5 コ イ ン ブ ラ
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早朝の鉄道移動 |
上左 ポルト滞在を終え、次の目的地のコインブラに移動する日になった。6時にホテルを出発するので、5時に起きて朝食。前日にパステリアで買っておいたパンですませる。 上右 サンベント駅からカンパーニャ駅まで一駅間だけ近郊電車を利用。カンパーニャ駅の出発は6時52分だが、ぎりぎりに接続する近郊電車では心配で、6時20分発のギマランイス行きの電車に乗車。 左 コインブラB行きのICの乗車券。前日に買っておいた。 |
カンパーニャ駅に停車中の乗車列車。このあと、左側のホームにブラガ発のAlfaが入り、先に出発していった。Alfaにするとコインブラ着が早すぎ、すぐにホテルに向かうのがためらわれるくらいなので、あえて少し遅く到着するICにした。 ポルトではサンベント駅からカンパーニャ駅まで、コインブラではB駅から本駅まで近郊電車にならねばならないのだが、これらの区間はサービスで乗車できるようだ。 |
ウトウトしながら乗車。8時2分にコインブラBに到着。画像は乗車した列車だが、ホームが下がっているところがある。隣のホームに行くのに、線路を歩いて渡るようになっているのだ。結構、列車の本数の多い駅なので、ちょっと驚きだが、ポルトガルでは地下道や跨線橋よりも、線路を歩いて渡る駅を多く見かける。 下左 幅の広いホームに駅舎がある。画像は待合室で奥に切符売場が見える。この待合室はプラットホームの上にある。 下右 コインブラのB駅と本駅を結ぶ区間列車。 |
コインブラの本駅に到着した区間列車。このホームの右側に駅横の出入口がある。 下左 到着した列車はすぐに引き上げ、駅舎が見渡せた。小さいながら、行き止まり式のターミナルだ。 下右 ホームの真ん中あたりから駅舎を通らずに駅の外に出られるようになっていたので、そこから駅の外に出た。画像は外に出たところからホームを撮影したもの。 |
この日、1泊する「アルメディナ」へ。着いたのは8時半で、まだ部屋に入れるとは思わず、荷物を預かってもらおうとした。ところが、思いがけず、部屋を使えることになり、すぐに部屋に向かった。 |
部屋は広く、ベッドルームのほかに小さな部屋があって、ソファが置かれていた。もっとも、昼間は部屋にいないので、小さな部屋を使うことはなかったが。 |
コニンブリガのローマ遺跡 |
ホテルに荷物を置いて、休憩はそこそこにして行動開始。まずはコニンブリガのローマ遺跡に向かうのだが、コインブラ駅前から出ている路線バスが極端に少なくて、平日のみの9時5分発と毎日ある9時35分だけ。あとは遺跡まで2kmあるコンディシャまでは毎時2本あるが、これでは下りてからが大変。 すでに9時35分しか無理なのだが、少し間があったので、先にバスターミナルへ行き、翌日のナザレ行きのバス時刻を確認。そして、コインブラ駅前へ。小さいながらどっしりした駅だ。 そして駅前のバス停をしらみつぶしに調べたが、コニンブリガ行きもコンディシャ行きもどの乗場にも表示がなくあせる。 |
上左 9時35分になっても乗場がわからずに困っていたら、1分ほど遅れてバスが到着。その乗場に駆け込んで、コニンブリガ?と言って乗車。そのバスでよくてホッとした。大体、9時35分という時刻は4年前のガイドブックに書いてあったもので、よく変更もなくラッキーなものだ。バスは半分くらいの乗車率か。 上右 10時過ぎに遺跡に到着。遺跡には時刻はおろか、バス停の表示もない。帰りのバスは平日のみが13時、毎日運行が18時。もちろん13時に乗る。 左 入場券を買ったあと、まずは小さな博物館へ。遺跡の予習を少しする。 |
遺跡の入口へは5分ほど歩く。そこで入場券を見せて中に入るとメインロードが続く。 右手には屋根に覆われたエリアがあり、「噴水の家」があるという。まずは「噴水の家」を見ることにした。 |
屋根の下には修復された遺跡があり、庭には草も植えられていた。噴水というほどじゃないが、水も流されていた。 遺跡の周囲を歩いて回られるように通路が作られていた。少し修復しすぎかなと思ったが、このあとも同じような感じで、遺跡全体が必要以上に修復されている印象だった。
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「噴水の家」の向かいにある「カンタベルの館」。ここもかなり大きな家だ。柱、浴槽などが見られ、「噴水の家」よりも敷地が広い。 このあとは、屋根のない広大な遺跡を歩いたのだが、日差しがきつくて大変だった。 |
左 フォーラム。中庭の一面が修復されている。 上右 博物館にあったフォーラムの模型。 |
