1 日 目  台  北

 

 チェックインのさい、ひさしぶりに「本日、エコノミークラスが満席で、、、」という言葉を聞き、ビジネスクラスにラッキーアップグレードだった。

 最近は、JALの小型化でビジネスクラスの席が減ったことや、正規のUGをチェックインのさいに申し出て行うことも可能になったため、ラッキーUGは少なくなっていたようなので、ホント、ラッキーだった。
 
 チョコレートは、サクララウンジ入室時に販促のために配られていた新商品のようだ。
 
 搭乗ゲートに行くと、ちょうど搭乗機がどこかから到着したところで、行先表示板の向こうを飛行機を降りた乗客が歩いている。あとで、バンコクから関空にやってきた夜行便が台北行きになるとわかった。

 
 サクララウンジにて朝食。成田や羽田に比べて貧弱すぎるし、パンにおにぎりにシャンペンにスープって、なんという組み合わせかって思う(笑)。それでも、旅立つ前に高揚感をもつにはいいことだ。

 ただし、今回はビジネスクラスにアップグレードされたので、機内食が楽しみであるので、これだけにしておく。
 

 シートベルトのサインが消えると、食事サービスがはじまり、まず食前酒の希望を聞かれたのでシャンペンを頼んだ。台北行きの場合はボトルで渡される。
 食事は洋食を頼んだ。メインはハンバーグステーキ。飲物は白ワインにした。先ほど朝食をいただいただいたばかりなので、パンまでは食べられなかった。早めの昼食と考え、現地では昼食はとらないことにしよう。

 下左  アイスクリームとコーヒー。

 下右  少し眠っていたら、もう台北。

  左  国光客運の中興号・松山機場行きでホテルサンルートに向かう。下車するのは、民権中山路口だが、切符は1つ手前の民権捷運になっている。1841は系統番号。

 下左  1841系統のバス。初めて乗った場合は、最初のうちは細かく停車していくので、このバスでいいのかと心配になる。自分もはじめはそうだった。

 下右  50分ほどでサンルート着。荷物をおいてお出かけ。

 左  行天宮。街のど真ん中の道教寺院。長い行列ができていたが、青い服を着た女性から線香をもらうためだった。

 下左  MRTの行天宮站の入口。新たにできた橘線の駅で、この線のおかげで台北車站を経由しないルートができて便利になった。

 下右  今回も、現在、橘線の終点になっている忠孝新生で藍線に乗り換えて市政府まで行った。市政府とは市役所という意味。

 左  市政府站を降りると、やがて台北101の摩天楼が見える。ここは以前に行った。この日は、市政府に行く。画像右手のやや低いヒルが市政府。

 下左  市政府の中。

 下右  市政府の一角に台北探索館があった。市政府站から歩いて入った入口は裏口で、市政府の1階を表口の方向に歩き、表口から入ってすぐのところだ。ここが訪問の目的。台北の過去と現在の展示をしている台北市の施設だ。

 印象的な展示を1つ。総統府の歴史についての映像資料だ。

  画像中の文字は、”(総統府の前は)日本統治時代の植民の象徴にはじまり、権威の象徴の介寿路になり、今日の凱達格蘭大道になった”というような意味だろう。

  蒋介石時代、総統府前の大きな道路に介寿路という名がつけられた。これは”蒋介石の長寿を願う”という意味だった。総統府も介寿館と呼ばれた時期もあった。陳水扁時代に道路の名は凱達格蘭(ケタガラン)大道にあらためられた。ケタガランとは、台北に住んでいた原住民の名だが、今は同化してしまって、独自の文化はよくわからなくなっている。

 映像資料では、総統府の前だけじゃなく、まず日本軍や日本人の行いが出てきて、そのあと蒋介石やかつての軍の様子などが出てくる。そして現在の様子が映し出され、画像にしたものが最後に出てくる。10分ほどに編集されていて、音声はBGMだけの映像である。

  印象に残った1つ目の理由は、この資料とほかの歴史的な展示も含めて日本に好意的ないし中立的な立場であったこと。
 
  2つ目の理由は、この資料のうち、日本統治時代の説明のBGMが愛国行進曲(リンクあり)だったことだ。まさか、日本の軍歌(この曲は軍歌というより国民歌謡といったほうがよいかもしれないが)がBGM(歌詞つき)になっているとは思わなかった。

 なお、蒋介石時代も否定的な扱いじゃなく、好意的ないし中立的にとらえていて、日本統治時代、蒋介石時代の土台の上に、現在の経済発展や民主主義があるのだというような感じでとえらていると思った。
 ここの主、台北市長が民選になったのは古くはなく、1994年のこと。また総統が民選になったのは1996年。

 民選後の台北市長は1994年に陳水扁、98年、2002年に馬英九、2006年、10年に郝龍斌が就任している。

 一方、総統は1996年に李登輝、2000年、04年に陳水扁、08年、12年に馬英九が就任している。

 市政府の1階には、台湾の原住民の紹介があった。全部で14の民族が原住民として認定されている。

 原住民というと、日本語では差別用語的なイメージがあって、先住民と言い換えている。中国語では、先住民というと、”絶滅した民族”という意味になり、先住民の意味では、「原住民」というようだ。

