灼熱のウズベキスタンを行く(10)

【サマルカンド空港】

 今回の旅で初めての快適な宿。アフラシャブホテルはエアコンが効いていて、冷蔵庫も利用できた。ちょっと贅沢しすぎかなとも思ったが、このホテルに泊まったおかげで、体調が多少回復したようであった。

 この国へきて8日間、連日40度を越える猛暑が続き、宿では裸になる毎日であった。暑い上に、水分取りすぎで腹具合はよくないし、睡眠不足からくる疲労もひどい。だが、このホテルに一晩泊まって身体の調子がずいぶんよくなったように感じる。

 久しぶりに熟睡し、夜明けを迎える。残念ながら、自分の泊まった部屋は、ホテルの真中にあるプールの側に面していてサマルカンドの市街を眺めることはできない。

 この日サマルカンドをウズベキスタン航空の国内線でたち、タシケント乗換えでフェルガナへと向かう予定になっている。しかし、ウズベキスタン航空の路線網は、国内各地と首都タシケントを結ぶことに重点が置かれていて、国内各地の相互を結ぶ便はほとんどないだけでなく、タシケント乗換えで国内各地を行き来するのも不便なフライトスケジュールになっている。

 サマルカンド発は8時30分で、この便は9時50分にタシケントに到着する。一方、タシケントからフェルガナに向かう便は10時50分にあるのだが、この便の予約は受け付けてもらえなかった。そのため、手元にある航空券には、手書きの見にくい文字で、タシケント発17時30分と書かれている。タシケントで8時間近く待たねばならないのだ。

 空港には7時30分には到着していたい。となると、ホテルを7時には出発して、タクシーに乗りたい。朝食は7時30分からとれるということであったので、ホテルにチェックインする際に、朝食抜きを申し出ていた。

 6時50分に部屋を出、チェックアウトする。この国では、たとえ高級ホテルであっても、ホテルの玄関でタクシーが客待ちしていることは少ない。早朝でもあり、客待ちのタクシーには全く期待できない。

 タクシーを求めて、ホテルの前の大通りでしばらくタクシーを待つ。なかなかタクシーの空車がやってこない。10分以上タクシー待ちをして、ようやくタクシーを捕まえる。アエロポルトとロシア語で行先を指示。

 郊外の住宅地を抜け、10分ほどの乗車でサマルカンド空港に到着。すぐ近くにバスターミナルもある。路線バスで空港近くにまでやってくることができる。

 出発までまだ1時間以上ある。だが、それにしては、あまりにも閑散としている。2人連れの客がベンチに腰掛けているだけだ。ほかの客はなかなかやってこない。出発時刻40分前になって、ようやく搭乗手続きが始まる。といってもカウンター前に並んだりはしない。パスポートと航空券を見せて、搭乗券を受け取るだけだ。搭乗券には席番が入っていない。自由席なのだ。荷物は客が全部、機内に持って入ることになっているようで、荷物の重さを量られるところはない。

 続いて、荷物の検査があるのだが、どの空港にもあると思っていたX線による検査機がここの空港にはないのだ。一人づつ荷物を開けて、係員が中身を点検するのだ。一人づつの検査に時間がかかるのだが、幸い乗客はごくわずかであるので、そう待たされることはない。自分の番になり、やはり荷物を開け、いくつかは手にとられて検査される。

 荷物の検査を終えた客は、搭乗客用の待合室で待つ。待合室から外にすぐに出られるような構造になっている。この空港では、ターミナルから飛行機まで歩いていくようになっているようだ。これまた初めての体験だ。

 本日の乗客は20人ほどだ。サマルカンド、タシケント間は一日に2便しかないが、乗客はたいへん少ない。この2都市間の移動は、自動車での移動が圧倒的に多いのであろう。


【予約便変更に袖の下】

 サマルカンド空港では、待合室から飛行機まで歩いて移動する。100mくらいか。機種はTU154(ツポレフ)。国際線にも使われている大きな機体だが、乗客はたったの20人程度。そのため、前方の座席に全員が案内される。真中から後ろの方は閉鎖されている。

 そして自由席。搭乗券に席番号が指定されていなかったので、こりゃ自由席だから、早くいかなくっちゃと思い、先頭をきって飛行機に乗りこんだのだが、席はふんだんにあって簡単に窓側の席に座ることができる状態であった。

