1 日 目  哈爾浜(ハルビン)到着

 2010年7月に瀋陽に行って以来1年3ヶ月ぶりの中国旅行。今回の行先は哈爾浜(ハルビン)。東北地方としては、5年前の大連、1年前の瀋陽に続き3回目になる。

 今までの中国旅行では、あまり乗継はしたことがなく、大部分は日本から直行便で行けるところを訪問していた。今回は哈爾浜(ハルビン)は日本から直行便が少ない。今回はアシアナ航空の特典航空券を利用し、インチョンで乗継する。関西/インチョンがOZ115、インチョン/哈爾浜(ハルビン)がOZ339。

 朝食はラウンジでとるつもりで家を出てきている。今回は久々に関空からのスタアラ系のアシアナなのでANAラウンジに直行。

 そういえば関空で出国手続のあと、北ウィングに向かうのも久しぶりである。

 アシアナ航空が新塗装になってから日本から出発するのは初めて。

 機内食は少しいただいただけでパス。個人用モニターがないので、少々退屈になる。

  インチョン空港には少し早めに到着した。入国審査場の手前にトランジット用の保安検査場があり、そちらに進んだ。列はなく、あっという間に通過できた。ワンフロアー上に上がると、出国コンコース。乗り継ぐOZ339の搭乗時刻にはまだ30分ほどあった。

 アシアナ航空のラウンジに行き、しばらく休憩する。スペースは広いが、食べ物はイマイチの感じ。次の便の機内食とどちらが良いか判断ができず、少しだけいただくことにした。飲物はマッコルリ。

 ラウンジでくつろいでいたら、搭乗時刻を過ぎてしまい、登場ゲートに着いたときには、すでに大半の客が搭乗を終えていた。

 中央の通路をはさんで両側に3人づつ座るタイプで、国際線としては小さめ。とはいえほぼ満席。アシアナは中国の中でも東北地方との便が充実していて、東北地方に朝鮮族が多いことと関係しているようだ。

 やがて機内食。韓国風の野菜煮付けのようなものであった。コチュジャンのチューブも配られ、全部しぼりだして、おかずにつけていただいた。

 飛行ルートだが、ルート図が現在地から目的地の間を直線で表すタイプのものだったので、北朝鮮のど真ん中を貫くルートが最初は示されていて、まさかと思ったが、すぐに予想通り、黄海を煙台の近くまで飛んで、ぐるっと旋回して東北方向に向かうというのものだとわかった。

 1時間45分ほどの飛行で哈爾浜(ハルビン)に到着。自分にとっては、5年前の大連、1年前の瀋陽についで3度目の東北地方だ。

 予定通り哈爾浜(ハルビン)の太平空港に到着。少し待っただけで入国。手持ちの人民元がかなりあって、両替する必要がなかったので問題はなかったのだが、両替所がなかったような気がする。

 空港バスは哈爾浜駅に向かう1号線に乗車。20元(約250円)。

 哈爾浜(ハルビン)駅までは遠くて1時間かかった。50kmくらいあるのじゃないだろうか。大連の周水子空港、瀋陽の桃仙空港よりは市街地までの距離が長いのは明らかだと思った。

 哈爾浜(ハルビン)駅に到着。出口にはたくさんの宿の客引きが待ち構えていた。哈爾浜(ハルビン)の空港を発着する便はほとんど国内線で国際線はほんのわすか。客引きは国内線の客を目当てにしているのだろう。

 何人かの客引きの接触を振り切って、離れたところから乗ってきたバスの写真を撮影。

   ホテルは駅前にあるのだが、ホテルに向かう前に駅を少し観察してみることにした。

 駅構内に入るためには荷物の検査が必要で、入場券を買って入っても出発列車がないとホームには出られない。

 簡単に入れるなら伊藤博文が銃弾に倒れた1番ホームに行ってみたいのだが、面倒そうなのでとりやめた。

 売店で街歩きには欠かせない「哈市交通図」を購入。5元(約64円)。

 駅の入口付近では各地から出てきた出稼ぎ者が大量に集まっていて異様な雰囲気がある。かつて広州の駅前でもっとすごい状況を目撃したが、似たようなものだ。

 画像は駅入口付近なのだが、すぐ近くで天井のしっくいをはがす工事をしていてほこりがひどい。すぐに退散した。

 駅前にそびえているホテルは「龍門酒店」。この建物は駅前の高層建築のなかでもひときわ高く、遠くからでも良く見えた。

 今回泊まるのは、「龍門酒店」とは姉妹ホテルだが、今は別のホテルになっている「龍門貴賓楼酒店」。画像では右下に写っている2階建の建物である。玄関はこの画像では見えないところにある。

 「龍門貴賓楼酒店」はかつて満鉄が経営した「ヤマトホテル」であった。旧「ヤマトホテル」としては、前年に瀋陽に行った際に「遼寧賓館」に泊まったことがあり、2つ目となる。

 長春、瀋陽、大連の「ヤマトホテル」は日本人により設計され、最初から「ヤマトホテル」として営業されたのに対し、哈爾浜(ハルビン)の場合は、1901年に建設されたがロシア人の手によったのが異なる。日露戦争中はロシア軍の司令部として使われた。その後、ロシア軍将校クラブ、中東鉄路理事会館として使われ、1937年から1945年が「ヤマトホテル」であった。

