広州 第3日
広州滞在最終日は、ホテルからタクシーを飛ばして、郊外の長州島にある「黄埔軍校旧址」に行く。島へは橋がついていないので、フェリーで渡る。 | |
島に着くと、黄埔軍校とともに、島にあるいくつかの見所をあわせて回るツアーのチケットを売っていた。で、タクシーを待たせて、車によるツアーに参加。 まずは、「東征烈士墓」。墓がいくつかあるほか、小さな博物館もあった。(「東征」とは、第一次国共合作のあとにおこなわれた「北伐」のことをさすようである。) |
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清代末期につくられた砲台跡。 | |
「黄埔青少年軍校」は宿泊訓練の施設。ちょうど昼食時間であった。食事も自炊をするようである。多くの生徒が来ていた。 | |
なぜ宿泊訓練の施設へいったかというと、同じ敷地内にある「海軍軍事黄埔博覧中心」を見学するためである。屋外展示と展覧館内の展示があった。昔の兵器などの展示が主で面白くなかった。 | |
宿泊訓練の施設から「黄埔軍校」へ向かう生徒たち。 | |
「黄埔軍校」の見学を前に、集合している生徒たち。 | |
「黄埔軍校」の正門。第一次国共合作(1924〜27)の時期、孫文が設置した陸軍士官学校。校長は蒋介石。のちに国民党、共産党ともにここの出身者がかなり幹部になる。 | |
教室風景。ところで、生徒たちと一緒に見学であった。 | |
校長であた蒋介石の部屋。 | |
「黄埔軍校」を見たあと、フェリーとタクシーで広州へ戻る。 | |
広東省博物館。ここでタクシーを下車。広東省の歴史、文化、自然にわたる博物館。この中に魯迅博物館もある。 | |
広東省博物館の中の、鐘楼。ここで、1924年国民党の第一回全国代表者会議が開かれた。第一次国共合作」はこのときに始まった。どの席に誰が座っていたかの案内もあり、毛沢東は2列目あたりに座っていたようだ。中国内で、中華民国旗の掲げてあるところはほかにあるのだろうか。 | |
「中華広場」という巨大ショピングセンター。あまりの暑さにたえかねて、この中でしばらく休憩して、体を冷やした。 | |
広州起義烈士陵園。1927年に第一次国共合作は終了し、内戦に向かう。共産党は何度か蜂起をしたのだが、広州でおこなった蜂起の犠牲者の墓である。 | |
陵園内を歩いているうちに夕立。雨宿りしたそばで、女性の麻雀大会。ところで、この建物は「中朝人民血諠亭」という。 遊歩道をはさんで、「中蘇人民血諠亭」もあった。 |
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3日間の広州観光も終え、夜はまたもや北京北路をうろうろ。翌日は朝の中国南方航空で帰国。白雲空港は、タラップから飛行機に乗るようになっていたが、この空港も新空港にバトンタッチの予定で、もう利用することはない。 |