1 日 目 

 ANAの特典航空券を利用して、瀋陽へ。東北地方(旧満州)の旅は、4年前に行った大連に続いて2回目。

 前日は日航成田で宿泊。7時のホテル送迎バスで成田の第1ターミナルへ。ここのところ成田発は第2ターミナル発が続いていて、第1からの出発は久しぶりだ。

 そのため勝手がわからず、ANAのチェックインカウンターからしてわからずウロウロするはめに。そのあとも、ANAのプレミアム会員向けのセキュリティゲートを探したりさせられた。

 3連休初日ということで早朝から混んでいたが、プレミアム会員向けのセキュリティゲート+自動化ゲートのあわせ技で楽に中には入れた。成田の自動化ゲートはスタンプ押してもらえる通路もあることを発見し、スタンプ押してもらった。 (自動化ゲートができたときからあるそうだが、今まで知らなかった。)

 ANAラウンジを探してやってきたら、出発ゲートに近いところにもあると案内された。そちらは気づかなかった。あとで代わると答えて、朝食。早朝はたいした食べ物がないが、麺類コーナーがあったので、うどんを注文して食べた。

 うどんを食べたあとは、ユナイテッド航空のレッドカーペットクラブに移動して休憩。第1のアメリカンの場合と同じく、日本風のラウンジにしている。ここで出発直前まで待った。
 

 

 

 

 

 10時発の瀋陽行きに搭乗。今回は短い飛行なので窓側を予約。優先搭乗には間にあわなくて、すでに通路側に座っている人がいて、中に入るのに一苦労。

 水平飛行に入ってすぐに機内食。昼食には早すぎるけれども、この日は昼食時間をとってられないので昼食と考えて食べた。

 メニューは魚のクリーム煮のみ一種類。エコノミーの機内食としては、味も見た目もなかなかいいと思った。

 飲物は赤ワイン、ANAの場合は、ワインボトルは従来通りガラス瓶を使っている。

 成田/瀋陽は、新潟、ウラジオストック、長春の上空を通る経路だった。こんな経路を通るとは意外。ソウル、大連上空を通ると思っていたので。

 あとでわかったことだが、3年越しの交渉で、つい16日前の2010年7月1日からウラジオストック経由になったばかりのようだ。このほうが、飛行距離が短く、15分ほど飛行時間も短いという。また、空域がすいていて、遅れもおきにくいらしい。

 瀋陽には12時30分に到着。直前の12時10分には平壌から高麗航空が到着していた。窓側に座っていたが、自分のいる側からは見えなかった。

 入国検査は1人も待たず、あっという間に通過。税関も何事もなく、緑色の通路を通過。

 外に出て、ATMで少しだけキャッシング。以前の旅行の残りの人民元がたくさんあるからぽぼそれでしのげそうだが、念のためだ。

 空港バスは1時間に1本ということで、あてにしていなかったが、たまたまバスが止まっていたので、バスで市内に向かうことにした。

 馬路湾というのは市内の中心部だ。

 バスは15元(約195円)と格安であったのはよかったが、時間がかかりすぎた。瀋陽電視台を出てから渋滞があり、ほぼ1時間かかった。

 右は、バスを下車した馬路湾。撮影している自分の左手に、民航航空券売り場がある。ところが売場内にも、道路脇にも、ここから出発する空港バスの時刻表がない。

 帰国時にはバスを利用するのは、下手すると1時間待ちぼうけかもしれないので、やめておくことにした。

 泊るホテルである遼寧賓館まで歩いて15分ほど。

 歩き始めて、すぐに気付いたのはあちこちで地下鉄の工事をしていること。あちこちにトタン板の覆いがあり、瀋陽地鉄と書いてある。

 ネット情報で地下鉄はすでに営業していると思いこんでいたので、がっっかり。また、ネット情報を鵜呑みにすることの危険性を改めて感じた。

 ホテルに到着したのは14時15分ごろ。

 遼寧賓館は、かつて満鉄が経営した奉天ヤマトホテル。1929年の建築で時代を感じさせる。

 高層のホテルが多い中、ここは4階建て。

 部屋の中は改装してあるが、天井が高く、入口付近は大理石でできていることなどは建築当時のままだと思う。
 

 遼寧賓館は、ヤマトホテル時代はもちろん、人民共和国になってからも瀋陽一のホテルだったようで、自分の泊まっている部屋の302号室の隣の301号室は陳毅が泊まった部屋でプレートがつけてある。

 下の階には毛沢東、周恩来の泊まった部屋もる。泊まった有名人の一覧もあって、溥儀や松岡洋右も泊まったようだ。最近(といっても1994年だが)では、小沢征爾が泊っている。

 部屋はちょっとくたびれ気味だったが、ネットが無料だったのはよかった。

 窓からは中山広場が見える。広場を取りかこんでレトロな建築が立ち並んでいる。一時的に関東軍司令部だった建物もある。

 広場の真ん中には毛沢東の大きな像がある。毛沢東像も今や数少ないのではないだろうか。

 この広場のまわりはロータリーで、車がひっきりなしに通るので、道路を渡るのが至難の業。

 

 15時ごろまでホテルで休憩したあと、初日の観光をスタート。

 最初は路線バスを使おうと、さきほど空港バスを下車した付近へ。

 しかし、路線バスの系統と乗場がよくわからい。瀋陽の地図を購入して、路線バスの系統一覧表も見たが、すぐにはわからない内容だ。それで、結局はタクシーで張氏帥府へ向かった。