 一応、飲物のサービスがあったのだが、まだ配り終わらないうちに、動き始める。搭乗してから10分もたたないうちの早業である。眼下には、レギスタンなどが見えたが、それもあっという間のできごと。すぐに砂漠と草原の地帯になる。サマルカンドが大都市であるといっても、オアシス都市であるということが実感することができた。

 タシケントまでの約1時間、一本の幹線道路が走っていて、ところどころに小さな町がよく見えたが、それ以外はほとんど無人地帯。草原といっても平地ではなく、ゆるやかな起伏がかなりある。このことは、道路を自動車で走っている場合には気がつきにくいが、上空から眺めるとよくわかる。

 タシケントからウルゲンチまで乗ったツポレフは灼熱地獄であったので、今回も心配していたのだが、今度はやや暑めではあったもののがまんできる範囲内であった。だが、機内の整備は行き届いていない。シートには破れている個所が目立ち、ウレタンがいたるところで見えている。せっかく窓側に座ったのに、窓ガラスの清掃がいきとどいておらず残念であった。

 約300kmの移動があっという間の飛行ですんだ。タシケントの到着は、予定より早い9時30分。さあ、これからが一仕事。サマルカンドのウズベキスタン航空のオフィスで、夕方便しか売ってくれなかったフェルガナ行きの航空券を、10時50分発のフェルガナ行きに変更してもらうのだ。

 タシケント空港で飛行機を降りると、バスではなく歩いて出口まで行くことになっていたので、急ぎ足で出口へ。一番に鉄柵のゲートから外へ出て、出迎え人などの群れをかきわけて国内線のターミナルへ急行する。

 航空券を売っている窓口に並ぶ。わずかの客だが、なかなか前にすすまない。ようやく自分の番になったが、英語が通じないので、予約便の変更ということが伝わらない。相手は、搭乗券に換えるのはあちら、とか言っている感じだ。で、筆談。書かれている出発時刻にバツをして、矢印で1050と書く。ようやく通じたが、外国人向けの窓口に行くように指示される。

 その窓口には、先日、ウルゲンチへ向かうときに見た係員と同じ人物が座っている。英語の通じる希少な係員である。はじめから、この窓口にきていれば、並ぶ必要などなかったのだ。

 こちらでは、すぐに話が通じたのだが、変更はできるがお金がいるという。しかも、お金はパスポートにはさんでだすように、とのこと。いくらかということは言わず、some moneyとだけ言われる。そして、しばらくしたら合図をするので、そこで待っておくようにとのこと。

 いくらお金をはさむのがよいのかよくわからない。当然、こういうサービスは無料でするものナあか。お金を出さないと変更してくれないだろうが、パスポートにはさんで出せということは、相手も見つかれば困るわけだ。で、$5紙幣を二つ折りにしてパスポートにはさんでおいた。$5といっても、物価水準などを考えれば、日本での$50くらいの感覚のはずだ。

 しばらく待って合図があり、カウンターへ行きパスポートを出す。係員は、紙幣をさっと机の中に隠して、あとは何食わぬ顔をして、搭乗券を作っている。そして何もなかったかのように、そこのゲートから中に入れとか、当たり前の説明をする。搭乗券をうけとると確かに10時50分の便になっているし、航空券の方は、時刻が書きかえれられてハンコが押してある。


【複雑怪奇な国境線】

 タシケントで1時間待ちでフェルガナ行きに乗れることになり、昼過ぎにはホテルに入れる。夕方便になることを覚悟していただけに、ラッキーなことである。だが、旅立つ前に日本で立てていてスケジュールでは、この日の早朝にフェルガナ入りできるはずだったのだ。

 つまり、サマルカンドから列車でフェルガナに入るのだ。この列車は、是非乗ってみたかったのだ。どうしてかというと、この列車は、サマルカンドを出発すると、しばらくしてタジキスタン領内に入り、しばらくタジキスタンを走ってから、再びウズベキシタンに入国するのだ。列車に乗れば、タジキスタンも一応行ったということにできるので、乗りたかったのである。

 この場合、ビザは不要なのだ。CIS諸国間でのビザ協定(ただしトルクメニスタンは除く)によって、他のCIS諸国のビザを持っていれば、ビザがなくても通過が許されることになっているのだ。もっとも、かなり曖昧な規定であり、ビザをとっておくことが望ましいのであるが、ウズベキスタンとタジキスタンの間では、このい規定通りの扱いがなされているらしいのだ。従って、タジキスタンのビザがなくても、ウズベキスタンのビザがあれば列車に乗れるのだ。

