4 日 目  シ ー チ ェ ン マ イ

 

タイ・ラオス友好橋上で路面気動車を見る
 ノンカーイでの一夜が明け、窓の外を見た。泊まったホテルは5階建てだったが、そのような高い建物がほとんどない。ラオスとの国境の街とはいえ、ずいぶんと田舎街なのだということがわかる。

 下左  この日は午前中にシーチェンマイに行く予定だ。バスターミナルに向う途中、プラチャック通りに朝食をとろうと考えていた食堂がある。前日にホテルに向う途中で目をつけていた3軒の食堂だ。

 下右  3軒の中で最も客がたくさん入っている店に入店。
 ほとんどの客は、粥+カイガタあるいはパン+カイガタを食べている。粥+パン+カイガタの人もいる。

 セットメニューにはなっていなくて、単品で注文するようだ。粥とカイガタにしよう。粥は、トロトロにご飯を煮込んだジョークと雑炊のようなカオトムがあるが、味の濃いカオトムのほうが好みだ。豚肉の粥である、カオトム・ムーを注文した。卓上の調味料を入れることもあるが、総じてカオトムは味が濃いのでそのままいただくことが多い。今回もそのままいただいた。40バーツ。
 カイガタ。

 イサーン料理のひとつで、目玉焼きなのだが、普通の目玉焼きとは違って、両手の取っ手がついたフライパンで焼かれて、そのまま供せられる点が特徴。また、ソーセージ(この店の場合は、イサーンソーセージとチキンのソーセージ)や豚肉ミンチを炒ったものがのせられている。

 なかなか美味しい目玉焼きだ。25バーツ。
 
 カイガタとパンを食べている客を見ているとパンも美味しそうだ。そこで、パンも1個だけ追加で注文した。パンを食べている客はたいてい2個注文しているので、最初から皿に2個のパンをのせて準備していた。1個だけ注文したので、1個を取り除いて出したのだろうか、皿の端のほうに1個のパンがのせられていた。12バーツ。

 パンは、イサーンソーセージ、チキンのソーセージ、豚肉ミンチを炒ったものが挟まれたサンドイッチだ。これもなかなか美味しい。3品で77バーツ。
 
 朝食のあとはバスターミナルへ。シーチェンマイに向うのだ。バス乗場は前日に確かめてある。

 でも、ここで失敗。ガイドブックで5便あることになっているシーチェンマイを通って、ルーイに向う便は、3便に減便されていたのだ。9時30分発に乗車するつもりだったが、この便は運転されておらず、次の便は11時だった。これは失敗。ガイドブックに時刻が書いてあっても、前日に乗場で確認すべきだった。

 この日は、シーチェンマイに行ったあと、ノンカーイに戻り、ワット・ケークに向うのが、本来の予定だった。11時に出発すると、ワット・ケークに行くのは難しい。前日にワット・ケークにいっておいてよかった。
 このとき9時。バス出発まで2時間あるので、バスターミナルのそばにある市場とワット・ポーチャイという寺に行ってみよう。

 市場は食料品をメインとしたローカルな市場。暑い中、いろいろな臭いが混じっていて、熱帯特有の雰囲気が感じられる。

 下左  ワット・ポーチャイの本堂。

 下右  本堂の中。

 参拝し終わったのが9時30分だった。このとき、ヒラメキがあったのだ。
 
 
  ヒラメキとは? 本来は翌日、ウドンターニへ向かう前に行こうって思っていたタイ・ラオス友好橋へ、いま行こうって思ったのだ。翌日には、ウドンターニ7からラオス側のタナレーンまでの国際列車の通過する時間に合わせて友好橋を訪れるつもりだったが、この日に大急ぎで行ってしまい、11時までにバスターミナルに戻るというものだ。

 ただ、翌日は歩いて行こうと思っていたが、11時までに戻るとなるとトゥクトゥクを利用しないと無理だ。そう考えた1分後には、トゥクトゥクと交渉をはじめていた。
 このときのドライバーは英語がまったく通じなかった。フレンドシップブリッジが通じず、どうしたものかと思っていたのだが、ちょっとこっちへ来いって感じで連れてこられたのが、この看板だった。

 これに指させって言っていることは、すぐにわかったので、Triendship Bridgeを指さした。

 このおかげで、友好橋までの運賃が80バーツであることもわかった。この看板は、バスターミナルから以外に、鉄道駅からと、ター・サデック市場からの運賃が書かれていた。80バーツとは、この看板の中では、一番高い運賃だ。また、距離的にいって、前日にホテルからワット・ケークまでが片道100、往復150バーツというのも適正だったということがわかった。

