日目 後半

  

  

  16時20分、杭州東バスターミナルに帰着。だいぶ日が傾いてきているが、まだまだ明るい。西湖周辺を少し見て回ることにしよう。タクシー乗場は長い行列ができているが、次から次へとタクシーがやってくるので、すぐに順番が回ってきた。碑林(ペイリン)といったが、うまく発音できず、メモ帳の出番。字に書けば、わかってもらえるのが我々の強みだ。

  20分ほどで到着。ところが、どうも様子がおかしい。閉まっていて門には張り紙が、、、何やら嫌な予感がして、近づいてみる。

  整備のためしばらく開放中止というらしいが、何と4日前の日付じゃないか。4日違いで杭州にもあるという碑林を見損なった。塀に囲まれているので、中の様子は伺えない。

  碑林は滞在3分で、すぐにタクシーを拾って浄慈寺へ。前日、やってきた雷峰塔とは道路を挟んで向かい合う位置にある。タクシーを降ろされたのは、雷峰塔の前で、このあと道路を渡って、浄慈寺へ。この寺は、五代十国時代の呉越の王を供養するために建てられたという。  

  この寺には、大きな鐘がある。上の画像の鐘楼の2階に鐘がある。この鐘楼は、清の末期に焼失したのだが、1986年に再建され、鐘がつけるようになったという。鐘の撮影は禁止だったので写せなかったが、とても大きな鐘で、重さは10トン。

  この寺の入場料は10元(約140円)だが、鐘をつく場合は別に10元。10元で3回、鐘をつけるという。実際、鐘をつく人がいて、ボン、ボン、ボーンとうっていた。この鐘の音が日の入りの情景に溶け込む状況を、「南屏晩鐘」(十景の9つ目の訪問)としている。

  

  このあと、西湖の南岸を歩いて街の中心部に戻る。前日にも歩いているが、この日は明るいうちの移動だ。湖の東南部には大きな公園がある。ここは「柳浪聞鶯」(十景の10番目の訪問)になっている。湖岸には柳の木が植えられているのだが、その枝でうぐいすがさえずる声がきれいだというところから、このように呼ばれるようになった。  

  湖岸を離れて、呉山公園に向かう途中、イスラム教徒の墓があった。様子からして、かなりの地位の人物のようだ。だが、そばには清真寺(モスク)はない。どこにあるのだろうか。

  呉山公園にやってきた。山の頂上には、城隍閣がある。これも、見るからにごく最近作られたことがわかる。2000年にできたらしい。再建されたものではなく、新しく観光用に作ったものだから、歴史的な意義はないが、眺めはきっといいだろう。今回は、時間がなくここへは上れなかった。

  呉山広場。大きな広場で、凧揚げなどを楽しんでいる人たちが目立つ。

  呉山広場の東側に河坊街がある。かつて、南宋時代には、杭州で一番にぎやかな街だったところで、近年、その場所に歴史的な町並みを復活させたエリアである。瓦の建物は昔の風情があるが、よく見ると新しい。そして、それぞれの建物は、土産物店などになっている。新しく作られた文化・商業ゾーンといえる。

  今回の旅で一番活気があったのが、このエリアだ。旧来の文化を再現すると同時に集客に成功しているようだ。地元客やほかからやってきた中国人観光客でとてもにぎわっていた。ただ、作られた観光地であるためか、日本のガイドブックではとりあげられておらず、自分もひょっとしたら、行きそびれていたかもしれない。自分としては、これから杭州に行く人にはおすすめするエリアだ。

  昔風のつくりの漢方薬局。

  珍しい形をした茶館。

  夕食に入った状元館。有名な店のようだが、混雑していて、サービスもいまいちの感じがしたので、2品だけ注文し、前日行った店を再訪問し、口直しをした。

西湖醋魚
   

臭豆腐

   
叫化鶏

(鶏を蓮の葉で包み、蒸し焼きにしたもの)

   
上はラップを開けるところ、右は開けた状態
   
瓜のスープ

  2店で2品づつ注文し、それぞれ、3分の1くらいは残したのだが、満腹になった。西湖醋魚、叫化鶏は杭州の有名料理だが、あまり美味しいとは思わなかった。前日に食べた、龍井蝦仁と東坡肉は美味しかった。

  腹ごなしに、ホテルまで夜の西湖岸を歩き戻った。ホテルの1階にはコンビニが入居しており、入口は別になっているので、いったんホテル外に出てコンビニに入るのだが、とても便利だ。ミネラルウォーターはホテルの室内に無料のが用意されているのだが、お茶などを買う。

 

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