10   ナ ス カ

 

  バスは7時30分にナスカのバスターミナルに到着。ナスカでは各社のバスターミナルが分かれていて、各社ごとのターミナルは小さい。それでも、オルメーニョ社は鉄筋製の立派なターミナルだった。昼食時に見た他社のターミナルは小屋のような建物の前の道路にバスが止まっているだけのものだった。

  ナスカで下車したのは、十数名。ほとんど全員が欧米系の観光客らしい人たち。残りの人たちはリマまで行くようだ。さて、自分には出迎えがあるはずと聞いていたのだが、、、いました。いました。名前を書いたカードを持った人が、、

  さて、どこへ連れて行かれるのだろうと思っていたら、何とバスターミナルとは道路一本へだてた安宿に案内された。そこの入口を入ったところの、ロビーで待つように言われた。そして、当初の予定では、ナスカのセスナ遊覧のあとミラドールに行くことになっていたが、先にミラドールに行きその後にセスナ遊覧だという。

  安宿のトイレを使わせてもらったが、汚れている。ここはトイレが共同の宿のようであり、宿泊客に混じっての使用。

  バスを降りる直前に、下車客にだけ朝食が配られていた。リマまでの客にはナスカ出発後に配られるのだろう。で、ロビーにてその朝食を食べた。

  8時ごろ宿の前に車が止まってドライバーがロビーへやってきて何か言っている。どうも、自分の迎えのようだ。車にはすでに、アメリカ人夫婦が乗車していた。ドライバーは本職は別にあり、アルバイトで観光用の車を運転しているとのこと。アメリカ人夫婦はここから少し離れたホテルに泊っているらしい。

  ナオツールを通じて頼んでいたのはミラドールの観光だったが、ミラドールっても自分は展望塔だけと思っていたら、実は、自然の丘の上からの展望もコースに含まれていた。それに、ナスカに住み着いてこの地の調査をしたマリア・ライヘの博物館にも行くとのこと。

  車はすぐにナスカの町を抜け、パンアメリカン・ハイウェーを走り、20分ほどで、まず自然の丘のミラドールに到着。

  まずは、丘の麓から伸びている線を見た。幅20cmくらいの線は、地上の小石をきれいに取り去って、10cmくらい地面を掘って描かれている。ナスカ平原の地上絵の正体は、実はこうして書かれた線だったのだ。ナスカの地上絵はさまざまな絵柄のものが有名だが、実際には絵柄のほかに無数の直線が平原に描かれている。この直線は長いものになると数kmまっすぐに描かれている。

  上の画像の一番下部にはやや大きめの石がある。ここは直線の端なのだ。そして、この石を取ったその下には穴があって、測量が行われたことを示しているという。でも、石を勝手に動かすことは禁じられているので、穴を見ることはできなかった。

  

  少し丘を上って、線を見ると、2本の線が延々と平行に描かれていることがわかる。まっすぐな平行線を何kmも描くのは難しいだろうに、、、ナスカ地上絵が描かれたのは、インカ文明よりも古く、紀元前後のことらしい。また目的は、今もはっきりとしていない。

  丘の上からの展望。無数の線が見える。なかには幅が数mのものもある。また、この丘の麓でいったん線が終わり、丘の反対側の麓から線が再び始まっているケースもあった。丘の部分は線がないが、麓の両側にある直線は一直線上にあるのだ。これなど、かなりの測量技術がないとできない技であろう。

  続いて、展望塔のほうのミラドールへ。丘からは2,3km離れているが、車では5分ほど。塔は20mくらいの高さで平原の中にぽつんと立っている。道路はパンアメリカン・ハイウェイ。ナスカ地上絵の一部を壊す形で走っている。これは、地上絵の調査がまだ進まないうちに道路が建設さらたかららしい。

