内板も見に来ている。
 案内板のすぐそばにあった壕の入口?。ここが壕の入口だと、普通は思うだろう。

 実は、首里城跡を見た後に立寄ったとこ第32軍司令部壕の公開を求めているグループの展示を見ていたら、声をかけられ、実は、ここは入口じゃないといわれた。見張り所?だという。(詳しくはあとで)
 首里駅から歩いてくると、守礼門まで行かなくても首里城に入れるのだが、いったん正面玄関と言える守礼門を見てから入場。

 第32軍の地下壕は、この門の向こう側当たりの地下に広がっているようだ。
 
 このあと3つの門を通って、かつて正殿があった場所に至る。途中で、入場券を買うのだが、以前は800円ほどだったが、正殿を見られないこともあって400円に値下げされていた。

 目の前には正殿、左右にも建物があって、その中庭になっていたところだが、完全に焼失していた。
 正殿のあと。建物を感じさせるのは、一定の間隔で整然と並んでいる柱の跡。

 建っているいる建物は展示や管理のために造られたもの。
 建物内に展示されている、正殿のあった場所の地下にある昔の(2019年に焼失したものよりもっと前の)正殿の土台。

 首里城が世界遺産であるのは、この土台の部分。それで保護のために建物外から覗くようになっている。燃える前の正殿は世界遺産ではなかったが、正殿の内部に、土台を覗けるように、床が強化ガラス板になっている部分があった。
 正殿のところでは調査も行われていたが、焼失した瓦をきれいにするボランティアの募集が行われていた。30分程度で終わるようで迷ったのだが、あとの予定があるのでやめておいた。

 写真は、有料区域のなかで最も高い東のアザナと呼ばれるところからの眺め。ゆいレールが見えた。
 有料区域を見終え、無料区域にある「京の内」に行った。亜熱帯植物が生い茂る自然植物園のようなところだった。ここでは「京」とは、霊の力を意味して、「京の内」とは霊の力がある聖域、という意味のようだ。
 無料区域の中にもかつての見張り場所であったような展望台があって、西のアザナと呼ばれている。

 こちらは南や西がよく見え、那覇市街や那覇港が見えた。
 首里城の見学を終え、守礼門の近くにある首里杜館(すいむいかん)に入った。カフェなどがあるので、休憩しようと思ったからだ。

 入るとすぐに目に入ったのが、第32軍司令部地下壕の模型。赤い部分が首里城の建物(焼失前)。模型や説明を見ていたら、声をかけられた。この壕の公開を求めているグループの人だった。
 
 その方から、先ほど見た第32軍の壕の入口らしきものは入口じゃなく見張り所であることや、現存する入口は別の所に残っていると聞いた。大変驚いた。

 そして現存する壕の入口に案内しようかと言われ案内してもらった。首里杜館からは10分ほど歩いたところで、さらに急な斜面を下ったところだった。ここを見ることができてよかった。一人だと絶対にわからない場所だった。
てだこ浦西、公設市場、「ハイウェイ食堂」
 
 上左   ゆいレールの儀保駅へ。

 上右   ゆいレールは以前は首里が終点だったが、てだこ浦西まで延長されている。てだこ浦西駅のホームにて。

 左   てだこ浦西駅。駅のすぐ近辺には民家も商業施設も公共施設もない。あるのは、写真の向こう側に見える大きな駐車場くらい。パークアンドライドで、駅まで車でやってきて、ゆいレールに乗換て通勤するスタイルが推奨されているのかな。
 
 ゆいレールは駅の先は電車が留置される線路があるだけだ。

 でも、計画ではこの先、琉球大学の方面へ延びる予定だ。琉球大学や付属小中の生徒、それに琉大は医学部があるので病院への通院客などは、今は那覇などからのバスを利用しているが、かなり時間がかかるので延長が望まれる。
 
 那覇に戻る。牧志でゆいレールを下車し、国際通りを少し歩き、市場中央通りのアーケードに入る。

 向かったのは牧志公設市場。すでに工事に入って、移転してから1年半ほどたつ。以前の市場があった場所は囲いで覆われていた。
 
 100mほど離れたところに仮設の市場があった。外観は、かつての市場の雰囲気があまり残されていない感じだ。
 仮設の市場内の様子。かつての市場と同じような配列になっている。2階が食堂になっているのも以前と同じ。

