1 出 発
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![]() 国際線扱いなので、国際線チェックインカウンターで手続きをする。シドニー行きは20時に出発なので、ずいぶん待ち時間がある。それで、この時間を使って、佐倉市に行ってみることにした。この場合、特別な手続きが必要だ。 搭乗券とともに、国内区間搭乗票をもらい、出国手続のカウンターでこれを出すのだ。そして、成田の入国手続のカウンターと税関でも同様にする。出国はしていないので、パスポートにスタンプは押印されない。これをカボタージュ、略してCABOという。
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![]() 空港第2ビル」駅から特急に乗車。特急とは言っても、特別料金不要で、何と佐倉までは各駅停車。 佐倉着は11時。
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![]() 見た後すぐに南口へ。
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![]() まず向かった先は、佐倉高校。右は、記念館という名の校舎。大正の建築だが、修復工事をして現在でも、事務室などとして使われている。ミュージアムになっているのは、下の地域交流施設という建物。
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この学校はミスターこと長嶋茂雄さんの母校でもある。ミュージアムの中には、長嶋さんのコーナーもあった。 |
![]() その中心だったのが佐藤泰然によってつくられた佐倉順天堂。明治時代に順天堂は東京に移転し、順天堂大学に発展する。 記念館の隣に、現在も佐倉順天堂医院があった。佐藤泰然の子孫がやっているという。 |
![]() ここは、佐倉ゆうゆうの里(老人ホーム)や佐倉厚生園(老人向け病院)の敷地の中を通っていくので、ちょっとわかりにくかった。これらの施設は、かつては堀田家が開いた農業試験場の跡地に作られたものだ。 農業試験場には皇太子時代の大正天皇が訪問され、その際、この邸宅には、皇太子用の湯殿が作られたが、湯船はなかった。 |
![]() 堀田正睦の時代、佐倉を桂小五郎が剣道の他流試合のために訪問し、そのときに桂が泊った旅館・油屋は、この駿河屋ができる以前にこの場所にあったという。 |
![]() 旧河原家住宅は、佐倉で残っている武家住宅の中で一番古いもので、調度品の展示から佐倉の武士の生活をうかがうこともできた。
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![]() 画像は本丸跡で広場になっている。一段高くなっているところが、天守閣の跡。 城ができたのは1610年。城主は入れ替わりが激しく、最後の城主だった堀田氏も、いったん改易されたあと、親戚筋が再度、城主になったものである。堀田氏で一番有名な城主が、開国のときに老中であった堀田正睦。 |
![]() 以前はなかった、近代、現代の展示室もでき、充実していると思った。 入館が15時30分で、閉館の16時30分まで駆け足で見てまわったが、十分に見ることができなかった。成田で乗継時間が長い時に、再度この博物館だけを見学しにこようかと思う。 |
![]() 成田空港到着後は、すでに関空で発券している搭乗券をもち、ファストセキュリティーレーンを通って、あっという間に制限エリアに入った。出国検査場もすいていて、すぐに通過。
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1時間30分ほど、JALのラウンジで休んだ。 機内食には期待はもてないので、夕食はラウンジでしっかりいただいておいた。 20時発のJL771 で出発だが、シドニー行きはジャルウェイズの運行のようだ。 搭乗時刻になり、乗り込む。今回は、エコノミークラスの非常口座席を指定しておいた。 |
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![]() 機内ではできるだけ寝るように心がけたのだが、あまり寝られなかった。 到着1時間半ほど前に2度目の機内食。パンは中にピザ味の具が入っていた。 |
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