 しかし、ウズベキスタン入りしてからの余りにも過酷な暑さに閉口し、体調もすぐれない中、暑いと言われている列車に乗るのはやめておくことにしたのである。

 ソ連時代には、タシケントからフェルガナへ行くには、このルートがメインルートであった。つまり、タシケントから、サマルカンドを経て、タジキスタン内を通過して、フェルガナに向かうというルートが当たり前のルートであったのだ。鉄道の場合はもちろん。自動車の場合もこのルートが、自然なルートであったのだ。このルートは平地を行けるのだ。

 ところが、ウズベキスタン領内だけを通って、タシケントからフェルガナへ行こうとするとどうなるか。この場合は、途中、2000m級の山地を越えなければならないのだ。そのため、つい近年までは、あまり利用されていないルートであり、道路の整備も遅れていた。いまでも、このルートを通る路線バスは運行されていない。大型バスの通行しにくい区間が、いまだに残されているからだ。

 ところが、最近になって、CIS諸国間の結びつきが次第に弱まり、各国の独自性が強く前面に出てくると、形ばかりであった国境が、だんだんと越えるのが制限されるような国境になってきたのだ。そのため、タシケントから山越えしてフェルガナ入りするルートの利用が増え、逆にタジキスタン経由のルートは利用が減ってきたのだ。

 こんなことになるのは、国境が複雑に引かれているからだ。このような複雑な国境線は、ウズベキスタンとキルギスタンの国境だけではない。地図をよく見ればわかるが、ウズベキスタンとキルギスの国境、タジキスタンとキルギスの国境、ウズベキスタンとトルクメニスタンの国境などについても言える。

 どうしてこのように妙な国境線が引かれているのか、はっきりしたことはわからないのだが、スターリン時代にわざと引かれたものであると聞いたことがある。もともと、このあたりは、はっきりした国境などなかった。スターリン時代に、特定の民族を優遇あるいは抑圧するような目的を持って、無理やり引かれたらしい。それでも、ソ連時代には、各共和国の国境はたいして意味を待たなかった。ところが、その国境線によって分けられた国がそれぞれ独立したため、不便なことが現れてきたのだ。

 こうした複雑怪奇な国境を上空から眺めてみたい。タシケント空港で1時間待つ。先日、同じ待合室で、ウルゲンチ行きを待ったが、そのときには日本人のグループと一緒だった。しかし、この日は日本人の姿はみられない。フェルガナは観光地ではないので、日本人で行く人は多くないのであろう。


【タシケントからフェルガナへ】

 タシケント出発時刻の10時50分になって、ようやくバスに乗って飛行機のところまで運ばれる。今度はどんな機体かと思っていたら、JYK(ヤコブレフ)40という中型機。空港内には、TU154とならんでJYK40がたくさん駐機している。

 機体の最後部から乗りこむと、機内の狭いこと。真中の通路を隔てて2人席が約10列強。搭乗できるのは40人あまりである。自由席であったので、機体前方の窓側席を確保する。荷物は機内持込であったので、足元に置くと足の移動が難しい。足元に置けない人のためには、荷物置場が設けられていた。

 すぐに満席となる。タシケント・フェルガナ間は、陸路で行く場合、山岳ルートを通るか、タジキスタン経由ルートを通らなければならないので、空路の需要が多いのか、一日に4、5便が設定されていた。とはいうものの、このような小さな機体だと十分に需要をまかなってはいないだろう。

 先ほど、カウンターで夕方便からこの便に変更してもらったのであるが、自分が変更したために、予約していてもこの便に搭乗できなくなった人がいるのではないか。だとすれば、$5で横入りしたようなもので、せっかく搭乗できたものの、割りきれない気持ちが残った。

 すぐに飲み物のサービス。短時間のためか他のサービスはない。間もなく離陸。船を連想させるような丸窓からタシケントの市街を眺める。サマルカンドも空から見ると大都市と思ったが、タシケントはさらに大きく、建物の建っている地域が延々と広がっている。

