5  ヌ ワ ラ エ リ ア

 

  朝食は前日と同じ内容。1泊あたり1500ルピー(約1705円)の宿泊費を2泊分支払って、出発。

  キャンディからヌワラエリアへは、バスでは2時間30分なのに対し、列車では近くのナーヌ・オヤ駅まで4時間乗って、さらにバスで20分と、時間だけを考えればバスが便利である。だが、自分は列車にした。この区間の車窓は、スリランカでも一番の景勝区間と言われているからだ。

 

  駅に着いてまずしたのは、ヌワラエリアの宿をガイドブックから選び、携帯電話で予約したこと。今、キャンディ駅にいてこれから列車に乗ることも伝えた。

  列車の出発は8時5分だが、7時45分に駅に到着。全部の行き先がまとめて記載されているので、見にくい時刻表だ。時刻表は12時間制で書かれている。これは、英国の影響のようだ。深夜や早朝に列車が多いのは、夜行列車なのだろう。

  

 

 

  2等切符を奮発、、というより、2等でも94ルピー(約107円)だったので、2等にした。3等は60ルピーほどだった。切符は、今や日本はもちろん、多くの国では見かけなくなった硬券であった。

 

 

  

  キャンディ駅の駅名板。スリランカの公用語は、シンハラ語(上)とタミル語(左下)なので、多くの駅の駅名板は、この2つに加えて英語の3語で書かれている。

  シンハラ族(仏教徒が多い)とタミル族(ヒンドゥー教徒が多い)は、長らく対立を続けているが、公用語としては2語を定めている。

 

  定刻になってもなかなか列車はこない。20分遅れで、ようやくマータレー方面から列車がやってきた。ディーゼル機関車に牽引された列車はかなり長い。このときは、このままヌワラエリアにいけるものとばかり思っていたのだったが、、

 

 

 

  2等切符を買ったので2等車を探した。だが見つからない。仕方なく、3等車に乗車し、2等車をつないでいないのに、2等の切符を売りやがって、、とその時は思っていたのだった。25分ほど遅れて出発。

  3等車はすいていて、これは楽チンと思っていた。3等車は片側が3人掛になっている。

 

  やがて、三角形の形をしたホームの駅に到着。ホームの反対側には、混んでいる列車が止まっている。かなりの客が、列車を乗り換えるようだ。ひょっとして、自分も乗り換えねばならないのでは? と思った。一瞬どうしようか考えていたときに、窓から見えた駅員が、手で乗り換えろっていうような合図をしてくれたので、急いで荷物を持って反対側の列車に乗り移った。

 

 

 

  乗り移るとまもなく発車。危ないところだった。そして乗った車両は2等車。そいうことだったのか、と納得。

  だが、2等車は満席。乗り移った客のほとんどは立ったままだ。どうも、この列車は、コロンボからの夜行列車のようだ。

  1時間近く立ち続け、ようやく座ることができた。左は2等車の車内。

 

  頻繁に軽食や菓子を売り子が車内販売にやってくるので、ためしに、揚げパンのようなものを買ってみた。 かじってみると、いわばカレー味の野菜コロッケだった。ちょっと固いのが難だが、まあまあの味だ。

 

  

  列車はゆっくりと高原地帯を進んでいった。少しづつ高度をかせいでいくようだ。

  線路の周辺はほとんどが茶畑。延々と続く緑が美しい。茶の栽培時期はよくわからないが、茶の収穫シーズンなのだろうか、茶を摘んでいる人たちもちらほら見える。

  ヌワラエリアの周辺一帯は、スリランカを代表する茶の栽培地なのだ。

 

 

  

  やがてナーヌ・オヤ駅に、13時に到着。山間の小さな駅であるが、キャンディを出て以来、一番たくさんの人が降りた駅ではないだろうか。外国人もある程度いるが、コロンボあたりからといった感じの地元客が中心のようだ。

 

 

 

   左は、ナーヌ・オヤ駅の駅名標。

  ほとんどの下車客は、駅前からワゴン車などに 乗っている。駅舎を出ると連絡のバスがあるはずだが見えない。

  バスを探そうとしていたら、声がかかった。ヌワラエリア行きのバスだと言っている。でも、ワゴン車だ。自分だけが乗るとすぐに出発。普通のバスではないようだ。

  ワゴン車内では、ツアーの売り込みが始まる。どうもガイドのようで、バスというのはウソのようだ。宿もすすめられたが、自分で予約しているところに行くように言った。

  ホテルに向かう途中、ガイドはいろいろ話しかけてくるが、その中で、この日、コロンボで爆弾テロがあり、多数の死者が出たというニュースがあった。

  スリランカ旅行を決めたあと、ここ数年来では一番、状況が悪化してきている。出発直前にも死者の出るテロがあった。またかという感じである。コロンボにはあまり長居はしないでおこう。

 

 

 

