5日目 午前

 

戦争博物館

 いよいよ最終日になってしまった。ホテルの朝食を、ゆっくりとれたのはこの日が始めてであった。毎朝、少しづつ種類が違っていたのがうれしかった。

 朝食後、部屋をあけ、チェックアウト。同時に荷物を預ける。こうしている間に、出発時刻の8時になった。ラックさんはすでに、待っていてくれた。

 

 

 

 

 まず、戦争博物館へ向かった。シェムリアップの西部にあり、国道から少し北のほうに入ったところにある。

 軍の敷地らしいところが広がり、その一角に戦争博物館があった。博物館の入口付近に内戦当時、政府軍が使ったソ連製のヘリコプターや戦闘機が置かれている。

 

 

 

 

  中に入ると、雑然と戦車が設置されている。これも政府軍の使ったソ連製の戦車がメインであった。

  模擬地雷原もあった。地雷の設置方法ばどがわかるようになっている。近くには回収された地雷であろうか、地雷の容器が雑然とつまれていた。

 

 

 

 

 内戦当時のポルポト軍の着ていた服装のコーナー。赤地に黄色のアンコールワットの旗は、ポルポト派の使った国旗。

 全体的に、いろいろな武器などの展示品が並べられている博物館なのであるが、何を訴えたいのであるかが、はっきりと伝わってこない博物館であった。

 

 

 

 

(38) 西メボン

  戦争博物館をあとに再度、国道に出る。トラックの荷台にたくさんの人が乗っている。ラックさんは、タイ国境へ行く車だというが本当なのだろうか。

  しばらく国道を走り、空港への入口を越えてさらに少し行ったところから、北に入る。やがて大きな池が見えてきた。砂浜に降りられるようになっていて、そこから船に乗って、西メボンに行くのである。

 

 

 

 

 砂浜は海の砂浜であるかのようにパラソルがたっている。砂浜に下りていくと、すぐに船に乗らないかと声がかかってきた。

 ホテルで船のチャーターは10ドルと聞いてあったのだが、その通り10ドルだという。

 

 

 

 

 すでに、船に乗る前からわかっていたことであったが、西メボンは広大な中州の中になってしまっている。ガイドブックでは、西メボンは池の真中に浮かぶ島で、遺跡のすぐそばまで船で行き着くことができる。

 ところが、乾季には、西メボンの周りが広大な中州になっているのだ。全く予想していなかたことだ。

 

 

   船が中州に到着すると、数人の男たちが集まってきた。バイクのドライバーである。中州の中を西メボンまでおくってくれるようである。だが、自分は、乾季だけ現れる中州を歩いてみたいと、申し出を断った。

 

 

 

 

 

 

 

   左の写真で、遠方に森らしきものが見えるが、それが西メボン。およそ1kmくらい歩いて遺跡に到着。

 

 

 

 

    

 

  小さな塔とそれに続く壁だけが残されている。壁は回廊の一部なのであろう。かつて寺院の建物が集まっていたと思われる一帯は、牛の放牧場になっていた。

 

 

 

 

 

 

  放牧場の端から、遺跡を望む。部分的に回廊と、入口の塔だけが何とか残っていた。

 

 

 

 

 

 

  広大な砂の湖に緑の島が浮かんでいる。往復歩いたので、1時間以上ここに滞在したことになる。

 

 

 

 

(39) アック・ヨム

  アック・ヨムは西メボンへの船乗場から、池に沿って西へ行ったところに崩れかかった遺跡らしきものがあった。船乗場までは舗装されていたが、乾季には船だけ使って、雨季に戻ることになった。

 数分で見学を終了。これで、シェムリアプ近郊の遺跡は全部見終わった。

 

 

 

 

再びバイヨン

  最終日は余裕がかなりあったんで、バイヨンとアンコール・ワットをもう一度、見ておくことにした。

  バイヨンは外側からは、ほかの遺跡と代わりがない感じなのだが、遺跡の中心部までやってくると、独特の雰囲気が味わえる。

 

  

 

  

 

 

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