 飛行機は草原と砂漠の上空を飛ぶ。雲がない湿度の低い地域だけに、地上の様子が手に取るようによくわかる。日ごろ見なれない風景が堪能できた。

 しばらく飛行したのち、大きな湖が眼下に見えてきた。湖の周辺には、農地が広がっている。乾燥の激しいこの地域にとって、水が確保できる大切な湖だろう。しかし、ところどころ、塩が噴出して地上が白くなっているところもあり、ここの水が農業に適しているのかどうかはよくわからない。

 ところで、地図をよく見ると、この湖の西端はタジキスタン、大部分はウズベキスタン領になっている。そして、湖にさしかかるまでの区間はタジキスタン領の上空を飛んできたのだ。ウズベキスタンの国内線なのだが、山岳地域を避けて、平地の続いているタジキスタン領を経由して飛行機が飛ぶようだ。このあたりの国境が不自然であることがよくわかるフライトだ。

 ウズベキスタン領に入ると、農地が延々と続いている。ここがフェルガナ盆地である。飛び地ではないが、山脈にさえぎられて、タシケントやサマルカンドのあるウズベキスタン中核部からみて、事実上の飛び地のようになっている。

 ところが、この地域は、中核部よりも土地は豊かで、水も得やすいとあって、農地が多いのである。サマルカンドからタシケントまでのフライトで見た景色とは全く違う。

 人口も面積の割には多くて、ウズベキスタンの人口の5分の1はフェルガナ盆地に集まっているという。さらに、都市の密度も高く、フェルガナをはじめ、コーカンド、アンディジャンなどの都市がさほど広いとはいえない盆地の中に散らばっている。

 上空から農地や市街地などを見ていたら、もう搭乗機は下降を始めた。町がたくさんあって、どれがどの都市であるかわからないままにもうフェルガナ到着なのだ。

 確かにフェルガナの市街地は大きい。タシケントには及ばないが、サマルカンド並みだ。違うのは、サマルカンドの周囲が砂漠と草原であったのに対して、フェルガナの周囲には緑が多いこと。どことなく穏やかさを感じさせる町である。


【緑の多い町フェルガナ】

 フェルガナ空港に無事到着。飛行機の止まったところから出口まで100mくらいある。ターミナルビルの端にあるその出口はさびついた鉄製の格子状のもので、飛行機が着いたときだけ開かれる。出口の外側は黒山の人だかり。搭乗客よりずっとたくさんの出迎えの人たちである。出口を出て、タクシーを探そうとするまでもなくタクシー、タクシーとあちこちから声がかかる。

 空港から乗るタクシーには気をつけないといけないというのが、世界共通の鉄則である。でも、この日は、連日の暑さでかなり疲れていたうえ、腹具合も良くない状態が続いていた。正規のタクシーかどうか確かめることなく自動車に乗ったら、正規のタクシーではなかった。

 泊まる予定にしているフェルガナホテルと告げる。500sym(約150円)という。運転手は、値段だけは英語がわかるようで、400symに下げるようにいうが、安くはならない。今までの都市で乗ったタクシーは、市内だけなら300~400symだったので、多少高いが、乗る車を間違えたのにそれだけですんだから良かったのかもしれない。

 10分ほど走ってフェルガナホテル着。ガイドブックによると、このホテルは、かつてのインツーリストホテルということだ。そのめ、古くて使いづらいのは覚悟していたが、かなり大きなホテルを想像していた。かつては、外国人はここしか泊まれなかったのだろし、それなりの造りにはなっていると思っていたのだ。



 だが、着いてみて、本当にインツーリストホテルだったのだろうかと思えるような貧弱な建物だったので驚いてしまった。しかも、フロントというか受付窓口か切符売場のようなところでは、またしても英語は通じない。でも、この頃には英語が通じないのにも慣れてしまっていた。部屋代がいくらかというのも、紙に値段の数字を書いてもらってわかる。ところが部屋のタイプがいくつかあるらしいのだが、何を言っているのかよくわからなかった。

 結局、ガイドブックに書いてある値段よりはかなり安い2490sym(約750円)の部屋に泊まることにした。まず部屋を見るように言われたので、指定された階へあがると、その階の担当者が待っていて、部屋まで案内して鍵をあけてくれた。バス、トイレはきれいではないがしかたがない。水、お湯が出るのが確認できたので、それでよいことにした。だが、実はあることを確認すべきだったのだ。このときはそのことに気づかなかった。

