1  出  発

 

 2度目のオーストラリア旅行は、この国で一番行きやすいシドニーにした。まずは早朝の関西空港へ。2万マイルで行けるキャンペーンがあったので、それを使った特典旅行だ。

 国際線扱いなので、国際線チェックインカウンターで手続きをする。シドニー行きは20時に出発なので、ずいぶん待ち時間がある。それで、この時間を使って、佐倉市に行ってみることにした。この場合、特別な手続きが必要だ。

 搭乗券とともに、国内区間搭乗票をもらい、出国手続のカウンターでこれを出すのだ。そして、成田の入国手続のカウンターと税関でも同様にする。出国はしていないので、パスポートにスタンプは押印されない。これをカボタージュ、略してCABOという。

 

 関西空港から8時20分発の成田行きの国際線扱いの便に搭乗し、10時に成田に着いた。すぐに、ターミナルを出て京成電鉄の駅へ。

 空港第2ビル」駅から特急に乗車。特急とは言っても、特別料金不要で、何と佐倉までは各駅停車。 佐倉着は11時。 

 

 佐倉は橋上駅で、北口と南口があるが、みどころへは南口から向かう。でも、まずは北口へ出た。
  佐倉は、小出義雄監督がマラソンランナーの高橋尚子さんや有森裕子さんを育てたところ。それで、北口には、彼女らをイメージしてつくられた「駆けっ子」 という銅像があるので、一見しておくためだ。銅像の台座には、尚子コースと裕子コースのルートが書かれていた。

 見た後すぐに南口へ。

 

 まず向かった先は、佐倉高校。右は、記念館という名の校舎。大正の建築だが、修復工事をして現在でも、事務室などとして使われている。ミュージアムになっているのは、下の地域交流施設という建物。

 佐倉高校の前身は、佐倉藩時代の藩校として1792年につくられた「佐倉藩学問所」。その後「温故堂」など、何度か校名を変えて現在に至っている。当初は佐倉城内にあったが、佐倉中学校時代の1910年に現在地に移転された。

 

 

 

 この学校はミスターこと長嶋茂雄さんの母校でもある。ミュージアムの中には、長嶋さんのコーナーもあった。

 続いて、順天堂記念館へ。佐倉藩は蘭学がさかんで、幕末期には西の長崎、東の佐倉と称せられるほど医学の拠点になった。記念館の一部は1858年当時の医院の一部。

 その中心だったのが佐藤泰然によってつくられた佐倉順天堂。明治時代に順天堂は東京に移転し、順天堂大学に発展する。

 記念館の隣に、現在も佐倉順天堂医院があった。佐藤泰然の子孫がやっているという。

 続いて、旧堀田邸へ。佐倉藩最後の殿様である堀田正倫が廃藩置県のあと住んだ邸宅である。

 ここは、佐倉ゆうゆうの里(老人ホーム)や佐倉厚生園(老人向け病院)の敷地の中を通っていくので、ちょっとわかりにくかった。これらの施設は、かつては堀田家が開いた農業試験場の跡地に作られたものだ。

 農業試験場には皇太子時代の大正天皇が訪問され、その際、この邸宅には、皇太子用の湯殿が作られたが、湯船はなかった。

 呉服屋だった建物をお休み処にしているところがあった。明治時代のはじめに建てられた駿河屋。畳の上に上がり、さらに奥に進んで、土蔵も見学した。扉も鉄製ではなく、土を固めたものだった。内部はまったく損傷がなく、使える状態だ。

 堀田正睦の時代、佐倉を桂小五郎が剣道の他流試合のために訪問し、そのときに桂が泊った旅館・油屋は、この駿河屋ができる以前にこの場所にあったという。

 このあと、武家屋敷に行った。武家屋敷で公開されているのは、旧河原家住宅、旧但馬家住宅、旧武居家住宅の3軒。

 旧河原家住宅は、佐倉で残っている武家住宅の中で一番古いもので、調度品の展示から佐倉の武士の生活をうかがうこともできた。

 

 さらに佐倉城址公園へ。佐倉城は建物は跡形ものなく残っていない。

 画像は本丸跡で広場になっている。一段高くなっているところが、天守閣の跡。

 城ができたのは1610年。城主は入れ替わりが激しく、最後の城主だった堀田氏も、いったん改易されたあと、親戚筋が再度、城主になったものである。堀田氏で一番有名な城主が、開国のときに老中であった堀田正睦。

 佐倉城址公園の一角に国立歴史民俗博物館がある。ずっと以前に見学したことはあるが、今回は約20年ぶりに訪問した。

 以前はなかった、近代、現代の展示室もでき、充実していると思った。

 入館が15時30分で、閉館の16時30分まで駆け足で見てまわったが、十分に見ることができなかった。成田で乗継時間が長い時に、再度この博物館だけを見学しにこようかと思う。

 少し疲れたので、駅にはバスで戻った。17時すぎの電車で成田空港に戻った。佐倉の滞在時間は6時間で、昼食もとらずに歩きまわり、かなり充実したものだった。

 成田空港到着後は、すでに関空で発券している搭乗券をもち、ファストセキュリティーレーンを通って、あっという間に制限エリアに入った。出国検査場もすいていて、すぐに通過。

 

 1時間30分ほど、JALのラウンジで休んだ。

 機内食には期待はもてないので、夕食はラウンジでしっかりいただいておいた。

 20時発のJL771 で出発だが、シドニー行きはジャルウェイズの運行のようだ。

 搭乗時刻になり、乗り込む。今回は、エコノミークラスの非常口座席を指定しておいた。

 出発後、しばらくして機内食。カレーのように見えるが、牛肉を煮たものだ。ラウンジでしっかりいただいておいたので、機内食はおかずだけ半分ほどいただいただけ。おかず半分とご飯は残した。

 機内ではできるだけ寝るように心がけたのだが、あまり寝られなかった。

 到着1時間半ほど前に2度目の機内食。パンは中にピザ味の具が入っていた。


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