ア ス ワ ン

 

フルーカでナイル川をゆ〜らゆら

 

ルクソールの手前で夜明け。ナイル川の鉄橋を渡り、線路はナイルの西岸から東岸に移る。まもなく停車、ケナであろう。さらにしばらく走り、8時ごろにルクソール着。車窓からは、遺跡をうかがい知ることはできない。夜行列車に乗って、夜があけてからも乗り続けるのは、空気がよどんでいるようで、いい気分でない。ときどき、ナイル川に浮かぶフルーカが見られたりしたが、時間のすぎるのに身をまかせるしかすることがない。

11時過ぎにアスワン着。13時間あまりの乗車であった。座席に座っている間はよくわからなかったが、歩き始めると、足に身がいっていて痛い。(画像は、乗車した列車。アスワンにて。)

アスワンでは、ヌビアンオアシスホテルに泊まるつもりをしていたので、駅前から続く繁華街を歩いて、ホテルに直行。駅を出ると、タクシーやホテルの客引きが一斉に集まってきたが、すべて無視して、目ざすホテルへ向かう。

ガイドブックにあるアスワンの地図の縮尺では、駅からホテルまで200mほどになるのだが、実際には500mくらいあり、まだかまだかとか、見逃して通り過ぎたのかなとか、思いながら到着。1階部分が商店になっていて、その一角から2階にあがり、レセプションへ。

レセプションにいたヌビア系の女性は日本語が多少できた。日本人が多く泊まるのであろう。1泊20LE(360円)で、2泊分40LEという。これほど安いホテルは久しぶり。

部屋を見せてくれたので、湯がでることを確かめてOK。日が差し込まない部屋であったが、この値段ではやむを得ない。タオルなどのサービスもなかったが、こういうこともあろうかと、タオルを持参したのは正解であった。

レセプションに戻り、部屋代を払うとともに、ホテルでツアーをやっているか尋ねると、この日はフルーカツアー、明日はアブシンベルツアーが利用できそうであったので、申し込む。フルーカツアーは35LE、アブシンベルツアーはロング(アブシンベルのほか、アスワンのいくつかの名所を回る。ほかに、アブシンベルだけ行くショートがある。)で60LEであった。

フルーカツアーは14時に出発ということだったので、それまでに繁華街に出て、昼食をとることにした。駅の近くまで歩き、一軒の店に入る。メインのおかずを指定すると、いろいろなものがついてくるセット料理だけの店であった。エジプトでは、安そうな食堂の場合、こういうスタイルが多かった。チキンを注文したが9LE(162円)。ほかのセットもその前後の値段であった。

食後は、繁華街をぶらぶら。歩いている人たちは、カイロと比べてみて、黒い肌をした人たちが多い。この人たちは、エジプト南部に多いヌビア人である。

フルーツを売っている屋台があったので、バナナ、オレンジ、それに名前のよくわからない果物を指差す。量を聞かれているようだが、グラム単位で売っているようで、どう答えればよいかわからず、10LEを渡し、札を指差す。これで、10LE分というのが通じたようである。結構な量であったので、このあとのフルーカに乗るときに持っていき、他の客に食べるのを手伝ってもらうことにした。

いったん、部屋に戻り、しばらく休み、14時少し前にレセプション前に行くとすでに、同行の客とガイドが集まっていたので、すぐに出発。日本人夫妻とデンマーク人女性2人組と一緒であった。

ホテルからナイル川まで歩き、河辺に降りる。段差の大きなところを降りなければならなかったのだが、足に身がいっている者としてはとてもつらかった。

フルーカとは、ナイル川で運航される帆掛け舟のことである。ガイド兼船頭がたくみに帆をあやつって、走らせていた。風の微妙な動きを感じ取って、帆の向きを調節して、うまく動かしていた。ただ、風がほとんどないときには、櫂で漕がなければならなかった。

まずは、フルーカに乗ったところのちょうど対岸にある岩窟墳墓群へ。ローマ支配時代の貴族の墓なのだが、かなり高いところにあって、足が心配だが上ってみることにした。ところが、デンマーク人も日本人夫妻も見にいかないというので、一人で上る。1時間で戻ってくると約束して出発。

今回のエジプト旅行では、どこの遺跡に行っても墓などの内部の壁画は、軒並み写真撮影禁止だったのだが、唯一、ここはフラッシュなしの撮影が可能であったので撮影。この ような壁画が、いろいろなところで見られたのだが、記録に残せたのはここだけであった。