 表口から台北市政府を出た。玄関上の「台北市政府」の文字は李登輝によるもの。

 このあと国父紀念館に向かったが、ここから国父紀念館までの間は台北ランタンフェスティバル(台北燈会)の会場になっていて、たくさんのはりぼてが並べられていた。

  旧正月15日は日本では小正月というが、中華圏では元宵節といい、元宵節で春節が終わる。台湾では元宵節には各地でランタンフェスティバルが行われるが、国父紀念館付近で行われる台北ランタンフェスティバル(台北燈会)は有名である。

 上左、上右、左   台北ランタンフェスティバルの様子。

 国父紀念館に行くのは5,6年ぶり。2011年が辛亥革命から100年だったということで、「辛亥100年・建国100年特展」を行っていた。

 ポスターに西暦の数字が100個並んでいるのかと思ったが、100個を並べるなら10×10でないといけないのだが、そうはなっていない。よく見ると、8×13で104の数字ということになる。よく見ると、左上のカントン(国旗の左上の小さな枠の部分のこと)の太陽の模様の部分は2つの数字の枠を使い1つの西暦を表している。1928、1935、1942だ。それでも1つあまる。右下を見ると2012がついている。

 辛亥革命は1911年だったが、中華民国が建国されたのは2012年1月1日なので、2012年が加えられているのはおかしくはない。なお、中華民国の国慶節は10月10日だが、これは建国日ではなく、辛亥革命の始まった日である。

 さて、建国100年特展だが、なかなか興味ある文書のコピーが展示されていた。

 日本軍の降伏文書だとか、台湾の戒厳令を解除する命令だとか。

 やがて毎正時に行われる衛兵交代の時間が近づいてきたので、孫文像の前に行った。

 やがて衛兵交代が始まった。大変な数の観客だが、最前列ではないが、よく見える位置を確保できた。

 衛兵交代は何度見ても見ごたえがある。

 2階から見ている人もいる。10分ほどで終了。

 再びランタンフェスティバルを見ながら、MRTの駅に向かった。

 面白かったのは、臨時の配電設備の入った箱に描かれたこの絵。これがあちこちにある。

 MRTでホテルに戻った。経路は、台北車站乗り換えは避け、忠孝新生乗換えで橙線を使った。

 ホテルでは2時間ほど休憩してから、移転した士林夜市へ。

 2011年12月25日に、士林夜市の美食街が、それまであったMRTの駅のまん前から、少し離れた慈誠宮の前に新たに作られた士林市場の地下に移転した。

 実は2002年まであった場所です。2002年に以前の美食街が安全面や衛生面で問題があるとされ、いったん駅前に移転されたものが元に戻るっていうこと。最初は1年くらいで戻るとかされていたのが、いつしかもう戻らないような感じになっていたが、忘れたころに元に戻ることになったのだ。

 それで、今回は1日目の夕食は新しい美食街で食べることにした。駅では案内がいろんな場所に掲示されていた。以前、美食街だった駅前はトタン板に覆われていて、更地になっている。


 
 駅から5分くらいの距離だが、人が多く10分くらいかかった。ものすごい人だ。

 
 地下もものすごい人。火事があれば大変なことになると頭に浮かべながら、一通り回った。

 駅前にあったときに比べて、敷地面積は半分くらいになったのじゃないだろうか。店もかなり少なくなっている。

 大腸包小腸。なんだかすごい名前で、ホルモンの中にホルモンって思っていたのだけど、、

 小腸は香腸で、味つきの台湾風ソーセージ。何種類かのうちから味を選べ、原味、黒胡椒、蒜味、高梁など。大腸はもち米を炊いたものの腸詰。

 画像の右上には、大腸を2つに割り、その中にキャベツや大根の漬物、キュウリなどを入れたものが写っている。この割った大腸の中に小腸を挟んだものが大腸包小腸。

 

 できあがった状態の大腸包小腸。太いためなかなか食べにくく、まず小腸を食べてから大腸を食べた。

 
 大餅包小餅。店先には揚げパンがたくさん並んでいた。これがなぜ大餅包小餅って言うのだろうか、、

 味がいろいろあって、胡麻、黒胡椒、カレー、ココナツ、紫芋、麻棘などがあった。辛い物好きななので麻棘を選んだ。

 疑問は注文してから解けた。そのまま渡されると思っていたら、何と、その揚げパンを砕きだし、クレープ生地のようなものに乗せて、それを巻いてできあがり。なるほどそういうことだったのか。

 できあがった状態の大餅包小餅。
 上左  次に海産物の店へ。

 上右  夜市ではアルコール類を飲んだことはなく、飲んでいる客も見かけなかったので売っていないのかと思っていたが、メニューにはないのだが、売っていた。店員が言ってくらたのでわかった。

 左  エビ焼き。

 蠣阿煎(かきオムレツ)。

 食事のあとは、周辺の店を見ながら駅へ向かい、ホテルへ。

 

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