2 日 目 前 半 |
午前中に瀋陽市内でまだ行きたいところ3か所を回り、そのあと撫順に向かうという計画だ。瀋陽行きを決めた時には、撫順まで考えておらず、見どころの少ない瀋陽は2泊3日で一通り行きたいところには行けると思っていた。 だが撫順まで行くとなれば話が変わってくる。撫順に行く代わりに、瀋陽市内では少し郊外になる東陵はあきらめることにした。 部屋を出るとき、入口入ったところの大理石の床に気付いた。これもヤマトホテル時代からのものだろうか。 |
まずは隣の部屋302号室のプレートから。隣室は陳毅の泊った部屋だ。
3階と2階を結ぶ階段にある窓のステンドグラス。 竹の模様になっているが、日本の竹のイメージだ。 |
201号室は毛沢東が泊った部屋だというプレート。
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プレートつきはこの3人の泊った部屋だけのようだ。
1階のエレベータホールを階段の途中(中2階)から見たところ。 |
上の画像の左下付近の白く見えるところには、遼寧賓館の由来が記されている。 右はその一部を撮影したもの。 |
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ホテル外観。 |
チェックインカウンター。 |
.ロビー。下は昔の写真。
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大宴会場の入口。この日は結婚披露宴が行われるようだった。 |
下は、ビュフェ方式の朝食を皿にとる一角で、小宴会場を使った朝食場所とは別のところ。
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プレートに盛り付けた朝食。 |
列車の屋根が見えているが、上を通る線路の下を通っているところで爆破がされた。 上の線路は、より高いところを通るルートに変更する工事が進められている。この工事が完成すると、爆殺現場がわからなくなるかもしれない。 |
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上を通っている線路は、大連方面への線路、下が北京方面への線路なのだが、なぜか赤い車両は、モスクワ/北京間の車両。
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新しい高架の線路の工事が進んでいることもわかる。現状の線路はなくなってしまうと思われる。 |
日本側が柳条湖の線路爆破地点に設置していた記念碑が倒されて置かれている。 |
爆破地点に日本が設置した記念碑が建っている写真。
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爆破地点がどこかははっきりと表示されていない。柳条湖というが、湖はない。 |
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次にタクシーで北陵に向かった。 北陵は、昭陵とも言われ、2代皇帝ホンタイジの墓である。 上の門をはいると、参道が1.5km続く。ここで時間を費やしたくはなかったので、歩かずに、送迎車を利用した。5元。
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墓まではさらに1km近くあった。
右が方城。まだ少し歩かねばならなかった。 |
このあと墓の入口まで戻って、再び送迎車で公園の出口まで向かった。 出口を出て、タクシーで瀋陽站に向かった。 |
この駅はゆっくり見学したいのだが、このときは時間がなかった。それで、駅の見学は翌朝、ホテルを出発するまでの間におこない、この時は、撫順行きのバス乗場に急いだ。 |
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