6 ロ ッ テ ル ダ ム |
新マース川を渡る |
![]() この日はロッテルダムを歩き回ることにする。最初に中央駅まで行って、インフォメーションでロッテルダム・ウェルカムカードを購入。10ユーロで、市内の公共機関が無料になるほか、数多くの観光施設が割引になるというもの。公共機関の運賃だけでも元をとれそうだ。 ただ、この日は大晦日なのだが、公共機関は20時でストップするらしい。大晦日は深夜営業とか、大晦日の夜は無料とかいう街は経験しているが、運休するというのは初めての経験だ。 |
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![]() 上右 橋を渡ったところで下車。オランダでは、下よりも上が大きくなっているバランスの悪そうな建築をやたら目にする。 左 対岸から見た、新マース川と橋。 |
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![]() 上右 地下鉄の車内。 左 クルーズボートの乗場へ向う。写真左下が新マース川にかかる橋。信号には、路面電車の絵が表示される。 新マース川は、オランダ南部から流れてきたマース川の下流域の分流のなのだが、実質は流れる水の多くはライン川からの水である。ライン川はオランダに入ると、数多くの分流にわかれるが、その一つが新マース川に入る。だから実質は、ライン川の分流といえる。ロッテルダム港はヨーロッパ最大の港でユーロポートとよばれるが、実質的にはライン川の河口の港といってよいだろう。 |
ユーロポートとキューブハウス |
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![]() ユーロポートと呼ばれるヨーロッパ最大級の港湾だ。 |
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![]() もっと下流まで行けば、コンビナートのある地区もあるのだが、クルーズは港湾地区で引き返した。 |
![]() このあと、海洋博物館へ。こちらはイマイチな感じで、期待外れだった。 |
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![]() 上右 1軒の内部が公開されている。 左 内部は3階建になっている。 |
昼食はニシンとイワシ |
![]() キューブハウスは変わった形の現代建築の代表格なのだが、駅前にあるショッピングセンターも変わった形をしている。それで、ショッピングセンターに入ってみることにした。 |
![]() 下左 チーズ屋。チーズだけを売る店がオランダらしい。 下右 野菜と果物を売る店。肉や魚の店もあるのだが、清潔で臭いもなく気持ちいい。 |
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![]() 上右 ハイネケン。 左 イワシのから揚げ。 |
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バベルの塔と街並み復元地区 |
![]() ガイドブックでは17時までの開館なのだが、美術館についてみると、大晦日のため、この日は16時閉館ということだ。1時間弱で一通り回ることになった。 |
![]() この美術館に来たのは、ほとんどこの絵画を見るためだ。ブリューゲルは「バベルの塔」を2枚、描いている。もう1枚は、ウィーンの美術史美術館にあって、こちらはかなり前に見ている。 絵の大きさから、ウィーンのは「大バベル」、ロッテルダムのは「小バベル」と呼ばている。ウィーンの作品と同じ時期に描かれたのだが、こちらのほうがかなり工事が進んでいるようだ。 |
![]() 風車があるが、新たに作られたものだ。 下左 跳ね橋。 下右 一見、跳ね橋に見えるが、、、。路面電車の架線を支える柱を跳ね橋風にしていたのだった。ちょうどここは、運河にかかる橋の上なのだ。 |
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![]() 下左 デルフスハーフェンのスーパーで夕食のお惣菜を買って、ホテルの自室で食べることにした。 下右 デルフスハーフェンから中央駅に向かう路面電車に乗車。18時すぎだったが、20時から路面電車などがストップするので、家路を急ぐ人たちで混雑していた。 |
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夕食後に年越し花火 |
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![]() 今回の旅では、食事をしなかった到着日を除いて5日分の夕食のうち、4回はお惣菜や持ち帰り料理を買っての部屋食となった。こういう旅もなかなかいいものだと思った。 上右 ビールはアムステルとババリア。ババリアはドイツのビールで有名なバイエルン(ババリア)から名前をとったオランダ製のビールだ。 左 食後は眠くなり、年越しの花火を見に外出するまで少し寝ることにした。最初は23時ごろに起きて外出の予定だったが、寝過ごしてしまい、23時30分ごろに起きて、あわてて外出した。 花火の場所は、新マース川にかかる橋のあたりに違いないと考えたのだが、予想は的中。ただ、出かけるのが少し遅く、橋が見えるあたりまでやってくると、すでに花火がたくさん上げられていた。 |
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![]() 日付が変わって数分後に花火が終わり、ホテルへ戻ることにした。 |
![]() ホテルへ戻ると、玄関には従業員が警備して、宿泊者以外が入ってこないようにしていた。ホテルの面する通りも、市民であふれていたためだ。 |