  塔から見たパンアメリカン・ハイウェイ。この画像ではよくわからないが、道路によって線が切断されているところがある。

  塔から見えた地上絵。これは、木。だが、近くで見ると絵が大きすぎて、全体を把握するのが難しい。何とか、手前が木の枝、右上あたりが木の根にあたる部分だとわかる。

  続いて、マリア・ライヘ博物館へ。パンアメリカン・ハイウェイをリマ方面へ10分ほど。ちょっとした集落があり、そこに博物館はあった。

  マリア・ライヘはドイツ人で、1940年代から調査をおこなった。彼女はこの地に住み着き調査を行った。博物館には、彼女の作成した膨大な図面、利用した器具、生活用品などが展示されている。彼女はこの地に長年、一人で住んで調査を続けたが、1998年になくなっている。その後、彼女の業績をたたえて博物館が建設されたようだ。

  博物館にて。彼女の部屋を再現したもの。

  博物館を去ったあと、ナスカの町に戻る。バスターミナル前の安宿で車を下車。戻ったのが10時。再度、ここで時間待ちすることになった。10時20分ごろ、迎えの車がやってきて、ナスカの空港に向かった。10分ほどで空港に到着。

  ナスカの空港は小型機専用のようで、航空会社ごとの建物が道路に沿ってぽつぽつと建っていて、空港ターミナルというものはない。

  ある航空会社(う〜ん、名前を控えるのを忘れたしまって残念)の建物の前で降ろされ、中へ案内される。搭乗名簿に名前やパスポート番号などの記入を求められる。すでに、ビデオ上映をやっていて、途中から見る。ビデオのあとは、フライトを待つだけ。すぐに乗れると思ったものの、なかなかフライトが始まらない。このとき待っていたのが10人あまり。次々と飛び立っていく他の航空会社のセスナ機を見送りながら、耐えて待った。

  ある掲示を目にした。13時30分発のバスを予約している人は、フライトの時間の関係で乗れるかどうかわからないから、バス会社に連絡してバスの時間を変更してもらうように、という内容だった。13時30分発のバス、まさに自分が乗る予定のバスだ。これを見て、一挙に心配になってきた。今日はセスナのフライトのあと、このバスでリマに向かうのだ。でも、すでに11時を回っている。セスナのフライトは40分程度らしい。12時までに乗れなかったら、危ない。

  と思っていたら、ようやく搭乗が始まる。でも、自分はまだ。先に乗ったグループを見送り、待ち続けた。11時40分、空港に着いて1時間待たされて、ようやくお呼びがかかった。これで、バスに乗れるだろうと一安心。

  搭乗したセスナはパイロットのほかには3人乗り。もっとも小型のもので、パイロットの隣に着席。目が回って、酔う人もいるとのことだが、自分の場合は、地上絵を見るのに精一杯で酔う間もなかったような感じだった。

  セスナは車で20分かかった距離を5分くらいでやってきた。先ほどやってきたナスカ平原が広がり、地上には線がたくさん描かれている。地上絵が見えるようになると、パイロットは日本語で、宇宙飛行士、宇宙飛行士とか、ハチドリ、ハチドリとか教えてくれる。教えてくれるのは、ありがたいが、よくわかって、OK,OKと言っているのに、同じ言葉を繰り返すので、やかましい。パイロットは、地上絵の絵柄の日本語は知っているようだった。後ろに搭乗した客にはスペイン語で案内している。

  宇宙飛行士。これは、丘の斜面に描かれている。

  サル。渦が巻いているところが尾、その下のほうに胴体、頭、手が見える。

  これは無数に引かれている直線群。右下には特に幅の広い滑走路みたいなのも。

  ハチドリ。右下が頭、左上が尾。

  展望塔の上空。塔の左に木、左下に手の一部が写っている。

  木。下が根。この画像の右上の方向に展望塔がある。

  地上絵見学を終え、空港に戻る。ナスカ平原とパンアメリカン・ハイウェイ。

  12時20分、セスナを降りる。感動したためか、時間を気にしすぎていたためか、それとも目が回っていたためか、荷物を受け取るのを忘れてしまった。手荷物をセスナの後ろに載せていたのを忘れ、呼び止められた。

  自分が搭乗するときに待っていた客がまだ待っているではないか。ビデオのときには同じグループだった客だ。自分は1人だったので、3人乗りの中に割り込ませてくれたようだが、順番通りに搭乗するなら、自分は、待っている人たちよりも遅く空港に着いたから、まだ待っているはずだ。だとしたら、13時30分のバスに乗るのは無理だ。いゃぁ、危ないところだった。

