1 日 目 (2)
ホノルルにて
|
ホノルル空港のターミナルビルを出た。ツアー客用の集合場所には、日本人ツアー客が
多勢いた。海外でこれだけ多くのツアー客の集団を見たのははじめてだ。日本人の海外旅行先で一番人気がある場所だということがうかがわれる。 路線バスであるThe Busの乗り場を探したが、なかなか見つからない。最初は意外と涼しいところだと思っていたが、歩いていると汗が出てきて、やはり暑い。 |
上左 この車を見ると米国に来たって思う。 上右 ようやく見つけたThe Busの停留所。ここから乗った客は自分を入れて3人。 左 空港から乗ったバスの車内。 ホノルルの公共機関は鉄道がなくバスだけ。バスは結構、オアフ島の中をあちこち走っていてかなり便利そうだ。このバス、The Busという。よくわかる名前だ。 |
空港から乗ったバスはイラオニ宮殿の前で下車した。左は下車時に撮影したもの。 空港から市内への主要な足にはなっていないようだ。 理由はThe Busに大きな荷物を持って入れないからだ。バス停に貼ってあった注意書きをを読むと、荷物は座席の下に入れるか、膝の上に置かねばならない、とある。通路などに置くのは禁止だ。だからスーツケースを持って乗れないのだ。よって、普通の観光客は、ツアーでなければタクシー利用となることが多い。自分は荷物がリュックひとつだったのでThe Busに乗れた。 |
7月から運賃が2.25ドルから2.5ドルになったという掲示
。
一年ほど前には2ドルから2.25ドルになっている。でも持って行ったガイドブックは古い版だったので2ドルになっていた。それで空港から乗った最初のバスでは2ドルを払って乗ってしまったが、ドライバーは見逃したのか、何も言われなかった。次に乗る時からは2.5ドル払った。 |
The
Busの上手な利用法として、Transfer Ticketの利用がある。乗車時にTransfer
Ticketをもらう。そうすれば、下車後、2時間以内ならば、ほかのどんなバスにも乗り継げるのだ。 空港から乗った時も、乗車時にTransfer Ticketをもらい、イラオニ宮殿で下車して、宮殿の観光を行い、2時間ぎりぎりに同じ系統のバスに乗って、ホテルのあるワイキキに向かった。 また、翌日だが、ワイキキからアラモアナというションピングセンターへ行った時も、食事をして、2時間以内に、逆方向のバスに乗ってワイキキに戻った。 さて、イラオニ宮殿に行く前に、カメハメハ大王像を見ておく。カメハメハ大王は、1810年にハワイを統一してハワイ王国を建国した初代国王。後ろはかつて の裁判所。 |
続いてイラオニ宮殿へ。19世紀末のカラカウア王の時代にできたのだが、まもなく王朝が倒され、ハワイは米国の植民地となっていった。 11時30分から日本語のガイドツアーがあるので、間にあうように行ったのだが、予約で満員だということで、12時からのオーディオツアーに参加となった。 オーディオツアーは、音声機器を自分で操作して自由に見学するものだが、入場時間は指定される。
|
12時までかなり時間があったので、近隣を散歩してみた。 上左 州政府。 上右 リリウオカラニ女王像。ハワイ王国最後の女王。 左 州政府の中は服ぬけになっている。
|
上右 ダミアン神父像。ハンセン病患者を献身的に世話し、自らもハンセン病でなくなった。1995年にカトリック教会の聖人となった。 左 ワシントン・プレイス。女王を廃位させられたリリウオカラニが余生を過ごしたところ。
|
左 セント・アンドリュース大聖堂。カトリック教会。入口は大きなステンドグラスになっている。 上 朝鮮戦争・ベトナム戦争のメモリアル。これがメモリアルなのか、他にあるのかよくわからなかった。
|
いろいろ回っていたら、12時集合のところ少し遅刻してしまった。集合はイラオニ宮殿の裏口の階段を上がったところ。 ここで靴にビニールカバーをつける。そしてオーディオ機器を渡される。そして中に入るが、中は撮影禁止。 ハワイは独立王国であったが、19世紀末に、米国によって征服され、植民地になったことが理解できた。その後、州になって、本土と対等になったのはいいが、そのことで、征服や植民地化のことが見えにくくなった面もあるようだ。 |
今はハワイは本土に同化し、本土との違いはあまりなくなった。移民や白人にのまれてハワイ人は目立たなくなってしまった。本土でアメリカインディアンが絶滅に近い状態にさせられたことに似ているように思う。
ただ、ハワイ本来の文化をすてさせられ、本土に同化させられることと引き換えに、独立王国なら達せられなかった生活水準の恩恵は得たので、一概に悪いとはいえない。また、日本と沖縄の関係に似たもので、日本人がとやかく言えないとも思う。 見学後、外に出ると、オープンエアコンサートをやっていて、アロハ・オエなどを聞いたりした。これは、毎週金曜日に行われるのだという。ラッキーだった。 |