フォーラムの周囲の見学通路。柱廊の部分だと思われる。 |
浴場。土台しか残っていないが、巨大な建物があったのだ。 |
最後に、モザイク画が穐面に残されている家の跡を見た。 12時半くらいに見学を終えて、13時のバスに乗車。行きとは違う会社のバスだったので、ちょっとあわててしまった。30分ほどコインブラ駅前に戻った。 |
イワシを食べたあと丘の上を歴史散歩 |
上左 駅前に戻ると13時半。遺跡を歩いてお腹もすいていて、すぐに昼食。駅のすぐ近くの「カルド&カルド」へ。 上右 こじんまりとしたレストランだ。すでに昼時のピーク時間帯もすぎていたのか、すいていた。 左 まずはハウスワインの赤を頼み、パンと前菜のオリーブをいただいた。前菜のチーズやパンにつけるペーストも運ばれたが、不要なので下げてもらった。イワシと野菜スープを注文。 |
上左 野菜のスープ。 上右 付け合せの生野菜。これだけでも結構な分量だ。 左 イワシの塩焼き。4匹のイワシとジャガイモ。イワシはほどよく焼けていて、身を骨からはがすしやすく、骨を残してきれいいに食べることができた。 これだけ食べて満腹。デザートは注文できずじまい。食べ終わると14時30分。イワシを1時間かけていただくってのもすごいことだ。 |
レストランを出て、丘の上に上がる入口であるアルメディーナ門へ。 この門から丘の上にある旧カテドラルまでは直線距離では200mほどなのだが、急な階段が延々と続いていて、上がるのは大変だった。 |
左左 丘にあがる階段。上がっても上がっても終わらないって感じだった。 左右 ようやく到着した旧カテドラル。12世紀に初代ポルトガル国王アフォンソ・アンリケスによってつくられた。 このあと、旧大学に向かったが道を間違え、かなり遠回りしてしまった。
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旧大学。14世紀はじめにコインブラに大学がつくられた。ヨーロッパの古い大学はパリを除くと、小さな街にあることが多く、ボローニャ、オックスフォード、サマランカといづれも小都市だ。コインブラも同様だ。 画像の右端にある「鉄の門」から中庭に入る。撮影している自分の横に図書館があり、ここだけは入場時間が指定されている。このあと、画像の正面のラテン回廊とそこから入る帽子の間へ向かった。いづれも内部は撮影禁止。 |
帽子の間を見てからさらに歩くとテラスに出る。ここからコインブラの街を一望できた。 |
旧大学の外側には新大学があり、今も使われている。 このあと、新カテドラルへ。新とはいっても16世紀につくられ、歴史は古い。正面だけ残されているマカオの聖ポール天主堂跡に似た雰囲気だ。中にあるパイプオルガンなどを見たあと、席にすわってしばらく休憩。 下左 丘の上の見学がここまで。ケーブルとエレベータを組合せて上り下りする施設があり、それで丘を下る。画像の右下あたりにケーブルの線路があり、さらに通路があって、その先にエレベータがある。 下右 丘を下りたあと、メルカドにたちより、サンタ・クルス修道院へ。ここも12世紀につくられた古い建物。ここにはアフォンソ王の墓があった。 |
対岸はあきらめて夕食 |
すでに17時。モンデゴ川の向こう側には、新旧のサンタ・クララ修道院などがある。修道院は18時まで開いているので行ってみようと思っていたのだが、疲れてしまって、面倒くさくなってきた。 結局、川向こうには向かうのはやめて、ホテルに戻った。20時ごろまで3時間ほどベッドで休んだ。 |
上左 20時ごろに夕食に出かけた。向かった店は「アデガ・パソ・ド・コンテ」。 上右 店内の様子。 左左 飲み物はヴィーニョ・ヴェルデの白。 左右 ヴィーニョ・ヴェルデ白のラベル。 |
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注文した魚が料理できるまで、ヴィーニョ・ヴェルデとともに、パンとオリーブをいただく。オーリーブは容器をさかさまにして置いてあった。おただけ場合は逆にすればよく、このままだと食べていないという印になる。 |
魚が何であったかわからなくなってしまった。これは何の魚なのだろう。 味はとても大味であった。じゃがいもと青菜が多くついていて満腹になった。それになぜかゆで卵もついていた。
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食べ終わり、ホテルへ戻る。夜のコインブラの市街地。 |
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