  というわけで、自分が今回とったコース、アレキパから夜行バスでナスカに朝着。セスナ遊覧などのあと、午後のバスでリマへ、というコースはおすすめしない。自分の場合も、スケジュール作成のさい、気にはなっていて、ナスカから夜行バスでリマに向かうことも検討はした。そうなると、バス車中で2泊さらに、帰国便の機内泊となり、体調維持の観点から、この日はリマ泊としたのだ。この旅行記を読んで、旅の計画をたてようとする場合はご用心を、、

  さて、このまますぐに荷物を預けている安宿に戻れると思いきや、また30分ほど待たされる。迎えに来ていた車では、自分と同じグループとその前に搭乗したグループの全員を乗せられなかったから。待つ間に、空港税10ソーレス(約370円)を徴収される。小型機の空港でも空港税はあったのだ。

  ようやくやってきたワゴン車で町へ。しかし、ほかの客を泊っているホテルに送りとどける上、客のなかに途中で車を止めさせ買い物に行く客もいて、20分かかってバスターミナル前の安宿に戻った。すぐに、荷物を出してもらい、バスターミナルへ。

  すると、バスの時刻変更で14時発になったという。で、バスのチェックインをすませ、荷物を預かってもらい昼食に出かけた。変更のおかげで昼食が可能になった。

  手当たりしだいにレストランへ。地元客向けの店のようで安い。日替わり定食のようなものがあったので注文。ライスと牛肉の煮たものがメイン。スープと甘い飲み物がついて3.5ソーレス(約130円)。

  14時発のバスは、地元客と欧米系の観光客がそれぞれ十人程度ずつ乗車しただけですいていた。観光客の大半は、途中のパラカスで下車していった。

  バスは、最初、ナスカ平原を突っ切る。20分ほどで展望塔のそばを通過。その後は砂漠状態の中を走っていった。

  パラカスまでの間、ほとんどが砂漠で、ときどき集落があり、そこでは緑もあった。パラカス付近で少し海が見えた。リマまで約450km、6時間。ほとんど眠っていた。

  リマには20時ごろ到着。迎えはないと聞いていたが、着いて見るとドライバーが名前をボードに書いて待っていてくれた。タクシーで宿に向かう予定だったが、その必要がなくなっただけでなく、治安のあまりよくなさそうな街だけに、安心して宿まで連れていてもらえるので助かった。

  この日の宿は、ペンションカントゥータ。ここは、日本人の早内さんが経営する宿で、泊るのも日本人のみ。今まで、世界各地にある日本人向けの宿には泊ったことはなかった。海外でわざわざ日本人しか泊っていない宿に泊ることはないと考えているからだ。今回は、全行程をアレンジしてくれたナオツールがリマの宿として、この宿を薦めたのでここにした。ここは、地球の歩き方には、ホテルとしては掲載されていないが、併設されている民芸品店は掲載されている。ポコ・ア・ポコという店である。

  で、泊った結果はというと大正解。宿に着くと、20時30分ごろだったが、ちょうど夕食タイムだった。ほかの泊っている人たちと一緒の食事は楽しかった。それぞれの旅のエピソードを紹介したり、ペルーのことをよく知る 人から本には書いていない裏話を聞いていると時間の過ぎるのも忘れてしまった。

  泊っている人たちの平均年齢は、日本人向けの宿というイメージから受けるよりもずっと高い。ペルー通向けの宿といった感じで、十数回もペルーに足を運んでいる人や、ペルーについての研究者の人もいた。翌日の夕食時には、早内さんの友人という人もやってこられて話をしたのだが、ペルー在住30年ほどの人で、ペルーの日本大使館占拠事件のときには何日間か拘束されたということで、 そのときの話も聞けた。

  食事もよかった。日本食だったが、ウニが大量に出されたのにびっくり。日本では滅多に食べられないので、うれしかった。ペルーではウニはそれほど高くないようだ。そのほかの食事もとてもよく、本格的な手作りの日本食だった。そんなわけで、ペルーへ再度行く際には、またここに泊ろうと思っている。

  話込んでいたら、23時30分。そろそろ休もうということになって、皆、部屋に引き上げた。シャワーを浴びて、ゆっくりと休んだ。

 

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