遺跡からは、アスワン市街が一望できた。ナイル川にはフルーカが行きかい、クルーズ船が停泊しているのもよくわかる。また、アスワンはかなり大きな町であることもわかる。

上ってきた道を引き返すわけだが、降りるときは上るときよりも、身がいっているときは痛い。そろそろと降りたいのだが、1時間の約束の時間を守るために、痛いのをがまんして、フルーカに急ぐ。先ほどのフルーツを取り出し、6人でわけて食べた。6人でちょうどいいくらいの分量だった。

再び、フルーカで向かったのは、キッチナー島。ところが、この日、フルーカや遊覧船の数がとても多く、なかなかキッチナー島の乗降場所に近づけない。どうするかということになって、自分以外は停泊しても、島にある植物園などは見に行かないというし、自分も、この島は植物園の島なので、別にパスしてもいいやと思い、見に行かないといった。そのため、この島はフルーカから眺めただけ。

このあたりで、風がほとんどなくなり、しばらくナイル川の上に浮かんでいるだけというような状態になった。景色の変化もなく、もっぱら、日本人夫妻との話に夢中になっていた。互いの旅行コースなどの話をした。夫妻は、この日にエジプトに着き、すぐに国内線でアブシンベルへ行き、そのあとアスワンにやってきたということだった。

気がつけば、アガ・ハーン墓の近くまできていた。ここは、イスラム教のひとつの宗派であるイスマーイール派の指導者であったアガ・ハーンの墓だが、公開はされていない。

さらに、フルーカはエレファンティネ島へ。この島には、アスワン博物館、クヌム神殿、ナイロメーターがある。例によって、自分以外の4人は入場しないというので、1人で島に上陸。博物館の敷地内に神殿とナイロメーターもある。

ここは17時で閉鎖になるのだが、すでに16時20分だった。それで、博物館は駆け足で通り過ぎただけ。そのあと、クヌム神殿を見る。ほとんど原型をとどめていないが、一部修復されている。ここは、ローマ時代の遺跡である。

 

ナイロメーターを見るには、ナイル川べりに降りていく。ナイル川の氾濫の対策として水位を測定したものである。上の左の画像のような目盛りが、右の画像の階段の壁面に刻まれている。ただし、左の画像の目盛りは復元したもので、古くから残されているものは、このようなはっきりした目盛り ではなく、かすれてよくわからなくなっている。

一番下までおりると、乗っているフルーカが近くに見えた。かなり遠回りして、結局、船のついた場所の近くまで戻っていたのだ。ほかの乗客に手を振ると気づいてくれた。このあと、大急ぎでフルーカに戻ったのだが、また大回りしなければならなかった。

フルーカに戻ると、博物館も閉まった。このあとは、乗った場所に戻るだけだが、意外と時間がかかって、途中で日の入り。

日が沈むと、川の上はとても寒い。念のために持ってきた厚着を着込んだ。ようやく、ホテルに近い乗降場に戻ってきた。こういう場合はバクシーシが必ず必要なので、あらかじめ用意しておいた。

このあと、歩いて2kmほどのところにあるヌビア博物館に向かった。この博物館の開館時間は変わっていて、9時から13時と17時から21時である。(ガイドブックでは18時から22時となっていたが、これは夏季の時間) そのため、この時間から行っても十分に間に合うのだ。

ヌビア博物館は、エジプト南部のヌビア地方の歴史、文化について展示している、1997年にできた新しい博物館だ。展示方法も、照明を工夫するなどして、現代風の博物館になっている。また、屋外展示もあり、さまざまな建築物の模型などがあり、夜間はライトアップもされていた。

見学後は、歩いてホテル近くの繁華街に戻る。昼間は、駅からホテルまでの間しか歩いていなかったが、その繁華街は、駅からホテルまでの2倍くらいの長さがまだあったことがわかった。

途中で夕食をとった。昼食と同じく、セットメニュー方式の食堂だった。今度はコフタを注文。コフタとは、ミンチした羊肉を固めたハンバーグのようなものである。昼食のときの食堂よりかなり清潔そうな店だったが、値段も倍くらいしていて、コーラも含めて23LE(414円)であった。

このあと、ホテルに戻る。翌日は、アブシンベルツアーで、早朝3時に起床して、3時30分出発である。レセプションで念のため、時間をもう一度、確認してから、部屋へ。早めに休もうとするが、寝付かれなかった。

 

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