1 日 目  ピ マ ー イ

 

ナコーン・ラチャシーマ(コラート)への道

 

 

  伊丹からJL138で羽田へ。1日の仕事を終えて、いったん帰宅後、着替えをして、伊丹へ。伊丹発時刻は20時20分だが、伊丹でチェックインしたのは19時30分。国際線であれば、すでに搭乗手続きが締め切られている時間だ。伊丹発羽田乗り継ぎの場合は、実質は国際線だが、最初に乗るのは国内線なので、出発30分前でよいのが利点。しばらく、伊丹のサクララウンジで休憩。

 21時30分に羽田着。JAL同士の乗継では制限区域内を移動するバスを使えるので乗場に向かう。この日は乗継客が多く、いかろうじて座れたが、立客が出た。22時に国際線ターミナル着で、すぐに保安検査、出国手続。
 

 ファーストクラスラウンジで遅い夕食。このラウンジで夕食をいただくために、家を出てから食事を辛抱してきた。まぁ、料理はいつきても同じなのだが、これから旅に出るという高揚感の中ではとても美味しく感じる。

 食事のあとはシャワーへ。満員だったようで15分くらい待った。深夜便に搭乗する前にシャワーに入っておけるのはとても気持ちいい。時間の関係でシャワーを利用できないことも多いのだが、この日は1時すぎに出発する、羽田発のJAL深夜便のしんがりであるJL33バンコク行きなので十分に時間がある。 このシャワーのあと、靴をカバンに入れて、サンダルを出してタイスタイルになった。

  再びラウンジでゆっくり待ってからいよいよ搭乗。搭乗してまだ離陸していないうちから眠くなった。飲物のサービスがあるまで起きていようと思っていたのだが、離陸のころには眠っていた。気づいたころには、すでに飲物サービスも終わり、ライトも多くが消灯されていた。

 以後は眠りに入ったり、起きたりの連続。結局、搭乗中、珍しくモニターをまったく使わなかった。

 到着1時間30分ほど前、ベトナムに差し掛かったころになって機内食。しかしふたを開けて笑ってしまった。3ヶ月ほど前に乗ったときの機内食とまったく同じだったので。

 現地時刻5時15分に到着。スワンナブーム空港で入ったスポットは少し歩く距離が短くてすむ位置だった。また、入国審査場に大きな変化があった。これまで各ブースごとに並んでいたが、一列で並び、ブースの手前で係員がどのブースに行くかを指示するスタイル。このこともあって、10分ほどで入国審査場を通過できた。

  すぐにエアポートリンクの駅へ。前回利用したとき駅の営業が始まり、切符を買うことができるのが5時50分ごろ、始発が5時56分ごろであることがわかったっが、今回も同じであった。駅の入口ではしばらく待たされた。

 前回、自動券売機ですぐに切符が買えるように営業が始まればすぐに券売機に急ぐのがよいことがわかっていたので、急いで券売機に行く。切符と言っても、トークンが出てくるだけだ。始発に乗る客は空港からはそう多くなったが、次の駅でたくさん乗ってきて、立客も出た。

 30分ほどでパヤタイに到着。ここでBTSに乗換える。

 BTSで終点のモーチット。6時50分ごろ着。ここから北バスターミナル(モーチット・マイ)に向かう。駅からは結構離れていて、歩くにはちょっと遠すぎる。しかし、北バスターミナルは初めての利用なので、距離感をつかみたかったのと、タクシーに乗っても歩いても乗車するのは7時30分ごろのバスだろうと思い、歩いてみることにした。

 上左  BTSを下車して、まずは公園の中を歩く。

 上右  25分ほど歩いてきたバスターミナルへ。今までに利用したことがある南バスターミナル(サイターイ・マイ)よりも大きく、タイ最大のバスターミナル。

 左  いったん3階まで上がって切符を買う。ほとんどタイ文字ばかりのブースがずらりと並び、うまく買えるか心配になった。しばらく歩き、Nakhon Ratchasimaと英語表示のブースを見つけて無事に切符を買えた。250kmで220バーツ(約640円)は安い。

