5日目 午後

 

三度アンコール・ワットへ

  

  最終日の午後は、三度目のアンコール・ワット。

 

 

 

 

 

 

 

 

  このときは、一気に中央祠堂をめざした。西参道からまっすぐ進んでいった。何箇所も階段をのぼり、上へ上へと行った。結局、正面から中央祠堂へ上る階段は入場禁止の区域になっていて、最後の最後に直進できなかった。南側の階段を使って、上へ上った。

 

 

 

  中央祠堂の内部の静かな雰囲気を味わった。外側に座って、ただ物思いにふけった。今度、アンコール・ワットにいつ来れるか、来れないかもしれない。来れても階段を上がれないかもしれない。そんなことを考えていた。

 

 

 

 

地雷博物館

 長く続いた内戦でこの国には無数の地雷が埋められた。そして、今なお、地雷で足を失う人が出ている。

 この博物館は、アキーラーさんの私設の小さな博物館である。彼は、最初、ポルポト軍の兵士として、後に政府軍の兵士として戦争に参加し、敵多数を殺したが、のちに地雷撤去のボランティアをはじめ、撤去した地雷などの展示場をつくったようだ。訪問したときには、アキーラーさんはいないとのことで、直接話を聞くことはできなかった。

 

 

 

 

  小屋の中に、撤去した地雷やその他の武器などを並べている。個人で開設している博物館なので、展示用のエリアは多くないが、説明文は、アキーラーさんの体験に基づくものが書かれていて、きっちり読んでいくと時間がかかる。

  中央の台の上には、パンフレットがおかれいて、来場者はパンフレットを購入して、その代金を払う形で、カンパをするようになっている。

 

 

 

キリングフィールド

 ポルポト時代のカンボジアでは、大量虐殺がおこなわれた。

 シェムリアプでも大量虐殺は行なわれたのだが、その現場が、シェムリアプ市内からアンコール・ワットへ向かう途中、少し横道を入ったあたりにある。そこには、かつて、反抗勢力とされた人たちが入れられた刑務所があり、その近くで多数の人たちが殺されたようだ。

 現在は、そこには寺がたてらているのだが、その敷地の一帯で多数の遺骨がでてきた。敷地の中に左のような納骨堂がつくられていた。納骨堂の中には無数の頭蓋骨がおさめられていた。外側から、頭蓋骨を見ることができるようになっているのだが、背筋がぞっとするものだった。

 

 

 

プサー・ルーのマーケット

  いよいよ、最後の訪問地、シェムリアプで一番大きな、プサールーというマーケットにやってきた。

  さまざまなものを売っているが、なかなか買いたいと思うようなものはない。

  右は冷たい飲料を売っていた店だが、こちらもお腹のことが心配で、挑戦することができなかった。

 

 

 

 

 

  昼間にいったので、客は少なく、店員たちも手持ち無沙汰であった。

  30分ほど内部をぶらぶらして、切り上げた。

 

 

 

 

ホテルのプールで休憩

  ホテルに15時10分に帰着。帰国のためホテルを出発するのは17時30分。この間にシャワーで汗を流し、プールで一休みすることにした。

  ホテルに4泊したのだが、昼間はずっと観光に出ていたので、プールを利用するのは最後の最後になってからであった。

  それでも、日陰のチェアで寝そべってたり、プールに入ったりして、気持ちよく最後のひとときをすごした。

 

 

帰   国

  空港には18時に到着。ラックさんにお礼を言って、分かれる。良いドライバーでよかった。

  到着したときの建物は古い建物だったが、出発するときの建物は最近にできた大きな建物だ。

  出国検査は何と、待合室の一角を利用しておこなわれていた。出国検査がすめば、そこは待合室なのだ。

 

 

 

  待合室はとても明るかった。結局、出発が19時40分だったはずだが、折り返し便が遅れたために20時20分ごろになり、2時間ほどをこの待合室ですごした。

  高速インターネットも使用でき、日本語は使えなかったが、快適であった。

 

 

 

 

 

 折り返し便が到着。まもなく搭乗開始。4日前に乗ってきたのと同じく、派手な塗装のプロペラ機であった。

 

 

 

 

 

  機内食も4日前と同じようなボックスランチ。ただ今度は、アイスクリームが配られた点が違う。

  アイスクリームのサービスをする航空会社はそう多くなく、とてもよかった。

  このあと、バンコクで乗り継いで、翌朝、関西空港に戻った。

     完

 

 

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