3   カ ル タ ゴ と シ デ ィ ブ サ イ ド

 

  6時すぎに朝食をとりにレストランへ。ほどなくヒョウちゃんもやってくる。ヒョウちゃんはこの日、スファックスに向かうそうだ。

 自分は、カルタゴとシティブサイドを回る。どちらもチュニスの一部分ともいえ、距離は近いのだが、カルタゴは古代の巨大都市だったゆえ、遺跡が散在していて、移動が大変そうだ。

 情報交換をして、互いの旅の無事を祈り合って、ヒョウちゃんとはお別れ。

 カルタゴへは、TGMという郊外電車が便利だ。TGMはマリン駅が始発駅で、マリン駅はホテルから1.5kmほど離れている。路面電車で行けるのだが、路面電車の停留所まで500mくらい歩くので、行きは歩いてマリン駅に向かった。

 ホテルの前のブルギバ通りは広い道路の中央部は歩行者用なのだが、そこは並木道になっていて、日差しが遮られて歩きやすかった。

  1kmほど歩くと時計塔に到着。とくに由緒があるものではないらしいが、ホテルあたりからも見える大きな塔だ。

 さらに500mほど、今度は日差しを浴びて歩くとマリン駅。切符売り場で駅名を言って切符を買う。

 

 
 

 通勤時間帯だったのでかなり混雑していて、行きはずっと立っていた。

 1つ目の駅までの距離が異様に長い。10km近くあったように感じた。ところが2つ目の駅からは急に駅間距離が短くなり、300mくらいおきに駅があるようだった。

 2両編成で、マリン駅よりの1両は3分の1ほどが1等になっている。2等とどう違うのかよくわからなかった。単に混雑時でも座れるというだけなのだろうか。

 カルタージュ・サランボで下車。ここから遺跡巡りをスタートすると、逆もどりがなくて効率的だ。

 カルタージュ・サランボの駅名標。

以下、番号はカルタゴで訪問した遺跡などの順を示す。

 

(1)トフェ

 カルタージュ地区は高級住宅街。住宅地の中に遺跡が混在している。

 トフェ(タニト神の聖域)は大きな建造物がないので、気付かずに少し先まで歩いてしまった。おかしいと思い、逆戻りしてたどりついた。

 入口でほかの遺跡との共通入場券を購入。それぞれの遺跡の入口でチェックを受ける仕組みだ。  

 小さな墓が無数に並んでいる。この遺跡はカルタゴ時代のもので、カルタゴでは幼児をこいけにえとして紙に捧げる風習があったといい、幼児の墓だと言われている。

 当時は、墓場と火の神バール・ハモンと天と豊穣の女神タニトを祀るところであった。

 右  敷地の端のほうにある、ローマ時代の穀物庫

(2)古代カルタゴの港

 ここもタイトルの通り、カルタゴ時代の遺跡。ここは、入場券なしで入れる。

 左 対岸に見えるのは円形の軍港。その周りに円形の水路がある。

 下左 長方形の商港。軍港が内側、商港が外側にあり、撮影地点は、両港の接続点。ここを閉鎖して、軍港を守ることができた。

 下右 軍港内は、小さいが整備されている。

(3)パレオ・クレティアン博物館

 博物館と名乗っているが、博物館は閉まっていた。でも、ここのメインは、博物館の展示物じゃなく、広い庭(博物館は小さい)にあるバジリカの遺構。

 かなり大きな教会であったことがわかる。

 ここから次の、円形闘技場へは3kmほど離れていて、タクシーを拾った。郊外ゆえ、拾うのに10分くらい待った。

(4)円形闘技場

 ローマ時代の円形闘技場。現在残っているのは、円形の建物の一番下の部分だけ。

 エルジェムなどほかの円形闘技場と同じく、周囲には高い壁と観覧席があったはずだ。

 真ん中の地下室の部分は復元されていて、入ることもできた。

 ここから、ビュルサの丘までは1kmもないのだが、坂道を上がらねばならず、タクシーで向かった。

(5)ビュルサの丘

 カルタゴの中心で、一番高いとこである。街の中心になる神殿などがあった。

 カルタゴ時代もここが中心だったが、残されている遺跡はローマ時代のもの。

 眺めはとても良い。こうして見ると地中海特有の白い家が並んでいることがよくわかる。

 