 買った切符を見ると発車時刻は7時25分とある。すでに7時15分だ。初めて利用する巨大ターミナルで無事にバスに乗れるかまたまた不安になった。

 手洗いに立ち寄って、バスの並ぶ中へ。指定されたホームは延々と歩かされた端のほうにあって、乗車できたのは7時25分ジャスト。ところが発車したのは5分後。

 バスは2人がけのおんぼろシート。座席数の4分の1くらいの乗客で発車。切符を買うときに座席を指定できるようになっていて、前から2列目を指定しておいた。

 発車後、車掌が切符を切り、半券を渡していった。そのあと、水と菓子が配られた。

 1時間近くはバンコク都市圏をゆっくり走り、その後の車窓は単調な農村風景が延々と続いた。途中、3,4箇所で客を乗せていき、最終的には各シートに1人づつくらいの乗車率になった。

 
  突然、自分の前に座っていた坊さんがリクライニングを最大限倒してきた。こうなると、自分の体が前の座席の背もたれにとても近くなり、身動きできない状況。おんぼろバスの割りにリクライニング度は大きい。

 やむを得ず、自分もリクライニングを最大限にして事なきを得た。日本では後ろの人のことを考えると、リクライニングを最大限にすることなどほとんどないのだが。

 ナコ ーン・ラチャシーマ(通称はコラート。以後はコラートと書く。)のバスターミナルは2つあり、市の中心に近くて、規模は小さい第1ターミナルと、少し郊外にあって規模の大きな第2ターミナルがある。

 切符を買うときと、車内で切符を切りに車掌が回ってきたときにどちらのターミナルに着くのか英語で尋ねたのだが、どちらも英語が通じずわからずじまい。タイでは若い人やホテルなど観光客相手の仕事をしている「人は別だが、年配の人には英語が通じにくい傾向がある。

 結局、コラート市内に入ってから、ガイドブックの地図と風景を照らしあわて、第2ターミナルに入ったことを確認した。確かにタイでは大きめのターミナルだ。 到着は11時。ちょうど2時間30分かかったことになる。

ピマーイ遺跡

  コラートの第2バスターミナルに到着後、このままバスを乗り換えてピマーイに行くことにした。

 この日、予約をしているホテルは第1バスターミナルから歩いて10分ほどのところにとっておいた。一方、第2バスターミナルからは20分ほどかかりそうだ。また、ピマーイに向かうバスは第2から出ている。

 それで、第1に着いた場合は、まずホテルに行って荷物を預けて、タクシーで第2へ向かうつもりだったが、第2に着いた場合は、荷物を持ったままピマーイに行くつもりだった。

 第2バスターミナルは大きめとはいえ、ピマーイに向かうバスはすぐにわかった。いつ発車かわからなかったが、バスの前に行くと、乗れというような合図をされた。しばらく待たされ、11時20分ごろ発車。発車後車掌が集金にきた。50バーツ(約140円)。

 昼食はピマーイに到着後にとるつもりだった。しかし、第2ターミナルを出て最初の停留所は市場の前で、そこで5分ほど停車し、売り子が何人か乗車してきた。そして車内販売が行われた。

 左  売り子から買ったのは米の入ったソーセージ。2本で25バーツ。

 下左  袋の中には、キュウリのぶつ切りと、唐辛子が少々入っていた。キュウリもこうして食べるとなかなかうまいし、唐辛子もかじった。

 下右  揚げパンのようなものも買った。1個10バーツ。

 結局、バス車内で昼食を済ませることができた。揚げパンはもう1個買っておけばよかった。

  バスに乗ってから1時間20分ほど乗っただろうか。そろそろコラートから60kmはなれたピマーイに到着かと思っていたころ、バスが停車したすぐ前の門にはピマーイ国立博物館と書いてある。バス停だったのか、そうでなかったのかよくわからないが、瞬間的判断で下車。12時40分であった。

 30分ほどかけて、博物館を見学。イサーンの南部には多くのアンコール遺跡があることを知り、出土品を見た。写真撮影禁止であったので、内部画像はなし。

 続いて、サイ・ンガーム公園へ。博物館から1.5kmほどで25分ほどかけて歩いた。博物館でトゥクトゥクを捕まえることができず、途中でも出会わず、結局歩きとおした。

 ここにはベンガル菩提樹の大木がある。この木は枝から気根が地面に向かい、それが新たな幹となり巨大な木になったものである。この木の下は薄暗い。それが最初の幹か探してみたがよくわからなかった。

