10 マイダネク

ホテルビクトリアの窓からは、ルブリン城がよく見えた。

この日は、ルブリンの郊外にあるマイダネク強制収容所を見学したあと、昼ごろの列車でワルシャワに戻る。残念ながら、小雨が降り続いているようだ。この分だと、傘をさしての収容所見学になりそうである。

ホテルの朝食。メニューは決まっていたのだが、サラダ、ハム、チーズともに量が多く、お腹一杯になった。食事をとっている人は少なく、あまり泊まっている人もいないのではないかと思った。

食事後、荷物を預かってもらい、マイダネクへでかける。

マイダネクは、ルブリンのごく近くにあり、バスターミナルから15分程度の場所である。収容所の敷地のすぐそばまで民家が建っている。これらの民家は最近建ったのか、戦争中からあったのかはわからない。

収容所の入口を入ると、まずモニュメントが出迎えてくれる。

モニュメントのある一帯は、ほかには建物が何もないのだが、戦争中には、木造の囚人棟が林立していたのである。

ビルケナウに似た感じである。収容所の敷地面積もアウシュビッツよりずっと大きくて、ビルケナウと同じくらいだと感じた。

敷地の一部分だけ、当時の木造の建物が保存されている。この日は、小雨が降っていたので、近道をしようとしたら、ぬかるみに足元をとられてしまった。

木立の手前に見えるのが、保存されている建物群である。

建物群の入口。当時の入口が同じ場所で保存されているのか、他の場所にあったものが移築されているのかは、よくわからなかった。

左右にある建物は、当時使われていた監視塔と兵士の詰所である。

ここから入るとまずガス室があるのだが、団体客がバスでガス室前まできていて混雑していたようなので、ガス室はあとまわしにして囚人棟をまず見て回った。

保存されている囚人棟。木造のバラックでビルケナウに残されているものとほとんど同じような形、大きさであった。

一部の囚人棟は、内部が見学できるようになっていて、さまざまな展示品のおかれている棟と当時のままのベッドやトイレが置かれている棟があった。ベッドやトイレは、ビルケナウのものに類似していた。

展示物である当時の収容所の模型。

このほか、展示品としては、囚人の衣服、囚人の写真、囚人から没収されたものなど多岐にわたっていた。

毒ガスのチクロンB。粉末は模造品であろうが、このような粉末を気化させてガス室で使用したのかと思うとぞっとする。写真では見えにくいが、ラベルには、どくろマークが描かれている。
監視棟は一定の間隔で並んでいた。また、フェンスの鉄条網には高圧電流が流されていた。これらも、アウシュビッツと同じ。
ガス室。見学する人が列をつくっている。アウシュビッツで見たガス室と同様の構造であったのだが、建物が一見すると全部、木造である点が違っている。アウシュビッツと同じで、脱衣をする部屋とシャワー室に似せたガス室があった。煙突があるが、焼却炉はここにはなく、かなり離れた場所にあった。
ガス室を裏側から見た写真である。 写っている建物を反対側から見ると、一部がレンガ造りになっていて、ガスが漏れるのを防いでいたと想像された。

 

焼却炉のある建物。これも木造であるのがアウシュビッツと違っている。ここには2基の焼却炉が置かれていた。ガス室から、1kmくらい離れていているのだが、どのようにして、隠密裏に死体を運んだのかよくわからない。
死者の遺骨が保存されているモニュメント。丸い屋根のすぐ下のところに、遺骨が山のようにあって、それを慰霊するようになっていた。ここが、この収容所の一番奥にあたる場所で、入口から1kmくらいあった。この収容所は、車でも入場できるようで、他の見学者は自家用車でやってきていた。
入口と遺骨のあるモニュメントの中間地点から、撮影したもの。どちらへも500mほど。一番奥に遺骨の入ったモニュメント、その右手に焼却炉が見える。囚人棟やガス室はずと右手手前のほうにあり写っていない。

小雨が降っていたこともあり陰鬱な気持ちで収容所をあとにし、バスで市内に戻り、ホテルで荷物を受け取り、駅へ行き、予定通りワルシャワに向かった。

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