2001.5 台 北     

 

 初めての台北訪問は2001年であった。ゴールデンウィークを利用して、どこかに行けないかなと思い、旅行代理店で格安航空券をあたってもらったが、3日間で行けるようなところは、どこも満席の状態。それではと、現地での行動がフリーのパッケージツアーをあたってもらった。そこで、いくつか行くことが可能だったコースの中から選んだのが台北であった。自分にとって、はじめての台北だ。

 

【1日目】

  行きは、関西空港発の日本アジア航空の午前便。12時すぎに台北、中正空港に到着。自分は、手荷物だけしかもっていないので、入国審査を終えてすぐに到着ロビーに出て、出迎えのガイドさんに出会った。しかし、パッケージツアーの悲しさ、ツアー参加者全員が預けたスーツケースを受け取って出てくるまで待っていなければならなかった。この間、約30分。両替などはこの間にすませた。

  全員がそろってから、バスで台北市内に向かった。曇りがちの天気で今にも雨が降りそうだが、暑くなくていい。もう台湾は夏の入口にさしかかっているから、、ホテルに向かう間、ガイドさんはしばらく台湾の話をしていたが、それもまもなくネタ切れとなり、あとはメンバーが泊まるホテルを回っていく。

  5箇所のホテルを回ったのだが、何と自分の泊まる国連大飯店は一番最後だ。途中のホテルでは、メンバーが降りたあと、スーツケースを取り出したりした上、ガイドさんがそれぞれのホテルのフロントに連絡を入れにいったりしているものだから、その都度、5分から10分ほど停車する。そんなわけで、ホテルの部屋に入れたのは14時30分ごろ。

  一休みしてから、街歩きに出かけた。最初の行き先は、国父記念館。孫文(孫中山)の生誕100年を記念して建てられたものだ。ここはホテルから歩いて行くことができる。10分ほど歩いて到着。展示品はあまり多くないが、じっくり見ていて結構、時間がかかってしまった。

  続いて、地下鉄で西門地区に向かった。台北の中では、若者の多い繁華街である。ゲームセンターやアイドルショップがたくさんある。ファストフード店も多く、立ち食いしている高校生のオンパレードだ。

  西門地区から少し離れている華西街夜市へは、歩いて移動した。台北にはいろいろな夜市があって、地元民や観光客で毎晩、にぎわっている。華西街夜市は、そのなかでも、ヘビやスッポンを食べさせる店が多く、一種異様な感じの漂っている点がほかの夜市と異なっている。ここで、夕食をとった。注文の仕方や言葉がわからないので、メニューを指差しして注文した。漢字で書かれているから、どんな料理であるか何となくわかるのはうれしい。

  ガイドブックにのっている有名なアイスの店でかき氷も食べた。そのあと、龍山寺に行ってみた。台北では一番古いお寺であるが、第二次大戦中のアメリカ軍による空襲でかなり焼失してしまい、現在残っている建物は、その後、修復されたものが大部分だという。もう、真っ暗だというのに、たくさんの人たちが熱心にお参りをしていた。地下鉄でホテルに戻って、一日目を終えた。

【2日目】

  2日目は、まずホテルでの朝食からスタート。そのあと、忠烈祠にまず向かった。地下鉄で台北車站に行き、地下鉄を乗り換えて圓山へ。そこから、1km少しであるので、歩いてもたいしたことはないだろうと思って歩き出した。これは間違い。タクシーで行くべきだった。直線距離では確かに2kmもないのであるが、道路が曲がっていて、実際には2km以上ある。そのうえ、歩道が満足につけられていないような道路であるため、危険である上、排気ガスをもろに浴びせかけられる。そのうえ、もう台湾はかなり暑くなっている。ようやく忠烈祠にたどりついた。

  ここでは、毎時、正時に、衛兵の交代があり、それが見ものである。宮殿のような建物であるが、国民党政府のもとで戦死した人々を祭っている廟である。衛兵とともに、それを撮影する観光客も一緒に移動するのも、見ていて面白い。忠烈祠からタクシーで駅までもどるかわりに、タクシーで故宮博物院に向かった。故宮博物院もまた地下鉄の駅から離れていて、バスかタクシーで向かわなければならない距離があるからだ。

  故宮博物院は世界四大博物館のひとつと言われていて、収蔵品がとても多いそうだ。国民党政府が台湾に移転するに先立って、北京の故宮博物院や南京の南京博物院にあった秘宝を台湾に運び込んだが、そうしたものをたくさん保有しているからだ。しかし、収蔵品が多いのと展示品が多いのとは違う。思っていたほどには展示品は多くはなかった。展示スペースそのものがあまり広くはないという感じだ。