  まもなく予約していたホテルサンヒルに到着。13時30分。荷物を部屋に運んだあと、ロビーで、ガイドと打ち合わせ。ガイドに乗せられたのはまずかったが、かといって車を使わないとどこに行くのも不便な町なので、自分もこのときは、ガイドに拾われて良かったと思っていた。

  この日は、ティーファクトリーへ行き、翌日は、5時出発でワールズエンドへ行くということになった。ワールズエンドは、1000mの標高差のある絶壁。朝日を見て、昼に戻る計画だ。2日あわせて4000ルピー(約4545円)。

 

 

  ガイドは14時までロビーで待たせ、自分は部屋に戻って、ティーファクトリーに行く準備など。

  14時に出発。向かったのは、ラブーケリー社の製茶工場。ガイドブックにも載っているところで、宿からは、ヌワラエリアの中心部を経て、キャンディー方面に山を下っていった。20分ほどで到着。

  右は、工場に着く途中で見かけた茶摘みをしているところ。

 

 

 

  見学まで少し待たされたが、ほかには見学者がなく、自分だけの見学となった。

  この工場では、伝統的な方法で紅茶が製造されているという。現在、この方法は、世界的には少ないらしい。

  plucking  茶葉を摘む → withering 茶葉をしおれさせる → rolling 茶葉をもむ(発酵がはじまる) → fermenting 発酵させる → drying 熱風で乾燥させる(発酵が止まる)→ grading 品質ごとに分類する

 

  紅茶のグレードで一番いいのは、BOP(Broken Orange Pekoe) ついでOP(Orange Pekoe)らしい。これらは輸出向けだという。そして残りの品質の良くないのがテーバッグに使われるという。

  一通り説明をしてもらうのに20分ほど。もちろん英語なので、専門用語が出てきたりして、よくわからない。

 

 

  最後に紅茶の試飲。BOPだという。ただ、ケーキは有料で、60ルピー(約68円)。どちらも美味しかった。

 

  試飲したところからは、茶畑の眺めもとてもすばらしい。

  右の画像は、山の全体が茶畑になっている。

  最後に、売店で紅茶の販売をしていたので、土産用に紅茶を購入。最上級のBOPでも、日本で売っている普通の紅茶より安い。

  工場見学を終え、ヌワラエリアへ。街の中心で車を降りる。

 

 

  このとき、ガイドは、車代4000ルピーのうち、2000ルピー(約2272円)が今、必要だという。ガソリン代などだという。ポロンナルワでチャーターした車の場合も半額を前日に渡しているので、この日も言われた金額を渡した。

  左は、街の中心にある郵便局。木造建築で、英国風のつくりになっている。

  このほかの建物も、ほかの町とは一味違っているものが多い。避暑地、リゾート地の雰囲気が強い。

 

 

  ヌワラエリアに着いてからというものとても涼しいと思っていたが、いざ、歩いて町歩きという段になって、涼しいどころか寒いということを実感した。

  気温はどこにも表示されていないが、10度くらいではないだろうか。雨なので、さらに体感温度が低くなる。

 

 

   

  予想外の寒さのため、持参した綿の薄いジャケットだけでは、寒さをしのげなさそうだ。今は、まだいいとして、翌日、ワールズエンドに行ったときは大変なことになる。

  それで、冬用のジャケットを購入。信じれれないかもしれないが、メインストリートには冬服を売る店が何店も軒を連ねている。

  ジャケットを買って、その場で着用。暖かくなって、ほっとした。

  ついで、右の画像のバスターミナルへ。翌々日は、ここからティッサマハーラーマに向かう。それでバスの時刻を調べておくのだ。ターミナル内を見ただけではわからず、案内所で尋ねて、毎日7時30分発の1本だけがあることと、その乗場を教えてもらった。

  このあと、メインストリートを歩いたが、端まで歩いて5分ほどで終わり。ほかには特に見るところもない町である。翌朝の朝食用のパンを購入しておいた。

 

  まだ16時であったが、昼食を食べていなかったこともあり、昼食夕食兼用の食事をすることにした 。

  ミラノというレストランに入ったのだが、ミラノスペシャルという料理がおすすめとガイドブックに書いてあったので、どんな料理が出てくるものかと思っていたら、前日も食べたチョプスイだった。

  ビールとライスを合わせて330ルピー(約375円)。

  満腹になって、腹ごなしのために、町を歩いてみるが、寒いし雨も降っている。結局、ホテルで休むことにした。ホテルに向かう途中、ビクトリアパークという公園を通った。花がきれいだということなのだが、歩いたところには花は咲いておらず、単なる草原の広場のような感じだった。ほかに歩いている人もほとんどおらず、足早にホテルに帰った。

  ホテルに戻ってもまだ17時。早かったが、シャワーを浴びたあと、このあとのスリランカ滞在4日間の予定を決めた。翌日は、ワールズエンドに行って、ヌワラエリアに戻ってからハッガラ植物園へ行き、ヌワラエリアでもう1泊。この計画が 大きく変わろうとは、その時点ではまったく思わなかった。

  これだけ決めると、まだ早いが休むことにした。何しろ5時出発だから。

 

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