モ ス タ ル

 

 着いた日に8時発のモスタル行きのバスを予約しておいた。サラエボ行きのバスで途中下車するようだ。午前中のモスタルに行くバスはこのバスだけだ。
 
 モスタルは街の真ん中を流れるネレトバ川によって、西側のクロアチア人地区と東側のムスリム人地区に分かれている。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のさいには、両者の戦闘が繰り広げられた街だ。

 バスターミナルはムスリム人地区にあり、内戦で破壊されたが、訪問したときには新しいビルが再建されていた。モスタルには11時半ごろ到着。
 バスターミナルから数分。ネレトバ川を渡ってクロアチア人地区に入ったところにあるホテル・エロ。旅行当時、唯一の予約可能なホテルであった。当時はモスタルにはPKOが駐留していて、PKOの関係者が利用するために、予約が入りづらいとのことだったが、予約できた。
 
 12時だったが、チェックインできて、部屋で1時間ほど休憩した後に街歩きに出かけた。
 まずホテルのあるクロアチア人地区を見て歩いた。破壊され、窓のない建物があちこちにある。
 窓ガラスのない建物はあたり一面にある。右側には、窓ガラスをはめこみ、カフェを営業している建物があるが、修復できているのは半分くらいの建物だ。
 PKOの兵士も何度も見かけた。また白地にUNと書かれた国連関係の車も数分おきに通っている。
 ネレトバ川をはさんで、左(西側)がクロアチア人地区、右(東側)がムスリム人地区。木の橋が架かっているが、これは仮の橋。もともとは木の橋のすぐ後ろの砦のような建物からスタリ・モスト(「古い橋」の意味)が架かっていた。15世紀に建造されたアーチ橋で、川に飛び込む大会が開かれていたことでも有名であった。しかし1993年にクロアチア人側の攻撃で破壊され、停戦後、木の橋が架けられた。
 木の橋を渡り、ムスリム人側に入った。

 右側に工事をしている様子が写っているが、スタリ・モストの再建工事だ。その後、2004年に石橋が再建され、翌年には世界遺産になっている。
 橋の近くは少しだけだが土産物屋が店を出していて、観光客もわずかであるが見かけた。
 
 ムスリム人の地区は少し歩いたが、クロアチア人側のエリアと同じく、復興はさほど進んでいなかった。
 再び、クロアチア人側のエリアに戻り、街の少し郊外を歩いた。

 壁いっぱいに銃弾のあとが残っている建物にびっくり。
 破壊された建物の中を街歩き。車はそこそこ通るが、歩く人はいない。暑いからだ。モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナでも特に暑く、40度近い中を歩いた。歩く人がいないから、破壊された建物のあたりでは不気味な感じがする。
 かつてバスターミナルだった建物だと思う。

 ホテルに戻り、涼んだ後、夕食をとりに出かけた。


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