  そのこともあって、見学には1時間少々かけて十分であった。しかも、人気のある展示品の前などは、黒山の人だかりがしていて、よっくりと見ようというような気もおこらなかった。故宮博物院の中のレストランで昼食をとることにした。前日には夜市で夕食をとっていたので、かなり割高な感じがした。

  故宮博物院からは地下鉄の士林駅まで路線バスに乗ってみた。そのあと、地下鉄で北投に向かい、北投で支線の新北投行きに乗り換えた。新北投駅付近は台北市内の温泉として有名な北投温泉がある。露天風呂に入ってみるだけの時間はないのだが、散策して温泉ムードを味わってみた。

  最初に向かったのが北投温泉博物館。かつての温泉旅館の建物がそのまま利用されている。日本統治時代の雰囲気を伝える畳敷きの大広間や日本式の浴槽などが興味深かった。浴槽は立って入浴するもので、かなり深いものであった。いままで入浴したことがないタイプの浴槽であったので、一度入ってみたくなった。また、皇太子時代の昭和天皇がここを訪問したときの写真も展示されていた。

  ついで向かったのが、地獄谷。湯気が立ち上がっている熱湯の池である。落ちれば熱地獄である。湯に卵をひたせばあっという間に温泉卵やゆで卵ができそうなのだが、卵をゆでることを禁ずる札がかけられていた。入口の屋台では温泉卵が売られていたが、販売用の場合は、ゆでることが許可されているのだろうかと思った。

  さらに、山手のほうに向かい、台湾民俗北投文物館をめざしたのだが、道に迷ってしまい、行き着くことができなかった。またの機会に訪問することにして、この日はまだ淡水にも行きたいので引きかえすことにした。駅に戻る途中に、建物のある共同浴場である瀧の湯などを見た。北投にはまたやってこようと思った。

  地下鉄の新北投から北投まで支線で戻り、再び本線で淡水に向かった。地下鉄も郊外では地上を高架で走り、景色がながめられてあまり退屈しなくていい。終点の淡水に到着。淡水はちょっとした郊外の町といった感じである。駅から出て、海と思えるような淡水河沿いには、たくさんの屋台が並んでいる。(その後、淡水河沿いでの屋台は禁止された。)屋台でイカ焼を買ってみた。見た目は日本のイカ焼とほとんど同じであるのだが、味付けが違っていて日本のイカ焼とは別物と考えてよい。のども渇いたので、酸梅湯を飲んでみた。湯とついているが、梅のジュースである。

  さらに少し歩いて紅毛城に行ってみた。紅毛城とは、かつて台湾に進出してきたスペイン、オランダ、イギリスが拠点とした城である。城からの淡水河や河を渡った対岸などの眺めも良かったが、逆に、この城も赤い外壁であるために、海上を通行する船からもよく目立ったことだろう。

  淡水を見たあと、地下鉄で台北車站に戻り、駅前の新光三越で土産物を買ったり、近くの店で食事をしたりした。そのあと、ホテルに戻り2日目を終了。

【3日目】

  もう帰国日。搭乗するのは15時すぎなのだが、ガイドが迎えに来るのは11時。個人であれば12時に市内をたつバスで空港に向かえば十分なのだが、パッケージツアーなのでそういうわけにはいかない。行きの場合と同じく5つのホテルを、今度は逆周りに順に寄っていくので、空港から一番遠い国連ホテルの場合は、出発の4時間前の集合になっているようだ。

  ホテルで朝食をとったのち向かったのは228和平公園。地下鉄で台北車站まで行き、歩いて向かった。中国風の庭園になっていて、旧名は台北新公園であったが、1996年に228事件の見直しが進む中で改名された。公園を散策しながら向かったのは、228記念館。かつて放送局だった建物で、228事件の展示が行われている。

  このあと、歩いて中正記念堂に向かった。1975年に故蒋介石総統を記念して建てられた巨大建造物である。蒋介石に関するいろいろな展示がされていて、総統用の乗用車なども置かれていて興味深い。また、蒋介石の像を守っている衛兵が1時間ごとに交代するときの儀式も見ものであった。

  これだけ見て、急いでホテルに戻った。少しだけ部屋で休んだ後、チェックアウト。その後、バスでほかのメンバーの泊まったホテルを回りながら空港に向かった。今回のパッケージツアーでは、お土産物屋への立ち寄りこそなかったものの、いろいろなホテルに立ち寄ったり、最初の日に全員の荷物がそろうまで待っていなければならないなど、問題点があり、できれば避けたいなと思った。

 

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