1 日 目 |
今回はJALの杭州行きを
特典利用。この便、あと2週間で消える運命だ。杭州は4年前に行ったので、空港からは紹興に直接向かう。
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成田では、自動化ゲートを使ってもスタンプを押してもらうこともできるが、関空はできない。
この時間帯、短距離国際線が相次いで出発するので、ラウンジはかなり混んでいて、席を探すのに一苦労。おにぎりも小出しにするので、待ち構えていないと手に入りにくい有様だった。
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やがて搭乗。エコノミークラスの新聞サービスはまもなく取りやめになるので、今回が最後だろうなと思いながら、新聞を読んだ。 水平飛行に入ってまもなく機内食。食事は白身魚。 |
ワインボトルがプラスチック製になることは夏に聞いていたが、9月にサンフランシスコに行ったときはまだガラス製だった。10月の台湾行きはCにアップグレード。そのため、今回がはじめてのプラスチック製ワインボトル。ラベルも変わったし、軽くなったため量が減ったのじゃないかと錯覚してしまった。それに瓶が倒れないか心配だった。慣れれば何ともないだろうが。 あと、画像でわかるが、前の座席との幅が広いのは非常口座席のため。通路側にすわったまま、窓側の人も比較的自由に出入りできる。足も延ばせるし、Y席の中ではなかなかいいと思った。 |
杭州到着。窓から見えるターミナルには覚えがある。4年前に来たときと同じだ。 入国手続きは1人待っただけで、あっという間に通過。税関は通り抜け。 前回の杭州訪問時に、空港から紹興行きのバスが出ているのを確認していたので、それを利用するため乗場へ直行。前回は小屋のようなところで乗車券を販売していたが、今回は、ターミナルビルから出るところに切符売場ができていた。時刻表を見るとすぐに発車だ。12時10分発。まさに12時9分。 |
紹興はシャオシン。通じてホッとする。30元。切符を買うと男がバスを指差した。 バスを写していたら、先ほどの男がやってきて、早く乗れと言われ、切符の半券をもぎ取られた。ドライバーだったのだ。 |
途中、池や運河のそばを多く走った。この地帯が水郷地帯だ。1時間5分で到着。 中国で空港バスを利用する場合、不安なのが市内のどこに連れていかれるかということ。到着後、自分のいる場所を把握するのに時間がかかる場合もあった。 今回はすぐわかった。紹興站が終点だったから。紹興站も大きな駅だ。 駅前広場を渡った側に空港バスの乗場があった。復路のバス時刻をチェックしておいた。 |
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最初に向かった先は、紹興醸造酒廠のつもりだった。見学できるらしいかったので、1km歩いた。 ところが2007年11月からは、中国黄酒博物館に変わっていた。それでも、まずここから市内観光を開始。 |
酒にまつわる歴史や酒器の展示が続いたが関心なし。唯一、興味深かったのが地下の紹興酒の貯蔵庫。
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このあと街歩きスタートだが、ここでちょっとした問題が発生。 この博物館、入館料が60元。最近、中国ではこういう高い入場料のところが多い。ただ、ここは、紹興酒をお土産にくれた。あとで紹興酒の値段を見ると、同じ量の安いもので20〜30元ほどだったので、紹興酒を強制的に買わされたようなものだけど、まぁ許せるかなってところ。 問題の1つは酒が陶器製の容器に入っていて、これをかばんに入れて歩くのはつらいこと。ホテルは街の西で、いったん立ち寄るのは時間のロスが大きいので、持ち歩くことにした。 |
もう1つの問題は、これを日本に持って帰るにはどうするかだ。今回は短い旅なので、預け荷物はなしなのだが、この酒だけを預けることはできるのかとか考えた。結局、頼めば預かってはくれるだろうけど、どうもなぁ、、ってことで、紹興で紹興酒を飲むのもよかろうと思い。今夜の夕食は、つまみ類を買いこんで、紹興酒を飲むことにした。 博物館から街の中心まで、2kmほどは運河沿いの道を歩いた。生活感漂う水郷の雰囲気が感じられた。 |
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下大路という通りは、片側が運河で片側が商店街になっていた。運河沿いの民家も面白いのだが、商店街も興味深い。 その商店街だが、博物館の近くでは、寂れた感じだったが、紹興の中心地が近づくにつれて、市場があらわれたりして、次第に活気づいていった。 やがて、解放路と勝利路の交差点に到着。解放路の勝利路から魯迅路までの1kmほどが紹興最大の繁華街のようだ。こういうことは、現地にこないとなかなかわからない。 |
解放路と勝利路の交差点を下がったところに、大善寺塔がある。かつては寺もあったのだが、塔だけが残されている。 次に向かうのは、周恩来故居。周恩来は紹興の出身だという。 故居と紀念館に向うが、メインストリートから横道に入ると、ローカルムードが漂う。 買い物客などが行きかう道を車が強引に通って、なかなか歩きづらかった。 |
