2 日 目 前 半 |
前日はホテルに戻ると、ネットをしているうちに眠くなり、そのまま風呂にも入らずに寝てしまった。朝早くに起き、朝風呂のあと、この日のスケジュールを考えた。 午前中に瀋陽市内でまだ行きたいところ3か所を回り、そのあと撫順に向かうという計画だ。瀋陽行きを決めた時には、撫順まで考えておらず、見どころの少ない瀋陽は2泊3日で一通り行きたいところには行けると思っていた。 だが撫順まで行くとなれば話が変わってくる。撫順に行く代わりに、瀋陽市内では少し郊外になる東陵はあきらめることにした。 部屋を出るとき、入口入ったところの大理石の床に気付いた。これもヤマトホテル時代からのものだろうか。 |
朝食は7時からなのだが、早めに部屋を出て 遼寧賓館の内部を見て回った。 まずは隣の部屋302号室のプレートから。隣室は陳毅の泊った部屋だ。
3階と2階を結ぶ階段にある窓のステンドグラス。 竹の模様になっているが、日本の竹のイメージだ。 |
曲がった階段を2階から3階を見渡す。 201号室は毛沢東が泊った部屋だというプレート。
|
202号室は周恩来が泊った部屋だというプレート。 プレートつきはこの3人の泊った部屋だけのようだ。
1階のエレベータホールを階段の途中(中2階)から見たところ。 |
エレベータホールから階段を見たところ。
上の画像の左下付近の白く見えるところには、遼寧賓館の由来が記されている。 右はその一部を撮影したもの。 |
玄関ホール。下は回転ドア。
|
玄関の車寄せ。
ホテル外観。 |
玄関脇にとりつけれれている石板。
チェックインカウンター。 |
.ロビー。下は昔の写真。
|
昔の写真。
大宴会場の入口。この日は結婚披露宴が行われるようだった。 |
大宴会場。 下は、ビュフェ方式の朝食を皿にとる一角で、小宴会場を使った朝食場所とは別のところ。
|
朝食場所の小宴会場。
プレートに盛り付けた朝食。 |
ホテルから歩いて30分ほどの張作霖の爆殺地点に向かった。 列車の屋根が見えているが、上を通る線路の下を通っているところで爆破がされた。 上の線路は、より高いところを通るルートに変更する工事が進められている。この工事が完成すると、爆殺現場がわからなくなるかもしれない。 |
真中の車両ガ通っている立体交差のところで、橋が爆破され、下の線路を通行中の張作霖の列車が爆破されたのである。 |
左の画像では、左下の部分が爆破現場。 上を通っている線路は、大連方面への線路、下が北京方面への線路なのだが、なぜか赤い車両は、モスクワ/北京間の車両。
|
左の画像では、真中の車両の部分が爆破現場。 新しい高架の線路の工事が進んでいることもわかる。現状の線路はなくなってしまうと思われる。 |
次にタクシーで9.18記念館に行った。9.18とは満州事変のはじまりとなった、1931年9月18日の南満州鉄道の爆破事件(柳条湖事件)の日にちなんでいる。
日本側が柳条湖の線路爆破地点に設置していた記念碑が倒されて置かれている。 |
博物館の建物。
爆破地点に日本が設置した記念碑が建っている写真。
|
出口のところには、「勿忘”九一八”」と江澤民が書いている。
爆破地点がどこかははっきりと表示されていない。柳条湖というが、湖はない。 |
次にタクシーで北陵に向かった。 北陵は、昭陵とも言われ、2代皇帝ホンタイジの墓である。 上の門をはいると、参道が1.5km続く。ここで時間を費やしたくはなかったので、歩かずに、送迎車を利用した。5元。
|
車を下車。だが墓までたどりついたわけではない。この門の向こうに建物がいくつかありそれらを通っていかねばならない。 墓まではさらに1km近くあった。
右が方城。まだ少し歩かねばならなかった。 |
やっと墓にたどりついた。 このあと墓の入口まで戻って、再び送迎車で公園の出口まで向かった。 出口を出て、タクシーで瀋陽站に向かった。 |
東京駅の雰囲気を持っている瀋陽站。 この駅はゆっくり見学したいのだが、このときは時間がなかった。それで、駅の見学は翌朝、ホテルを出発するまでの間におこない、この時は、撫順行きのバス乗場に急いだ。 |
1日目へ 瀋陽のトップへ ユーラシア紀行のトップへ 2日目後半へ |