 サイ・ンガーム公園から歩いて市街地に戻った。途中、博物館の前を通り、さらに10分ほど歩いて、遺跡の入口に達した。14時40分に入場。

 遺跡の周辺は遺跡公園としてきれいに整備されている。周囲には壁があり、遺跡公園の中に入ると、その中の建造物はアンコールワットに似ている。

 いくつかの入口を通り、最後に寺の全景が見えるというのもワンコールワットと同じだ。

 ところで、ピマーイはアンコール王朝時代、副首都的なところであり、現在の遺跡公園よりも寺院の境内は大きかったらしい。博物館の前にあった池もバライであったのではないかと言われる。

 ピマーイ遺跡は、タイ国内のクメール遺跡としては、パノム・ルン遺跡、カオプラヴィハーン遺跡と並び、特に有名なところだ。パノム・ルンは翌日に行った。カオプラヴィハーンは、紛争地域にあり、長らく立ち入ることができなかったのが、ようやく観光できるようになったのも束の間、現在は、カンボジアとの領土紛争のため再び立ち入ることができなくなっている。

 中央祠堂が見えてきた。規模は小さいものの、アンコールワットに似た形をしていることがはっきりわかった。

 実はアンコールワットよりも前に建造されて、アンコールワットのモデルになったのではないかとも言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 左  中央祠堂。これは裏側から撮影したもので、横幅はあまりないが、奥行は少し長くて、表の入口まで十数mある。

 上  ヴィシュヌ神らしい彫刻。

 下左  祠堂のあちこちに彫刻がある。これは何だろう。修復された跡もよくわかる。

 下  窓もアンコールワットを連想させるものが残っていた。

 

コラート第一夜

  1時間かけて見学の後、遺跡を出ると15時40分。ピマーイ遺跡公園は市街地のど真ん中にある。

 遺跡の正面にある道を5分ほど歩くとコラート行きバスの乗場があった。乗場のそばにあったコンビニに入って飲物を買っていたら、バスがやってきた。あわててバスに乗ったので、バスの写真を撮り損ねた。15時45分にバスに乗車。

 帰りのバス車内では眠ったり、起きたりの連続。1時間ほどでコラートへ。帰りは第2バスターミナルまで行かずに、その手前の停留所で下車した。

 下車後、ホテルに向かったが、途中で第1バスターミナルの前を通った。ちょうどバンコク行きのバスが出発していくところだった。バンコクに戻るときには第1から出発するバスに乗車することにしよう。

 

 シーパッタナーホテルに到着。第1バスターミナルから近いことで選んだホテルだ。17時に到着。
 部屋の中。清掃はされているものの古びている感じ。
 2時間ほど部屋で休んだあと夕食に出かけた。ナイトバザールに向かったのだが、途中、タイのジャンヌ・ダルクと言われるタオ・スラナーリーの像を見た。

 1826年にラオス軍が侵入してきて、コラートの副領主の妻であったタオ・スラナーリーは敵地に潜入し、敵兵に酒を飲ませて酔わせた。その上でタイ軍が攻め勝利したという。

 像の後ろには旧市街地に入る西の門、チュンポン門がある。旧市街の東西南北に門があるが、古くからの門はここだけ。あとは、新しく作ったもの。

  ナイトバザールにやってきたのだが、自分が期待していたのとは少し違う。

 まず規模が小さい。この先、200mほどのところでバザールはあっけなく終わっていた。そして、店のほとんどは衣料品を扱う店で食べ物の店はわずかだった。だから、ここで夕食をというつもりだったので期待はずれだった。

 実は、ホテルに戻ってからネットで調べて、こことは別のネートバザールがあって、ここより規模が大きく、食べ物中心だという。翌日の夜はそちらに行った。

 ナイトバザールで買い食いするつもりだったが、あてがはずれ、その近くのレストランで夕食をとることにした。

  下左   チャンビールを飲みながら料理を考えた。

 下右   エビの天ぷら。英語のメニューにTempuraとあったので注文したら、出てきたのがこれ。

  英語でチキンがなんとかと書いてあった。あまり深く考えず、イサーン名物のカイ・ヤーンかなと思って注文したら、出てきたのがこれ。

 このあとホテルに戻って1日が終了。

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