ようやく出会えました。周恩来さん。だが、あたり一面工事中。
理由判明。ここは像だけで、道をはさんだところに故居と紀念館があったのだ。 |
共産党関係の見学地は無料ということが多いが、ここはしっかり18元とられる。周恩来は人気があるので、客がやってくるからだろう。
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北宋の儒学者、周敦頤に始まる系図があり、周恩来はその紹興の分家の出身だ。周敦頤から始まって31代目。歴史はつながっていることを実感した。 このあと、八字橋に向かった。行く途中も、ここが数百万人の人口がある大都市なのかと疑うような静かな運河と古い街並みがあった。
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八字橋のエリアは、市の中心から2kmほどしか離れていないが、静かなエリアだ。 八字橋に向かう途中に、広寧橋があって、その上から市の中心を撮影。 |
最初、この橋は八字橋かと思ったが、広寧橋と保護対象になている標石があったので、違うことに気づいた。 あたりは生活感満点だ。 |
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ようやく着いた八字橋。 12世紀、南宋の時代の建築で中国では最も古い石造りの橋だということだ。 どうして八字橋なのだろう。推測だが、この橋の上り下りは両岸とも2か所に階段がついていて、運河の南北のどちら側から見ても「八」の字に見えるからだと思う。 |
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八字橋の近くに天主堂がある。突然現れた天主堂だったが、中に入ってみることにした。
文字を書いた飾りのある天主堂は台湾で見たが、ここは祭壇だけじゃなく、信者席の柱にも文字飾りがあった。青島で見た天主堂も落ち着いた色だったけど、ここも落ち着いた感じ。先に書いた台湾の天主堂は中国っぽく赤で塗られていてびっくりだったけど。 |
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魯迅も紹興の出身。魯迅の故居も残されている。 中興南路と魯迅路の交差点が入口。魯迅ゆかりのところがいろいろある。 故居などは無料だが、観覧券をもらわねばならない。 |
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三味書屋。魯迅故居の向かいにある、魯迅が小さいころ通っていた私塾。(左) 魯迅紀念館。(下左) 付近は観光地になっていて、土産物屋などが軒を連ねている。(下右) 魯迅紀念館の隣にも魯迅故居があったのだが、17時までの開館で、時間切れで入場できなかった。このあと、咸亨酒店で夕食のつもりだったが、先に書いたように、この日はホテルで紹興酒を飲むことにしてパス。 |
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魯迅西路から解放南路に出て、繁華街を歩く。ホテルまで3kmほどあったが、まだ地図を手に入れておらず、バスの系統もよくわからなかったので、歩いてホテルに向かった。 解放路はにぎやかだったが、左折して勝利路に入ると、とたんにさびしくなり、足早にホテルに向かった。 泊まったのは中国一のビジネスホテルチェーン「錦江之星旅館」の紹興勝利西路店。 |
日本で予約して1泊3400円だったが、直接予約すれば219元(約2800円)なので、 もっと安くなる。このホテルチェーンは中国各地に店舗があり、今後も利用していいかなと思っている。
日本の東横インのようなものだが、客室は倍くらいの広さがあってゆったりしている。何よりも無料でネットが使える点がうれしい。シングルルームはもっと狭いかもしれないけど。何よりも無料でネットが使える点がうれしい。ただ、バスはなくて、シャワーのみだったのと、冷蔵庫と金庫がないのが欠点。シャワーはまぁ別にいいけど、冷蔵庫がないのは夏はつらい。金庫がないので、ミニPCを2日目は持ち歩いた。部屋に置いておいて、問題はないとは思うけど、、
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ホテルで少し休んだあと、ホテルから2,3分のところにあったスーパーへ買い出し。つまみ類や菓子、それに主食用のカップラーメンを買ってきた。 紹興酒は450ml入りで、全部は飲みきれず、まだ残っているので、翌日も部屋で飲むことにした。でも、2泊の旅行で2泊とも部屋で食べるってのも、なんなんで、翌日は外食にする。 紹興酒が黒いということは知らなかった。 |
左は、紹興の名産でもある魚、右は、豆腐を干して辛く煮たもので、日本の油揚げに似ている。下は、卵ロールとビスケット。
カップラーメンまでは食べられなかった。お腹がいっぱいになって。翌日に回すことにした。 |
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