1998 プラハ

1日目

チェコのプラハへは、ハンガリーのブダペストから飛んだ。当初は、鉄道で向かう予定であったが、当時は、スロバキアを通過するのにビザが必要だったので、ウィーン経由で向かうつもりをしていた。しかし、この旅行、ウィーンIN、ウィーンOUTであったため、途中でウィーンに立ちよるのが面倒くさくなり、ブダペストで航空券を買って、マレ ヴ・ハンガリー航空でプラハに飛んだのだ。

プラハのルズィニエ空港はガラス張りの新しいつくりだった。実は、この日は1998年8月18日だったのだが、チェコも8月14日までビザが必要だったのだ。ビザがいらなくなってから、まだ4日目だったが、入国審査では、ずっと昔からビザ免除であったように、簡単に入国できた。空港のホテル案内所で、市内中心部でホテルを予約し、まずはホテルに向かった。

上の画像は、空港から地下鉄A線の終点デイヴィツカ駅を結ぶバスの中から撮影したので、窓枠が写っている。デイヴィツカからは、地下鉄で4駅目のムステクで下車。すぐ近くのホテルに行った。少し休憩の後、市街地に繰り出した。

ホテルは、上の画像のヴァーツラフ広場に面していた。ヴァーツラフ広場は、1989年のビロード革命の舞台になったところである。この広場に100万人が繰り出し、共産党政権が崩壊したのである。なお、広場とは名づけられているが、大通りが特に幅広くなっているといった感じの場所であった。

続いて、旧市街広場まで歩いていった。プラハの中心の広場であるが、ヴァーツラフ広場からの道が複雑で、途中で迷ってしまった。旧市街広場に面して、旧市庁舎、天文時計、聖ミクラーシュ教会、ティーン教会などのみどころが集中している。また、広場の中には、上の画像のヤン・フスの像がある。彼は15世紀にこの地に生きた宗教改革の先駆者であるが、異端者として火あぶりの刑になった人物である。

旧市街広場からヴルタヴァ川にかかるカレル橋へ行った。プラハ最古の橋といわれる。橋の欄干には聖人像が並んでいる。橋のたもとには橋塔があり、そこから橋を見下ろすことができるのだが、通り過ぎてしまった。旧市街広場とともに大変な人出であった。

上の画像は、隣の橋から見たカレル橋。

カレル橋に続いて、プラハ城に向かった。小高い丘の上にある。城の中には、王宮、宮殿、教会などがある。下の画像は、プラハ城の入口。後方に、教会の尖塔などが見える。

プラハ城内の教会はいくつかあり、下は聖ヴィート大聖堂。ステンドグラスが美しい教会である。

プラハ城内には、黄金小路と呼ばれる路地もある。城の召使いたちが住んでいたが、錬金術師も住むようになったので、黄金小路という名がついたらしい。

次に、旧市街広場の近くのユダヤ人地区にいって、シナゴーグに入った。いくつかのシナゴーグとユダヤ人墓地を回り、最後に儀式の家に入った。ユダヤ教の儀式の行なわれる建物で、現在はユダヤ文化の展示がおこなわれている。

この日、最後はヴァーツラフ広場近くで行なわれていた「プラハの春30周年」の写真展に入った。「プラハの春」は1968年、共産党政権下で行なわれた改革。しかし、自国への波及を恐れたソ連と旧東欧諸国はこの改革に反対し、8月21日、ソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構諸国の軍が軍事介入し、改革が阻止された。それを記念した写真展であった。下の画像は、写真展のポスター。

トップページへ     2日目へ