 タクシーは、3kmまでが初乗り8元(空冷車は9元)で、以後は550mごとに1元。また停車時は3分で1元。 瀋陽市内の移動はだいたい15元(約190円)前後だった。 現地じゃ高い乗り物なのだろうが、日本の感覚では路線バスよりも安い感じだ。

 張氏帥府の入口。同じ形をした入口がこのあと何度もある。同じような建築がずっと奥まで続いているようだ。これらの建物の造りは四合院といわれる。

 

 

 四合院は四方を建物で囲み、中庭をもった中国古来のな建築様式。ここはこういった四合院の建物が連なってできている。

 張学良は、奉天派軍閥の張作霖の長男。日本軍により張作霖が爆殺され、彼は国民政府に合流した。共産党は長征を終えたころで、彼は共産党地区に対する攻撃の先頭に立った。1936年、彼は極秘に周恩来と会談し、共産党との提携を考えた。彼は、蒋介石を西安で拘束し、抗日の約束をさせた。国民政府が台湾にうつったあと、彼は台湾で長く軟禁されることになる。
 

 中央に座っている人物が張学良。

 ここで四合院が集まってできている中路は終わりで、洋館でできている東路へ。

 張氏帥府の建築の代表といえる大青楼は、三階建ての洋風建築。

 内部を見ると、張作霖・張学良父子の権力の大きなことや一族の生活が贅沢だったことがよくわかる。

 満州事変によって張学良がこの地をおわれた後、満州国時代は国立奉天図書館であった。

 

 大青楼の内部の一こま。張学良の弁公室(事務室)。

 

 

 

 

 

 

 ここは国民党に合流後、会議室だった部屋か。

 こちらは小青楼。

 

 

 

 

 

 

 小青楼の客間。列車爆破で瀕死の張作霖はここに運ばれ息を引き取った。

 引き続いて、瀋陽故宮へ。張氏帥府から1kmほど離れていた。

 清朝成立時の都は、瀋陽であった。瀋陽故宮は、初代皇帝ヌルハチ、2代皇帝ホンタイジによって造営されたもので、1644年に北京に遷都されるまで、皇帝は本拠地をここにおいていたし、遷都後も清朝歴代皇帝は瀋陽故宮を訪れることがしばあった。

 左は、入口。
 

 崇政殿。

 ホンタイジによって建てられたもので、彼はここで政治を行った。

 額には、満州文字が併記されている。

 崇政殿の中の中央には玉座がある。

 続いて、大政殿へ。(画像下左)

 この八角形をそいた建物は、ツルハチによって建てられたもの。瀋陽故宮の中でも一番印象が深い建物が大政殿だった。

 こちらも内部には玉座が中央にある。(画像下右)

 鳳凰楼。

 瀋陽故宮の中で三階建であるこの建物は最も高い建物である。かつては、瀋陽の中でも一番高い建物だった。

 北京の故宮に比べると比較にならないくらいずっと小さいものだが、ミニ故宮という感じがする。

 このあと、500mほど離れた中街へ、瀋陽で最大の繁華街で、中国十大繁華街のひとつでもある。  

 

 

 

 

 

 なかには、1930年代の建築じゃないかと思われるような建物もあった。

 中街のど真ん中にも地下鉄の駅ができるようで、工事中だった。

 

 

 

 

 

 

 夕食は、老辺餃子館に行った。瀋陽でも・史の古い餃子店で1829年の創業という。
 

 注文を考えていたら、あらかじめ花の入ったカップに長い管のついたやかんから湯を注いでくれて、花茶ができた。

 

 

 

 

 

 花茶はなかなか香りがよかった。ただしこれも別料金が必要で5元也。

 注文はなかなかしにくかった。なぜならあまりにも餃子のメニューが多すぎたからだ。

 煎餃(焼餃子)と蒸餃を1品づつ注文した。先に蒸餃が運ばれてきて、食べ終わったころに煎餃がやってきた。

 蒸餃は、「伽哩牛肉」というもので、名前通りカレー味の牛肉。カレー味の餃子を食べたのは初めてで、こんなものもあるかって感じ。

 煎餃は「氷花煎餃」。

 餃子底面(底面が上になっている)が薄い白色の網目状の膜に覆われ、餃子と膜の間で焼き上がった面の色と幕の部分の色の対照がはっきりとしていて、雪の結晶、氷花のようになっている。で、中身・謬示はないが、野菜と豚肉のような感じだった。

 思っていたよりも多いのにもびっくり。注文した蒸餃は12元、煎餃は20元だったが、具の違いかと思っていたが、数も違っていて、蒸餃は10個、煎餃は18個。

 一緒懸命食べたが、数個食べられなかった。勘定のとき、食べ切れなかった分は発砲スチロールの箱に入れてくれて、持ち帰るようにしてくれた。もっとも、ホテルに帰って、残りを食べたが、冷え切っていて美味しくはなかった。

 飲物は雪花ビール。6元。ほかにお茶代5元とパッケージされたお箸が1元。合わせて44元(約580円)で食べ切れない量の餃子を堪能した。

 食後は飲物などを買って、タクシーでホテルに戻った。

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