 さて、友好橋に向ってプラチャック通りを走り出したのだが、その西端近くまでやってきて、あれ? って思った。本来なら川沿いの道に出ないといけないのだが、国道に出たのだ。ひょっとして、友好橋を渡るときのチェックポイントに連れていかれるのではよ思った。それで、友好橋を歩いて渡るときの入口って英語で言ったのだっが、当然ながら、通じなかった。
 
 
  予想通り、チェックポイントに到着。ドライバーはここだって感じだった。ここじゃないって、言って、雰囲気から気づいてくれたようで、近くにいたトゥクトゥクのドライバー仲間に話せってことになった。そしてドライバー仲間から、歩いて渡るときの入口ということを言ってもらい、一件落着。

 友好橋を歩く場合の入口に到着。待っていてくれ、というのも話が通じるかどうかって感じだったのだが、トゥクトゥクが何台か客待ちしていたので、たぶん大丈夫と思い、80バーツ渡し、入口を入った。 
 
 上左  友好橋に上がるまでの歩道。橋を歩こうっていう客なんてほとんいないだろうって思っていたが、結構たくさんの客が歩いて橋の上に上がろうとしていた。そこそこのローカルな観光地って感じだ。

 上右  友好橋の上に出た。中央に単線・非電化の線路があった。あと15分ほどで、ラオス側から気動車による国際列車がやってくるはずだ。

 左  ラオス側とタイ側の出入国施設を結ぶバスが走ってきた。もとは京都市バスだったようで、京都市バス時代の塗色のままで走っていた。
 
 上左  いよいよメコン川の上に入っていった。

 上右  さらに10分ほど歩いて、橋の中央部に到着した。通行止めになっているところまで行った。歩行者はここから先へはいけない。ここで記念撮影する客が多いので、この看板を撮影するにも少し待った。

 左  この看板の先を撮影。向う側にはラオス側の通行止めの看板がある。その手前には、タイ、ラオスの国旗があり、黒い石碑のようなものが見えるが、そこが国境なのだろう。
 
 列車通過の時間が近づいてきた。本当は国境近くで撮影したかったのだが、バスターミナルへ戻る時間の関係で、来た道を引き返した。

 列車が通過する時間帯は、橋の上は、自動車は通行止めになるようで、自動車は通らなくなった。

 やがて、列車の汽笛が聞こえて、列車が近づいてくるのがわかった。そして、列車が見えてきた。
 
 自分のそばを国際列車が通過。国際列車と言ってもノンカーイとラオス側のタナレーンは数kmのわずかな距離であり、気動車が2両の列車だ。この列車が1日に2往復している。

 特別な車両ではなく、タイ国鉄の一般形の気動車だ。路面電車は珍しくないが、路面気動車となるとなかなか簡単には見つからず、珍しい。ぱっと見ただけだが、乗客は少なかったようだ。

 
 
 列車が通過するときには、数m離れた歩道にいて迫力を感じた。橋の上で列車が路面を通行するって、なかなか見られないので大満足だった。

 下左  自分の横を通過した列車は、歩いて橋に上がった地点付近で橋の外側の専用軌道に移った。同時に、通行止めになっていた自動車が走り出した。

 下右  入口まで戻ると、トゥクトゥクがいたので、バスターミナルまで乗車。運賃がわかっているので気が楽だ。途中、かつてのノンカーイ駅の横を通過。
 
シーチェンマイへ
  シーチェンマイへは、ルーイ行きのバスに乗っていく。ガイドニックでは5便あることが書かれていたのだが、変更されたのか3便になっていた。当初、乗るつもりだった9時30分の便はなく、11時の便を利用することになった。友好橋からバスターミナルに戻ってくると、バスは出発を待っていた。緑のみるからに古い小さなバスだ。

 下左・下右  乗車すると座席は固い。足は横に曲げた状態で座らねばならなかった。前を向いて座れないのだ。これで、1時間30分、乗車したのだが、とても疲れた。ルーイからノンカーイに向う際、ガイドブックにこの直通バスは乗り心地が悪いという記述があり、ウドンターニ乗継にしたのだが、このことについてはガイドブックを参考にしてよかった。このバスに6時間というのは耐えられそうにない。
 
 
 
 上左  切符の表。記入欄には何も書かれていない。

 上右  切符の裏。40バーツが記入されている。ほかの文字や数字は何なのだろう。

 左  12時30分にシーチェンマイに到着。下車時にちょうど道路を挟んで斜め向かいに、ルーイ発ノンカーイ行の反対方向のバスが停車していて、帰りに乗車する場所も簡単にわかった。

 ノンカーイ行きのバスの停車している所に行ってみた。食堂がバス停になっているようだ。
 
 この食堂で昼食を食べていくことにしよう。

 下左  ノンカーイ行きのバスも3便だとわかる。さきほど泊まっていたのは12時30分発のようだ。帰りのバスは16時30分なので、16時ごろにこの食堂に戻ってくることにしよう。

