(9)北キプロス その2

レフコシャのホテルでの朝食は、最上階のレストランでとる。食事後、テラスに出てみた。南キプロス側も含め、市内が一望できる展望台である。南北の市街を見ると、南北の経済力の差がわかる。高層ビルの数は南側の方がずっと多く、しかも工事中のものもたくさんある。北側は、高層ビルっていっても、この8階建てのホテルが一番高いくらいで、ほかには高い建物があまりないし、工事中のものも少ない。国の存在自体が、国際社会で認められていないために、外国企業が安心して投資できないのであろう。

  遠くに見えるのが南キプロス側

午前中は、レフコシャの市内を歩いて見て回る。とはいっても、レフコシャでも、博物館系のみどころが日曜日は休み。レフコシャは、城壁で囲まれた中の旧市街の道路が迷路のようになっていて、たいへんわかりづらい。だから、地図を見ていても現在位置が把握しにくい。南北分断の壁のすぐ北側にあるセリミエ・ジャミィに向かうが、ホテルから300mしか離れていないのに、迷ってしまった。このジャミィ、13世紀にキリスト教会として建造されたものだが、オスマントルコに征服された16世紀以後はジャミィになった。外観だけから判断するとキリスト教会である。よく見るとミナレットがそびえているので、ジャミィであることがわかる。

  セリミエ・ジャミィ

セリミエ・ジャミィのすぐ近くに、ビュユック・ハンというケルバンサライがあった。以前は、一般客も泊まることができる現役の宿としても機能していたようだが、工事中であった。まだまだ時間があったので、昨日行ったイイットレル公園を再度訪問。南側をのぞき、城壁に沿って歩く。国連の監視所もあるのだが、無人であった。ギルネ門近くの北キプロスの大統領官邸の周辺で、銃をかまえた兵士が警備していることが、数少ない緊張感を漂わせている。

レフコシャ最大の繁華街ギルネ通りも日曜の午前中は人通りが少ない。みどころのひとつメヴレヴィー修道院も休みで中にははいれない。ホテルのすぐそばには、アタチュルク広場があった。トルコの町には、アタチュルク公園、アタチュルク広場、アタチュルクの像があちこちにあり、トルコの紙幣はどの金種ともアタチュルクの肖像が描かれている。だが、北キプロスにまであるとは思わなかった。

10時30分、ホテルにいったん戻って休憩する。12時にホテルをチェックアウトすることにして、シャワーを浴びて、しばらく休憩。チェックアウト後、荷物をかついでマゴサ(ガディマウサ)行きのミニバス乗場まで歩く。レフコシャ、マゴサ間のバスは、ガイドブックでは30分ごとに運行となっているが、日曜日は本数が少なくなるらしい。次のバスは13時発だとかで、40分くらい待たされることになった。客は普段から少ないのか、日曜日だから少なかったのかわからないが、わずかに7人。しかも、途中でほかの全員は下車し、マゴサまで行ったのは自分だけであった。その代わり、1人降りれば、1人乗るといった具合で、常時6,7人の客が乗車していた。

14時前にマゴサに到着。さて、フェリー乗場はどこなんだろうか。運転手や折り返しのバスを待っていた客に聞いても、言葉が通じずよくわからなかった。「地球の歩き方」には、マゴサの地図は掲載されていないのである。港はガディマウサ(マゴサ)のカレイチ(旧市街)にあるのですぐにわかる、という記述があるがカレイチがどこなのかがわからないのだ。これはという方向に歩いていくと、インフォメーションがあり、昼休み中のようであったが、無理に入れてもらい聞いてみる。どうも、バスを降りてカレイチへの近道があったのに、遠回りしているようだ。それでも、歩いて行けそうなので、さらに歩く。ほとんどの人は車で移動するのであろう。暑い中を歩いている人はほとんどいない。

15時前、マゴサのカレイチのはずれにある港までやってきた。先に切符を買っておこうと思ったが、19時に来るようにいわれ、それまでカレイチですごすことにした。マゴサで一番目立つ建物は、ララムスタファパシャ・ジャミィ。ここも、14世紀にキリスト教会として建てられたのだが、16世紀のオスマントルコの征服後にジャミィになった。

  ララムスタファパシャ・ジャミィ  赤はトルコ、白は北キプロス国旗

このあと、昼食と夕食を兼ねた食事をこのジャミィの前の店でゆっくりとり、さらに、広場近くで座って時間をつぶす。サラミスというローマ遺跡が近くにあるのだが、16時までということなので行かなかった。ミニバスでマゴサに到着したらすぐに車を見つけて訪問すればよかったのだが。

マゴサで、船旅用のミネラルウォータや菓子を購入。このとき、お釣りのなかに、1万TL札が混じっていた。1万TLは約0.88円で、コインが用いられている。この1万TL札を、翌日以降、トルコで使おうとしたが受け取ってもらえなかった。帰国後、調べてみたら2年くらい前に、1万TL札は使用停止になっているのだった。では、なぜ1万TL札を渡されたのか。北キプロスでは、1万TL札が流通していると考えられる。だが、北キプロスでも使えなのだが、わざと使えない札を事情のわからない旅行者に渡したのかもしれない。真実はどちらなのだろうか。調べてみたのだが、よくわからなかった。

  マゴサ港  フェリー乗場は左奥のほう

19時にフェリー乗場に行く。まずは、切符の購入。この切符を買うのが一苦労であった。なにしろ、時間がかかるのである。国際航路であるので、名前をチェックしたり、出国税や港湾使用料を徴収したりと複雑な作業がいる。自分以外は、北キプロス人とトルコ人は身分証明書をだしている。結局、10数人の行列であったのに、切符が買えたのが20時30分ごろだった。切符を買うだけで疲れてしまった。後ろの客からは罵声がとびかっていた。

このあと、出国審査と税関を通ると、すでに埠頭にはフェリーが着岸し、大勢の客がすでに乗船していた。乗船時にパスポートを預けなければならない。座るところを探すのに苦労する。船室内にするか、デッキ上にするか迷い、デッキ上の椅子を確保した。船室内が暑くて息切れしそうだったからである。ほとんどの乗客は、大量の荷物を携えている。

21時発ということだったが、21時20分ごろ出港。デッキ上は、心地よい弱い風が吹き、気持ちがいい。最初の3,4時間は、気持ちよくすごせた。ところが、深夜の2時ごろから、風が強くなり、船も揺れだした。何度かは、デッキの上にまで波しぶきが飛んできた。マゴサを出港してから、しばらくの間は、キプロス島の陸地に沿って航海するので、風は強く吹かない。だが、その後は、地中海を吹く強風をまともに受けるのだ。念のため持参してきていた、長袖シャツを着て、さらにウインドブレーカで風をしのいだ。とても、寝ていられる状態ではないのだが、ほとんどの人は気にせずに眠っているようである。

  一夜を過ごしたデッキにて(翌朝撮影)