 残念ながら、以前あった”ごちゃごちゃ感””アジア的雰囲気”は感じなくなっていた。
 
 普段はホテルで休憩してから夕食に出かけるのが旅先での標準パターンだが、営業時間が短縮されているようなので、夕食を食べてからホテルに向かうことにした。

 向かったのは「ハイウェイ食堂」。ここも24Hと書いてあるが、20時閉店だった。ステーキが旨い!との広告を見て、ステーキをいただくことにした。
 
 食券の券売機はボタンの数が半端ない。何にするか決めていかないと選びにくい。

 ステーキ200g、1200円にしたが、サーロインかリブかは告げる必要がある。他のメニューも多くが2種類が共用。
 
 
 上左   19時ごろなので、本来なら客が多い時間帯なのだろうが、20時閉店でもう閉店準備の雰囲気。

 上右   ビールはオリオン生。

 左   まず野菜、スープが運ばれてきたので、先にいただく。
 
 ここは大衆食堂的な店だが、ステーキを出しているのが沖縄らしい。」そして、ジャッキーなどステーキ専門店には及ばないとしても、そこそこ美味しい。

 このほか、ご飯も運ばれてきたが、今回はパスした。このあと、コンビニに立寄って、ポーク玉子おにぎりを買って、ホテルで食べるため。
 
 
 今回泊まるのは、コンフォートホテル那覇県庁前。那覇では東横インが多かったのだが、今回は初めて泊まるホテルだ。2泊予約していた。このときはまさか1泊キャンセルすることになるとは思っていなかった。

 
 
 東横インよりは広く、テーブルが大きいのもよい。また利用してもよいホテルだ。
 
 コンビニで買ってきたポーク玉子をいただく。

 翌日はコザ(沖縄市)に行く予定なので、バスの時刻やコザのみどころなどを調べてすごした。
2日目

急きょ一時帰宅
 8時すぎに出発してコザ方面へむかうつもりだ。

 朝食はビュッフェで、ミニサイズの沖縄そばがあったのが特徴。ご当地のメニューがあるとうれしくなる。
 
 プレートの左上に部分が茶色っぽくなっているが、カレー炒飯で、カレーをかけられるようになっていた。沖縄そばとカレー炒飯以外は普通の洋朝食のメニュー。
 
 朝食会場。わかりにくいが、全員が窓の方向をむいて座るようになっている。

 朝食後、部屋でコザの街中でどのように回るか考えていた。

 そろそろコザに向かうバスに乗るためホテルを出ようと思っていたとき、電話がなった。
 
 友の訃報を知らせる電話だった。現役時代の仕事を通じての友だ。年齢的には数年先輩だが、友としてつきあってきた。先輩と言っても、高齢化著しい今ではまだまだ若く、平均寿命にも達せずに帰らぬ人になった。

 この日、夕方に通夜、翌日午前に葬儀ということだ。電話を受けながら、頭の中で考えていた。昼の便で伊丹に戻れば、通夜に出られる。そして翌朝の朝便で那覇に戻れば、昼ごろの与論便に予定通り乗れると。

 通夜に出てわかったのだが、通夜も葬儀も近親者だけの家族葬だったのだが、近親者以外に親しい数人だけ特別に連絡をいただいたようなのだ。この計らいと日程上の偶然で友を見送ることができた。奄美旅行で離島に滞在中なら、せっかく連絡してもらっても、見送るのは無理なので。

 電話を切ってすぐに、JALのHPで那覇から伊丹の往復を予約。当日昼に伊丹へ。翌日の朝、那覇へ。当日なのであまり利用しない往復割引だ。驚いたのは、当日の伊丹行きも、翌日朝の那覇行きも国際線機材のクラスJに空席があった。難なく、国際線ビジネスクラスのクラスJゲット。

 フロントで当日の予約をキャンセルしてチェックアウト。この日の予約は全額をキャンセル料としてとられて仕方ないと思っていたのだが、思わずキャンセル料不要というとこと申し訳ないくらいだった。
 
 ホテルを出て1時間後には、那覇空港のサクララウンジにいた。伊丹行きを待つ。この日は昼食は喉を通りそうにもなく、ビールをいただいてすませた。

 下左   12時10分発伊丹行きに搭乗。

 下右   まさかの伊丹往復。この便も、翌朝に那覇に戻る便も国際線機材で、どちらもビジネスクラスを利用のクラスJ。3日間連続で国際線機材のクラスJになった。
 
 
 
 上左   WiFiは接続できたけれども、はやり遅すぎて使い物にならなかった。

 上右   飲物はコーヒーをいただいた。

 左   フルフラットにして1時間弱、横になった。

 伊丹到着後、一時帰宅し、通夜に出て、夜は自宅泊。


この日の翌日からの奄美旅行
 
 

 

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