Transfer Ticketを使って、The Busに乗車し、イラオニ宮殿の前からワイキキに向かった。 ワイキキの終点でバスを下車し、5分ほど歩いて、エバホテルへ。 右 エバホテル外観。 下左 泊った部屋。 下右 窓からの眺め。かろうじて少しだけ海が見えた。 1時間ほど休憩ののち外出した。 |
ワイキキのいたるところにABCストアというコンビニがあった。ワイキキ以外でもあったが、ワイキキには密集状態であった。逆にワイキキでは、他のコンビニを見つけるのに苦労する。
名前だけは今回の旅行以前から知っていたが、ガイドブックを見てわかるまで、コンビニの名前とは思わなかった。もっと大きなショッピングセンターかスーパーかと思っていたのだ。 ABCストアが普通のコンビニと違うのは、観光客向けにお土産を多く売っていること。Tシャツ(これはお土産でもあるだろうが)、サングラス、ビーチサンダル、サーフパンツなど観光客が現地調達でよく買うであろう品物も多い。 |
ただ、お土産っても、マカデミアナッツ入りのチョコレートの割合が異常といえるくらい高くて、ほかのお土産が手薄だと思った。固いナッツは困るので、ほかのものを探そうとしたけれども、適当なものがなかなかないと思った。
ホテルの近くにもABCストアが何軒かあって、飲物やちょっとした食べ物(スパムむすびとか)を買うにはとても便利だった。 さて、The Busの停留所の中には、ハワイらしい雰囲気の屋根がついているところも多かった。ホテル近くのバス停でもついていた。 |
バスで向かった先は、ハワイ日本文化センター。 その近くでバスを下車すると、目の前に鳥居があった。鳥居の額は、一方が「厳島」、もう一方が「HAWAII HONOLULU」(縦書き)になっていた。鳥居の額の文字がアルファベットというのは笑えるものがある。 そばに説明が書いてあり、広島とホノルルの友好の鳥居だそうだ。 |
ハワイ日本文化センターは、ハワイの日系アメリカ人の歴史の展示を行っている。 日本人移民が当初どのような生活をしていたかということや、第2次大戦時には、日系アメリカ人の一部は本土の強制収容所に送られ、また一部は米国への忠誠を誓って、欧州戦線の最前線で活躍したということなどが説明されていた。LAの全米日系人博物館で見たことと重なり合う部分がかなりあり、日系アメリカ人の理解に役立った展示だった。 |
ホノルルはオバマ大統領が少年時代の一時期をすごした街だ。 ホノルルのツアーのオプションツアーにはオバマ大統領めぐりがあって人気だそうだ。オバマ関連の場所のうち4箇所が狭い範囲内にかたまっていたので行ってきた。 上左 オバマが生まれたカピオラニ病院。 上右 オバマが通ったブナホウスクール。 右 オバマが住んだ家があるマンション。 |
右 オバマがはじめてアルバイトをしたというアイスクリーム屋。 |
ハワイ日本文化センター付近からオバマめぐりをしたエリアへはバスの便がよくなく、かなり歩いた。 オバマエリアからワイキキへはバスで戻った。このときのバスは2両連結のバス。The Busでは2両連結のバスがかなり多い。 |
昼食を抜いていたので、ワイキキに戻ると、17時と少し早いが夕食にした。 食べたのはロコモコ。 ロコモコは、ご飯(食べたお店ではもち米のようでした)の上にハンバーグを置いて、その上に目玉焼きをかぶせた料理。 まぁ、ごく簡単なものだが、ハンバーグに目玉焼きっていう発想がすばらしい。 |
食べたお店ではお皿ではなくボウルに入っていたので、日本のどんぶり物に似た感じだった。日本では似たものをロコモコ丼ということもあるようだが、日本では見たことがない。 ホノルルでは名物? の"ロコモコ"と"スパムむすび"は絶対に食べようって思っていた。もっとも両方ともどこででも食べられるって感じであった。 どちらも名物といっても、ハワイの伝統料理ではなく、第2次大戦後に日系人が考えだしたもの。古くからのものではないのだが、今ではハワイを代表するような食べ物になっている。 飲物はビールにした。難をいえば、食事も飲物も高いなってこと。
|
食事を終えるともう暗くなっていた。ホテルに戻る前に、暗闇の中、ワイキキの浜辺に出てみた。 ホテルの明かりが海に映し出されてきれいであった。 このあと、ロコモコだけでは、少し物足らなくて、ABCストアでスパムむすびやビールなど、それに翌日の朝食を買って帰った。 |
スパムはソーセージに類似しているが、缶詰に入っていることが多く、角型である点や塩味が多い目などの点が違う。日本では沖縄でだけ普及していて、沖縄では"ポーク"という。(沖縄に行かない方に説明すると、沖縄では"ポーク"は豚肉じゃなくスパムのことをさす。)
|
|