 下右  メニューはなく、ほかの客が食べていたものを指さして、同じものにしてくれと注文した。

 氷の入ったコップと水が運ばれてきた。

 
 
 ビーフンのような米麺だが、とてももちもちしていた。小麦麺ならカノムチーン、うどんのいうであればラオスのカオピャックだが、どちらでもない。でも、もちもちしている点は共通だ。具は豚肉とルークチン。

 下左  野菜が別に運ばれてきたので、野菜を入れていただいた。

 下右  野菜とともに、柑橘類のペーストが運ばれてきたので、少し入れてみた。
 
 
 麺を食べて、街歩きスタート。すでに13時近かったので、16時に戻るとして、3時間で歩いて回ろう。

 ガイドブックによると、この街は春巻の皮の産地として有名らしい。乾季には、あちこちで春巻の皮を干しているということだ。実際に春巻の皮を干しているところはほとんどなく、たった1ヶ所だけ屋根の上で干していた。、
 
 屋根の上で干してある春巻の皮を拡大。
 
 メコン川沿いに出た。川幅は500mほどのようだ。対岸にはラオスのビエンチャンがあり、大きな建物が肉眼でもたくさん見える。

 下  ズームでビエンチャンの街並みを確認。
 
 
 川沿いに遊歩道があるのだが、広場のように広くなっているところがあった。龍のような建造物が置かれていた。

 下左  川沿いの道に面してあった寺にも、龍のような建造物があった。

 下右  その寺で手洗いを借りたあと、しばらく休憩。
 
 
 メコン川沿いの散策を終えてバス停にも戻ろうとしたが、途中に市場があったので見学。
 
 笹の葉で包んだお菓子だろうか。きれいに積んで売っていたので、ひとつ買ってみよう。

 下左  市場を出て、ベンチに座って食べてみる。

 下右  笹の葉が何重にも巻いてあり、なかなか中身が出てこない。ようやく出てきたら、お菓子ではなく、魚肉を固めたかまぼこのようなものだった。
 
 
 16時過ぎに食堂の前のバス停に戻ってきた。16時30分の予定時刻になってもバスはやってこなかった。

 17時になってもやってこない。代わりにウドンターニ行きのバスがやってきた。食堂の人が、どこに行くのか尋ね、ノンカーイと答えると、「ノンカーイ行きは遅れているのか、運休になったのかわからない。ウドンターニ行きはこれが最終なので、途中で下車して、ノンカーイ行きのバンに乗るように。」という意味のことを言ってくれた。そのため、このバスに乗車。
 
 
 上左  ウドンターニ行きのバスの切符。乗換地点までは40バーツ。

 上右  写真右端に乗車してきたバスが写っている。このバスは右折してウドンターニへ向う。自分は、写真を撮影している場所で10分ほど待ち、ノンカーイ行きのバンを拾って乗車。20バーツ。

 左  バスターミナルに到着したバン。ノンカーイ到着前に、どこで下りるか聞かれ、鉄道駅方面で下りる客がいなかったので、鉄道駅方面には行かずにターミナルに向った。途中、バンの待ち時間があったが、シーチャンマイからの所要時間は1時間20分ほどで、行きよりも早かった。
夕食は屋台のイサーン料理
 
 
.  上左  シーチェンマイから戻り、1時間ほどホテルで休憩。

 そのあと、前日に夕食をとった店の斜め向かいから始まる屋台に向った。炭火でガイヤーンやムーヤーンを焼いていていい臭いがしている。ガイヤーンは1羽単位の屋台と半羽単位の屋台があって、半羽単位の店を選んだ。1羽でも食べられなくはないが、ソムタムやカオニャオも食べたかったので半羽で出している店にした。

 上右  店を決めてから、すぐ近くのコンビニでビールを買う。スノーウィ・バイツェンという初めてみるビールがあったので、購入。バイツェンは白ビール。値段はほかのタイ産ビールとほぼ同じ。

 左  ガイヤーン半羽。美味しくいただけのはタレがよかったからだろう。
 
 
 
  上左  ソムタム。これが猛烈に辛かった。赤唐辛子ではなく青唐辛子を使っていて、暗い屋台のテーブルで食べたので、唐辛子に気づかなかった。

 上右  カオニャオ。屋台だがきっちりカゴに入れているのがいい感じ。

 左  食卓全景。ガイヤーン(もしくはムーヤーン)、ソムタム、カオニャオっていう、イサーン料理の王道メニュー。料理は150バーツ、ビールが55バーツで安く仕上げられた。
 
 屋台の調理場兼カウンターは光っているところで、テーブルが壁に沿って並んでいる。
 
 食後は、プラチャック通りを西進。市庁舎のある広場まで行ってみた。ライトアップされた噴水があり、きれいだった。

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