 ここに2泊することにし、再び1階に戻って、代金を払った。そして、先ほどの部屋に戻ったあと、少しだけ休んだだけで、出かけることにした。

 ホテルからバザールやバスターミナルのある町の中心まで1kmほどあるのだが、その間の道は、並木道になっていて直射日光がさえぎられているうえ、道に接して広大な公園があるのだ。しかも、その道は自動車乗り入れが禁止されているので、空気もきれいで安心してあることができた。



 翌日にほかの道も歩いて気づいたのは、フェルガナはたいへん緑が多い町だということだ。いたるところに並木道があって、気持ちがいい。

 さて、道の左手に公園、右手に百貨店などを見ながら歩いていくと、まもなく水を大量に送っている水路を渡る。これがフェルガナ運河である。相当なスピードで水が流れていて、水量も多い。これだけの水が得られるのだから、緑の多い町であるということも納得がいく。



 運河を渡るとすぐに、町の中心のバザールに到着。まずは腹ごしらえ。この町でも外食メニューはほかと同じで、シシャリク、ブロフ、ラグマンくらいである。ブロフを注文したが、ほかのところ以上にオリーブ油をたくさん使っていて、油に浸されたご飯を食べているかのようであった。

 食後、バザールの見学はあと回しにして、まずは近郊の町マルギランへ向かうために、ミニバス乗場を探した。



【マルギラン】

 フェルガナの中心部のバザールまでやってきたが、バザール見物は翌日に回し、まずはフェルガナの北10kmほどのところにある町、マルギランに出かけてみることにした。

 バス乗り場に行ってみると、フロントに行先を表示したワゴン車が何台か止まっている。マルギラン行きはないかと思って探していたら、10歳くらいの男の子が、マルギラン!、と言って客寄せをしていたのでそちらに向かう。行先を確認して、ワゴン車に乗りこむ。自分が定員一杯の最後の客だったようで、乗ったとたんに発車であった。

 父親が運転手、まだ幼い感じの男の子が車掌をしていて、運賃集めやドアの開閉などは男の子の役目であった。運賃は乗る前に確かめなかったが、他の人が払う金額のを見て、35sym(約10円)払った。細かい紙幣を持っていて良かった。真夏だったので、学校は夏休みだったのだろうが、休みでないときも男の子は働いているのだろうか。ちょっと気になった。

 車はすぐにフェルガナの町を抜け、畑の中の道を突っ走る。道路状態もよく、何車線もある立派な道路である。フェルガナ盆地は、ブハラやサマルカンドの周辺とは、景色がかなり違っている。緑が多いのである。道路の両側には青々とした作物が栽培されているし、いたるところに樹木が立っている。ウズベキタンのうち、面積ではごく狭い範囲でしかないのに、人口では6分の1を占めているというのもうなずける。

 やがて大きな橋を渡るのであるが、その川に見えるのが実はフェルガナ運河の本流らしい。すいぶん幅が広くて、河川敷のようなところもあって、自然の川と変わらない運河である。フェルガナの市内を流れていた運河もこれから取水しているのだろう。

 20分くらいでマルギランに到着。バザールの近くであった。まずは、少し離れたモスクに歩いて向かう。ここのモスクは少し変わっていた。木造建築であるのだ。そして、中庭には藤棚が作られているのが印象的だ。藤棚の下にもじゅうたんが敷いてある。ここでお祈りをする人もいるのだろう。







 次にバザールへ向かう。たいへんにぎわっている。フェルガナと10kmほどしか離れていないが、どちらのバザールもたくさんの人々を集めているものだ。売られている品物は、サマルカンドやタシケントのバザールと同じで、野菜、果物、米、肉、魚、日用雑貨品、衣類と一通りそろっている。ところどころにジュース屋があってのどをうるおしながらのバザール見物である。

 キムチ売場があるのが、ウズベキスタンのバザールの特徴であるが、ここのバザールや次の日に見たフェルガナのバザールは、とくにキムチ売場で出店している人が多く、販売されているキムチの種類も多い。ウズベキスタンの朝鮮系の人たちは、フェルガナ盆地に特にたくさん居住しているからだ。

 バザールを見たあと、フェルガナに戻るため、ワゴン車を降りた近辺に戻る。きっと降りた場所の道路を隔てて向かい側が、フェルガナ行きの乗り場だろうと思ってそこへ行くと、やはりいろいろなところへの行先を表示したワゴン車が止まっていた。フェルガナ行きは出てしまった直後みたいで、近くのジュース屋で飲み物を飲んだりして休んだ。