(6)カルタゴ博物館

  モザイクなどを展示している。2つ上の画像の右上に写っている建物が博物館。ビュルサの丘と入場口が同じで、横にサン・ルイ。

(7)サン・ルイ教会

  19世紀の教会。中には入れなかった。

(8)劇場

 サンルイ教会からは歩いて坂道を一気に下りた。それでも15分くらいかかって、劇場に到着。

 カルタゴ国際フェスティバルが開かれていて、機器類や演奏席などが設置されていた。

 円形の座席部分はかなり修復されたものだった。

(9)ローマ人の住居

 広大な敷地の中に住居跡がたくさんある。大部分は原形をとどめていない。その中で、きっちりと修復されているのが、ヴォリエールの別荘。

 下左  残されいるモザイク

 下右  原形をとどめていない住居跡

(10)アントニヌスの浴場

  カルタゴの遺跡の中でも一番かつて巨大だったものだ。

 2階建で100以上の部屋があったという浴場だが、なかなか想像力を働かせるのは困難。

 残っている遺構のほとんどは1階の部分だ。1階には冷浴室があったが、メインは2階部分だ。

 右はかつての浴場の復元図。その中で、右よりの真ん中あたりの柱が目立つように描かれているのがわかるだろうか。

 

 その柱が、右手に見えている柱だ。

 2階建といっても、2階部分はきわめて高く、一番高いドームの部分は、高さ30mほどあったという。

 
(11)カルティエ・マゴン

 住居跡。

 遺跡から道路をはさんで見えている建物は一般の住宅。

 これで、カルタゴの遺跡のうち主だったものを全部見て回ることができた。

 8時頃から回り始めて、13時すぎまでかかった。ふ〜。

 TGMのカルタージュ・ハンニバル駅へ。

 駅に着いたら、ちょうど電車が到着したところだった。走れば間に合ったかもしれないが、切符も買わなければならなかったので、次の電車を待つことにした。

 下左 駅の部分では、車が踏切を通れないようにしてあった。また、歩行者もジグザグに踏切を渡らねばならないようにして、遮断機にかえての安全作がとってあった。

 下右 カルタージュ・ハンニバルの駅名標。

 TGMやメトロ(路面電車)の切符売場は一方の方向の入口付近にだけあることが多く、反対方向に向かう場合はちょっと不便だ。

 電車は昼間は12分間隔で運転されており、本数は結構多いと思った。ただ2両なので混雑していることが多い。

 左は、カルタージュ・ハンニバルで乗車後すぐに撮影したもの。

 上左 シディブサイド駅に到着。電車が出ていたところ。

 上右 シディブサイド駅の切符売場。

 駅を下りて、500mあまり逆の方向に歩いてしまった。どうして間違ったかというと、ガイドブックの地図が、上を北として描かれていなかったからだ。 間違いに気付いて駅方向に戻るのもむなしい。

 ところで、チュニジアは大統領の肖像画がわりと多い国だ。

 今度こそ、正しい方向に向かい、青い扉の家が並ぶエリアにやってきた。シディブサイドだ。

 青い扉の家々を見て、モロッコのシャウエンを思い出した。シャウエンは、ここほど洗練はされていないが、街じゅう青い扉の家ばかりだった。ただ、ここはシャウエンのように壁まで青くはなく、壁は白いところが違う。

 もう15時近かったが、遅い昼食をとった。

 シディブサイドの中心にある「ル・シェルギ」に入った。明るいが、日のささない、壁ぎわの半個室に入った。

 下左 メシュイーヤ。野菜を焼いてくだいたものをオリーブ油であえたサラダ。辛い。

 下右 メルケズ。チュニジアのソーセージ。羊肉で作っているのだろう。

 ノンアルコールの店で、飲み物は水。

 左左 カフェ・デ・ナット。有名なカフェらしい。

 左右 美しく花で飾られた青い扉の家もある。

 下 どんどん進み、マリーナが見えるところまで行った。下に降りる道もあり、海岸まで行きたい気持ちもあったが、上がるのが大変なので降りなかった。

 チュニスに戻ってもよかったのだが、まだ日も高いので、TGMの終点のラ・マルサまで行ってみた。

 右は、ラ・マルサ駅にて。

 タ・マルサは観光地ではなく、住宅地だ。

 にぎやかなビーチがあるのだが、ローカルなビーチで、地元客ばかりで、外国人は見かけない。

 ビーチまで行ったものの日差しがきつく、すぐに退散した。

 左左 なかなか雰囲気のよいカフェやレストランが並ぶ通りがあった。

 左右 サイダーを飲んで一休み。

 ラ・マルサ駅に戻り、TGMでマリン駅へ。

 下左 マリン駅でTGMを降りるとメトロの連絡口がある。

 下右 メトロ。

 メトロの内部。非冷房のため、発射寸前まで人が乗ってこなかった。

 ホテルに戻ると18時だった。20時まで休んで夕食に出かけようと思っていた。ところが、20時になっても、お腹はあまりすいておらず、22時頃に食事に出かけることにした。

 でも22時になると、出かけるのが面倒になり、結局、夕食はとらなかった。

 

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