6 日 目
いよいよ帰国の日となった。南京では朝食は屋台食だったが、上海での1泊は朝食つきなので、ホテルで食事。7時から朝食時間なので、時間になるとすぐにレストランへ。 中国では毎度のことだが、薄いジュースがまずかった以外は、平凡だがまあまあの内容。 食後は、すぐにチェックアウト。地下鉄駅に向かった。2時間程度、上海を歩き回る時間があるので、有効に利用する。
地下鉄を黄陂南路で下車。このあたりは、上海でも流行先端地となっている一帯である。だが、休日の朝が早い時間帯だったため、人が少ない。 この付近では、前前年に一大会址、大韓民国臨時政府址などを訪問しているが、今回は、孫中山故居と周公館に行く予定だ。ただし、ガイドブックはなし。2箇所の住所のメモだけをもってきた。 途中、トロリーバスを見た。上海はトロリーバスが多い。
案の定、道を間違えかけた。茶色い標識があったので、孫中山故居への→が書いているのかと思えば、団中央旧址なんて書いてある。団って何だ。共産党と関係ありそうだが、、と思いながら、10分ほど歩いて到着。 9時の開館まで、少し待って、孫中山故居に入場。ここは、孫文が1918年から24年まで住んでいたところだ。まず展示館があって、それを見たあと、住居に入る。
孫文の住んだ住居は右の建物で、中は見学者が一定の数、集まるまで待たされた。靴にビニールカバーをしたうえ、案内人とともに見学するしくみになっている。幸い、中国人団体客がきてくれたため、10分ほど待って、中に入れた。 寝室、食堂、書斎などを見て回った。妻・宋慶齢の部屋もあった。撮影禁止であった。 外観の写真をとったが、これまた全景をとるのは困難だった。この右手のほうが、庭園になっているのだが、庭園には入れなかったからだ。 入場料は10元(約150円)。
続いて、10分ほど離れた周公館へ。ここは、1946年から47年にかけて、共産党の上海事務所がおかれ、 正式名称は「中国共産党代表団駐滬弁事処紀念館」で、日本語にすると「中国共産党代表団上海事務所記念館」となる(さんずいに戸という字は「滬」の簡体字で上海の略称である)。だが、当時、ここに滞在したことが多かったのが、革命後、首相を務めた周恩来 であったので、周公館とも呼ばれることが多い。 南京の梅園新村記念館とここは同時期に利用された わけだ。それぞれ、共産党の南京と上海の事務所で、周恩来はその両方を行き来していたわけだ。内部は南京よりも、さらに質素な感じで、建物も展示内容も南京のほうがずっと立派である。 ここも、中庭には入れなくて建物全体の撮影に苦労した。内部も撮影禁止であった。
これで、今回の旅は、帰るばかりになった。地下鉄とリニアを乗り継いで浦東空港に向かう。
地下鉄の片道切符。使いまわし式の磁気カードだが、デザインになているのは、将来の上海の地下鉄路線図。2010年に万博が予定されていて、そのときには、このような路線網になっているのだろうか。
地下鉄で龍陽路まで行き、リニアモータカー(磁浮列車)に乗り換え。前前年に続き、2回目の乗車である。 片道50元。当日、搭乗するための航空券を持っている場合は40元に割引なのだが、持っていたのがEチケットは割引対象にならず、50元(約750円)を払って乗車。 乗車時間はわずか7分ほど。430,431といった最高速度がでていたのは、20秒ほど出していただけ。 あっという間に減速だ。50元は高いが、空港バスに乗ることを思えば、早くて快適なので、これからもリニアには乗るだろう。
浦東空港では、チェックイン後、しばらく時間があったので、長距離バス乗場に行き、HPで掲載中の浦東空港発の長距離バスの時刻をチェックした。 (浦東空港発長距離バスの時刻)前年の蘇州訪問時に空港から蘇州に直行したのがきっかけの時刻調べ、これから浦東空港にきたときの恒例行事になりそうだ。 出国手続は順調に終え、ほぼ定刻どおり、JAL便にて帰国。中国は奥が深い。さあ、次回の中国はどこに行こうかな?
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