2 アウシュビッツ その1

3日目 ワルシャワ中央駅をあとにクラクフへ。クラクフでは予約してあった駅前のホテルに荷物を預けてから、再び国鉄でオシフィンチム(アウシュビッツ)へ向かった。列車が10分ほど遅れたので、クラクフではとても忙しかった。こんな時に限ってホテルがなかなか見つからず大あわてであった。

参考 ワルシャワ発7:35(IC) →クラクフ着10:10

 クラクフ発11:02(EC) →オシフィエンチム着12:10

クラクフからオシフィンチムへの列車は通常は1時間5分くらいかかるし、バスは1時間半くらいかかるが、一日一往復のEC(ウィーン行き)で1時間弱。

オシフィンチムの駅からは徒歩で20分程度であるが、バスも出ていたのでバスを利用して、アウシュビッツ強制収容所へ。

バスは5分ほどで到着。まず、ここを見学後、ビルケナウへ移動するためのバスの出発時刻を確認する。1時間ごとに出ていたが、14時30分発か15時30分発が適当であった。入場料は無料。チケット売場があるが、フィルムのチケットとガイドツアーのチケットの売場で入場自体は無料。

フィルムだけチケットを買って、視聴した。約20分ほどであった。英語とポーランド語である。

上の写真の右上にある門を、そばから撮影したものが右の写真である。ここが収容所の正門である。上には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれている。3つめの文字の「B」が上下逆さになっているのは、この門を作らされた囚人の抵抗の産物らしい。囚人は、この門を通って外部の作業場に出かけていたという。

なお、ここに収容されたのは、ユダヤ人だけでなく、さまざまな人が反ナチスなどの容疑で収容されていた。

収容所内には、れんが造りの囚人棟がならんでいる。予想以上に、頑丈な造りである。囚人棟は28あるのだが、このうち半分ほどが展示にあてられていて、見学することができる。
展示は棟ごとにテーマがあって、ある棟では囚人の遺品が展示されていて、そこには囚人たちから没収されたメガネや靴、トランク、義足など山や、囚人の毛髪から作ったというライトスタンドの傘とかが並んでいた。また、ある棟では、囚人が入所した際に撮影された写真が多数展示されていた。

ここでは、囚人の日々の生活の展示をしていた棟の写真を掲載する。右は3段ベッドで、一つの棚に3人が寝ていたという。

囚人の使ったトイレ。この写真で見る限り水洗式のようで意外であった。もっとも、トイレにしても、ベッドにしても、あとで建設されたビルケナウのほうは、もっと粗末なものである。写真は次のページ(3)に掲載。

下は管理棟である。この棟の中には、事務室などのほか、裁判室がありそこで死刑判決などが出されていた。死刑が決まった囚人はこの棟の地下の監獄に入れられて死を待った。また、90cm四方のなかで4人が立ち尽くす立牢や、餓死刑を言い渡された囚人が入れられた餓死牢もあった。

餓死牢は、聖人に列せられたコルベ神父も入れられていた牢で、献花されていた。

この棟の左側の空間は、銃殺刑がおこなわれた場所である。銃殺される囚人は地下の監獄から出され、1階で裸になってから、この空間に出て、一番奥にある「死の壁」というコンクリートの壁の前に後ろ向きに立たされて銃殺された。

また、移動式の絞首刑台や鞭打ち台もこの棟で展示されていた。死刑のことは、この棟の2階の展示で詳しく説明されている。

棟と棟の間に見えにくいが黒いものが見えるが、これが監視台である。

こうした棟と棟の間の空間のひとつに、毎朝、点呼が行なわれていた場所があった。病死体なども運び出され、人数が足らないと、人数があうまで立ってなければならなかった.。脱走で人数が足らなくなったと判断された場合は、1人の脱走者に対して10人が餓死刑になったという。

また、規律違反者などの絞首刑も、その空間でおこなわれていた。

収容所のフェンスは2重の鉄条網になっていて、一番上には高圧電流が流れていた。また一番奥には監視台があって、脱走しようとする者はその場で射殺された。それでも、たまに脱走した者もいたという。
ガス室の入口。ガス室送りになった囚人はここを通って中に入った。中に入ると、脱衣場があり、ここで服を脱ぎ裸になった。
ガス室の内部。コンクリートがむき出しの部屋である。今はついていないが、かつては見せかけのシャワーがあったという。毒殺用のチクロンBは、シャワーの穴から出てくるのではなく、専用の30cm四方くらいの穴が天井にあって、そこから投入された。
焼却炉は当時は3台あったが、現在は2台保存されている。1日フル稼働させて、350人を焼却していたという。ここで出た、人間の灰は肥料として利用されていたといわれる。
焼却炉の外観。入所のさいに、収容所長であったルドルフ・ヘスは、「お前たちの出口は焼却炉の煙突しかない」と言っていたという。

焼却炉の近くには、大戦後、ヘスの絞首刑がおこなわれた絞首台も残されていた。

アウシュビッツの見学のあと、ビルケナウに行く予定であったので、どうしても15時30分のバスに乗りたい。そのため、フィルムを除いて2時間強で見学した。できれば、もう少し余裕を持って見学したかった。そのためにはクラクフに宿泊して、その翌日に早朝から見学に出かけるほうがいいと感じた。

このあと、第2アウシュビッツとも言われるビルケナウに向かった。

1に戻る    トップページへ     3に進む