1998 ウィーン

3日目

この日も、引き続きウィーン市内の見学。最初に向かったのは、モーツァルトの家、別名フィガロハウス。ここの2階が、モーツァルトが3年住んだ家で、ここでフィガロの結婚が作曲された。楽譜などが展示されている。

入口のところに、旗がかけてあるが、これは歴史的に重要な建物に指定されている印である。日本のガイドブックには掲載されていないところにも、この旗がかかっていることがかなりあった。全部で200ほど指定されているらしい。

カプツィーナー教会の地下には、ハプスブルク家の皇帝など一族の墓がある。下の画像で教会の左側にある入口から入る。なお、心臓はアウグスティーナー教会、心臓以外の内臓はシュテファン寺院に納められている。

なかでも目を引くのは、女帝マリア・テレジアとフランツ・シュテファン皇帝が眠る棺。巨大な棺で、装飾がとことん施されている。

シュヴェーデンプラッツから路面電車でカルメリタープラッツへ。そして犯罪博物館に行った。興味深い展示であったが、なかには血生くさいものもあった。

シュヴェーデンプラッツに戻り、ドナウ川沿いにある国連都市に行った。地下鉄を降りるとすぐに入口があり、パスポートを見せ、手荷物検査をして中に入る。

下の画像は、国連都市の全景。(夕刻にドナウ川の中州へ食事がてら出かけたときに撮影。右下に地下鉄が写っている。)

見学はガイドツアーで行なわれる。11時からのツアーに何とか間に合った。ウィーンにある国連機関としては、国連ウィーン本部、IAEA(国際原子力機関)などがあり、ニューヨーク、ジュネーヴについで国際機関が集中している。

ガイドツアーは、IAEAの施設を中心に行なわれた。IAEAは核査察で有名で警察的な役割が注目されがちであるが、業務内容は非常に幅広く、原子力の平和利用に関する研究や開発途上国援助にも力点が置かれている。下の画像は、IAEAの会議場。

国連都市の見学後、地下鉄で南駅に向かい、軍事博物館へ行った。下の画像は、サラエボ事件で狙撃されたオーストリア皇太子が乗っていた車。サラエボ事件で使われた拳銃なども展示されていた。

南駅の近くにはベルヴェデーレ宮殿もある。この宮殿は上宮と下宮にわかれている。18世紀の建築当初、上宮が儀式や社交の用途に、下宮が居住用に使われたのであるが、現在では、上宮は19・20世紀絵画館、下宮はバロック美術館として使われている。

上宮では、1955年のオーストリア国家条約が結ばれている。この条約は、米・英・仏・ソ連との間で主権を回復するために結ばれた条約で、第2次世界大戦の敗戦後、この条約が結ばれるまでの間、4カ国による分割占領がなされていた。にもかかわらず、ドイツのように分断国家にならなかたのはどうしてであろうか。

上宮と下宮の間は1kmほど離れていて、大きな庭園になっている。庭園の中を歩いて、下宮に向かった。歩いてみて、上宮、下宮という名づけ方が理解できた。上宮から下宮へはゆるやかな下り道になているのだ。下の画像は、上宮。

次に、美術史博物館に行った。この建物に相対して自然史博物館がある。ほとんど同じような建物であるが、違いがあるのだろうか。

19世紀、ウランツ・ヨーゼフ皇帝の命によって建築されたもので、内部の装飾がとても美しい。「バベルの塔」をはじめ、有名な美術作品を見た。ブリューゲルの作品が多い。

このあと、繁華街のケルントナー通りを歩いた。

夕刻、ドナウ川の中州へ。浮橋を渡って中州に渡れるようになっている。

翌日、列車でウィーンを後にし、スロベニアに向かった。

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