 「龍門貴賓楼酒店」の玄関。

 この玄関まで行くのに苦労した。駅前から地上を通ってこの建物の玄関に向かったのだが、面する紅軍街の反対側の歩道からは、道路を渡れないので、この玄関にいけないのだ。

 結局、300mほど歩いて、やっと道路を渡り、この玄関がある側の歩道に渡れた。そして300mほど逆戻り(笑)。

 実は、駅前には地下道があって、地下道を使えば、どうということなかったことがあとで判明。

 さらに近づき、玄関前にて。

 玄関の頭上には「貴賓楼」とある。カラフルな色の屋根がついたいる。「ヤマトホテル」時代の写真を見ると、その当時から、入口には屋根がついていた。

 下左  玄関を入ったところ。回転ドアがあった。これは昔からある。両側の普通の入口を主に使ったが、滞在中に一度だけ回転ドアから中に入った。

 下右  玄関を入ったところの正面の階段。エレベータがないので、必ずこの階段を使う。

 フロントにて手続き。この際、クレジットカードで支払いなのにデポジットをとられた。1泊340元(約4300円)で3泊1020元のところ、デポジット180元をあわせて1200元とられた。もっともチェックアウトのときに、再度、伝票をきりなおし、1020元の支払いとなったのだが。新しい「龍門酒店」なら250元で泊まれるが、歴史的建造物に泊まりたいので、やむを得ない。

 

 階段で2階に上がる。この階段、1901年に建造されて以来、大きな変化がなく使われ続けているということだ。

  階段を上がってすぐのところの215号室は、1901年に建築されて以来、一番豪華な部屋になっていて、張学良や溥傑(満州国皇帝溥儀の弟)なども泊まっているとのプレートがつけてあった。

 

 2階の廊下。215号室の前から撮影。自分の泊まった217号室は20mほど歩いた左側。215号室と217号室の間は、1階の宴会場の天井が2階部分にあるために部屋がなかった。

 217号室に入って、しばらく休憩。かなり広く、冷蔵庫あり、ミネラルウォーターのサービスもある。ネットは有線LANで可能であった。

 駅前のホテルなのだが、ホテル内は静かで、駅前でみた雑踏が信じられないくらいだ。

  ホテルで1時間くらい休んだが、少し休みすぎてしまい、ホテルを出発した16時30分にはすでにうす暗くなりかけていた。

 途中で道に迷いながら歩き続け、目的地の中央大街に着いたときにはすでに真っ暗。

 ここは哈爾浜(ハルビン)を代表する繁華街で歩行者天国になっており、ロシア建築が多く残され、ロシア料理店も何軒かある。

 かなりの人出がある。建物は暗くてよくわからないので、翌日、明るいうちにじっくり見ることにした。

 画像は歴史的建造物でもある馬迭爾賓館(モルデンホテル)の1階のところの売店。ここでは馬迭爾氷棍というアイスキャンディーや日本のリンゴ飴に似た氷糖葫芦を売っていて、食べてみようと思ったが、食事前だったのでやめた。結局、翌々日に買って食べたのだが。

  やっとお目当てのロシア料理店に到着。その名も「ロシア」。

 

 広くはないが、落ちいついた雰囲気のお店。内装もどことなくロシア風。

 哈爾浜啤酒(ハルビンビール )を飲みながら、メニュー選び。

 ハルビンビールは中国で一番古いビール会社だそうだ。1900年創業で、有名度ではダントツである青島ビールの1903年よりも古い。

 とはいえ、青島ビールとどう違うか言われるとよくわからない。どちらも日本のビールに比べると薄いような感じだなのだが。

 選んだのは、まず 俄式菜巻(ロシア式ロールキャベツ)。具の中にはひき肉に混じってたまねぎとともに米粒も入っていた。

 ロールキャベツはロシアが発祥地だとは知らなかった。また ロシア式ってのはロールキャベツを焼くのが特徴らしい。焼いてから煮込むという。

 熱土豆泥(マッシュポテト )。かかっているソースは辛いもので、こしょうも混じっているもの。これはかなりのボリュームだった。

 ロールキャベツが38元、マッシュポテトが16元、ハルビンビールが15元、あわせて69元(約870円)であった。勘定を頼んだら、日本式に勘定場で払う仕組みだった。

  満腹になって、少し歩いたあと、路線バスでホテルに戻る。乗ったのは13系統。

 意外と「哈站」に行くバスは少なかった。乗ったバス停ではこの系統だけ。ただ、中国のバスの場合、各系統の運転間隔は短いことが多いが、このバスもすぐにやってきた。

 料金は1元(約13円)。中国のバスはどこに行っても1元が多いが、たまに1元1角のように中途半端な場合もあるから困ったものだ。確か桂林がそうだった。

 10分ほどで「哈站」に戻った。歩くと2km以上あり1時間近くかかったが、バスだとわずか。ただし、ほかの中国の都市と同じく、その間のバス停もわずかで、バス停の間隔が長い。

 バスを降りてから、地下道を使ってホテルのそばまで行くことができた。空港からやってきたときには地下道がわからずに遠回りしたが、何ということなかったのだ。

 画像はホテルの側面。ずっと歩いていくと玄関がある。

 玄関にやってくると、派手な電飾が点灯していた。このけばけばしい電飾は歴史的建造物には似合わない。どうにかならないものだろうか。それとも、昔もこんな感じだったのかなぁ。

 それに玄関が車で占拠されてしまってきて、入口にたどり着くことが難しいじゃないか。

 部屋では、浴槽があったので湯に浸かったりした。ネットをしたりしてすごせたが、有線LANだったので、かなり前からネットを完備していたのかな。

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