 やがてフェルガナ行きがやってきた。他にも待っていた客がいて、乗ったたすぐに満員になって発車である。行きと同じ35symを用意していたら、今度は、他の人たちがみな50sym(約12円)払っているので、あわてて50symを取り出して運転手に払った。車によって運賃が違うのだろうか、それとも行きかえりで運賃が違うのだろうか。今度は車掌は乗っていなくて、ドアの開閉は客がおこなうようだ。

 行きと同じ道を引き返したが、途中で車が不調となり、ときどき止まっては点検をくり返し、スピードも出なかったので、行きの倍の40分かかって、フェルガナに戻った。


【フェルガナの暑い夜】

 フェルガナに戻ると、まだ明るいが、仕事を終えた人たちが町の中心部の歩行者天国に集まり出してきていた。先ほどは閑散としていた通りも人々であふれかえっている。噴水のまわりは特にたくさんの人たちが涼を求めて集まっている。子どもたちは裸で水遊びに興じている。

 歩行者天国に面して、デパートがある。モダンな外観をしていたため引き寄せられたのだが、中は品物が少なく、ケースの中にわずかばかりの品物が置かれているだけという様子を見ると気の毒な感じがした。エスカレーターもあるのだが、電気節約のため使っていないのか、故障しているのか、動いていないのでエスカレーターを歩いて上がった。

 この国のデパートは、たいてい1階が食料品中心、2階が日用品とか電気製品とかが中心、3階が衣料品中心というような傾向があるようだ。衣料品売場は比較的品物が多く、この地域では、綿とか羊毛とかの繊維材料が豊富であることをうかがわせる。また、女性用の民俗衣装のいろいろな柄を見ているのも楽しい。

 ホテル近くまでやってくると、歩行者天国の通りの人通りも少なくなる。そんな中でバンド演奏をしている野外レストランがあった。夕食はここでとることに決め、いったんホテルに荷物を置いてから再びやってきたら、先ほどより客がかなり増えている。きっとフェルガナでも有名な店なのだろう。

 メニューはおいてないということなのでシシャリク、ラグマン、サラダ、コーラを注文する。シシャリクは3種類あるらしいので、2本づつ頼んだ。サラダはトマトサラダ以外にもいろいろとあるようでサラダの置いてあるところへ行って指差しして注文した。だがラグマンはやっていないようだ。

 自分の回りで食べている地元の人たちを見渡しても、みなシシャリクを食べている。料理の種類は限られているのだろう。美味であることは確かなのだが、メニューが限られているのは旅行者にとってはつらいことである。

 1時間くらいかけてゆっくりと食事。地元の人たちも、時間をたっぷりとって食事を楽しんでいる。こういう姿を見ると、この国は、日本に比べてかなり経済的には立ち遅れているが、そのことをもって豊かではないといいきれないと思う。豊かであるかどうかの基準は経済的にどの程度の所得があるかということ以外にも尺度があることを感じた。

 サラダやコーラを追加注文したり、デザートのアイスクリームを頼んだりした。すっかり満腹になったが、1200sym(約300円)でたいへん安い。翌日も夕食にはここへこようと決める。

 ホテルに戻って、シャワーを浴びる。トイレの便座は便器からはずれていて、とてもすわりにくそうな上、すわる気にならないものだっス。・ャワーを浴びる場所も、プラスチックの板が変色していていい気分ではないが、お湯が出ることだけでも良かったと思うことにしよう。

 窓が開かないことに気づいたのは、そのあとのことだった。お湯を浴びて熱くなったので、窓をあけようとしたら、開かないのだ。固定されているのか、たまたま開かないのか、いずれにしても力づくで開けようとして窓がはずれたりしては困るので、無理なことはできなかった。

 フェルガナ盆地は、その周囲のうち三方をかなり高い山脈に囲まれているので、砂漠のそばのヒワとかブハラよりは涼しいが、かなり熱いのである。何とかしようとすればするほど汗がでてきたりして、窓をあけるのはあきらめる。今さら部屋を代えてほしいなんて言えないので、がまんする。明日ももう一晩の辛抱である。

 それに、この部屋には大きなテレビが置いてあったのだが、壊れていて映らない。ならば、テレビなんて置かなければいいのにと思ってしまった。飾りのつもりなのだろうか。動かすのが面倒なのだろうか。