5 ア ブ シ ン ベ ル
3時起きで往復560kmをコンボイで往復
早朝というよりはまだ深夜、3時に起床。目が覚めると3時少し前だった。よく寝過ごさなっかったものだ。こんなに早く起きたのは、3時15分朝食、3時40分ホテル出発というスケジュールになっているからだ。この日は、砂漠の中の道を延々280km走りアブシンベルに向かい、そのあと同じ道をアスワンに戻るのだ。 3時過ぎに食堂に行くと、すぐにパンとバター、紅茶の簡単な朝食。他の客はまだきていないが、皿数からツアーに行くのは5人と判明。食後、一度、部屋に戻り一休みしたあと、レセプション前に。他の4人はすでに待っていた。みな欧米人で、男女2人組と男性個人客が2人。やがて、ホテルの下でクラクシュンが鳴る。 あわてて下に降りるが、ショートツアーの車だったようだ。こちらに男女2人組と個人客1人が乗車。その車が出てからも、道端で待っていたら、従業員が中に戻るように合図したので、再び中へ。アスワンは昼間、かなり気温が上がっていたようだが、明け方前はたいへん寒い。しばらくして、再度、車がやってきた。 ロングツアーであることを確認して、ワゴン車に乗り込む。すでに10人乗り込んでいて、自分と欧米系男性は、この車の最後の客のようで、補助席に座らねばならなっかった。これから、280kmも補助席に座っていくのはつらそうだ。 10分ほど走ったところで、大型バス、ワゴン車、タクシーなど総計50台近くが延々と列をなしている。ああ、これがかの有名なコンボイかと納得。コンボイとは、テロや強盗の防止のために、観光客を乗せた車が車列をなして走るシステムで、警官の乗った車が付き添っている。アスワンからアブシンベルへ行くのも、コンボイで行かなければならないようだ。 アブシンベル行きのコンボイはアスワンの南の集結場所を4時出発となっているようだ。自分の乗ったワゴン車は、ちょっと遅れ気味で、4時ぎりぎりに集結場所に着いたのだが、何と、順番を待っている車列の横をどんどん抜け、何と4時の出発の時点で、前から3番目か4番目の位置に、横入りしたのだ。しかし、自分の乗った車、性能は良くないようで、途中で何台もバスやワゴン車に抜かれ、アブシンベルに着いたときにはコンボイの中でもほとんど一番後ろになってしまっていたようだ。 アブシンベルまで3時間だった。2時間くらい走った頃に日の出。外に見える光景は、果てしない砂漠だけ。単調な光景をずっと見続けるだけだ。ワゴン車の補助席はつらいが、涼しいのでまだいい。夏はどうなのだろう。日の当たる側などは、とても暑くて、灼熱地獄であるのだろう。 7時少し前、アブシンベルに到着。チケット売場で10分くらい並ぶ。ゲートから中に入ると、小高い丘があるが、これがアブシンベル神殿を覆っているドームである。丘の反対側に出ると、ファラオ像が並ぶ神殿の正面に出る。
大きな岩山の一部分を削ったような感じになっているが、これは作り物であって、神殿を覆うようにあとでつくられたものである。この神殿、ナイル川にアスワンハイダムが作られた際にナセル湖に水没することになり、水没から守るために神殿をたくさんのブロックに切断して近くの高台に運んで、再び組み立てられたものだ。
この神殿は、ピラミッドと並ぶ巨大建造物であるが、できた時期はかなり違う。ピラミッドが紀元前2500年頃の古王国時代のものであるのに対して、こちらは紀元前1300年頃の新王国時代のものである。 4つの像は、ラムセス2世。この神殿をつくったファラオである。このファラオ、ルクソールのカルナック神殿やルクソール神殿にも像を残している。 内部にはまず大列柱室があるが、ここにもラムセス2世の像。さらにこの奥に前室、そして一番奥に至聖所。これらの部屋は壁にさまざまなレリーフがある。また、大列柱室には側室がいくつかあり、壁画が美しい。
次に、大神殿から少し離れたところにある小神殿へ。こちらも入口にはラムセス2世の像が4つ。加えて、こちらの神殿は、王妃ネフェルタリのためにつくった神殿であるため、ネフェルタリの像も2つある。 小神殿も内部には、列柱室、前室、至聖所があり、壁にはレリーフがある。こちらは、大神殿に比べて内部も狭いので、混雑も激しかった。
ナセル湖は広大である。アブシンベル以外にも、多くの水没するはずだった遺跡が移設された。これらは、湖のクルーズでないと訪問が難しいようである。 2時間の滞在時間はあっという間に終わり、指定された9時に駐車場に戻る。降りるときにナンバーをメモしておいたのだが、車がなくて心配したが、やがて現れた。他へいっていたようだ。早い者勝ちで、今度は、補助席じゃない普通の席、しかも日があたらない側の席を確保できた。 しかしなかなか出発しない。理由は簡単。コンボイの出発が9時30分だったからである。ほかの大型バスなども、みな9時30分出発である。コンボイのために、陸路でアブシンベルを訪問するときは、どのような場合も、自分の場合と同じスケジュールになる。 日こそ当たらないが、景色は単調。やがて眠くなり、ずっと居眠りしての移動。夏場の暑いときは、居眠りもできないくらい暑いのだろうか。
12時すぎ、アスワンハイダムの近くまで戻ってきた。ここで、ワゴン車を下ろされる。この車、ショートツアーの車だったようで、自分と欧米人の2人が、待っていた別のマイクロバスに乗換え。こちらでは、再び、補助席に座った。 すぐに、アスワンハイダムに到着。水面からダムの上部までの高さは、ナセル湖のある上流側では10mくらいしかない。しかも、ダムには、水を放流するための放水口があるのが普通だが、このダムにはない。水面下にある穴によって上流側と下流側とがつながっているらしい。 上の画像の上部真中に小さく建物が写っているのがわかるだろうか。カラブシャ神殿である。ここへいく場合も、船でいかねばならない。拡大したのが下の画像。カラブシャ神殿も水没からまぬかれるために移設された遺跡である。
下流側は下の画像。下流側は高さがかなりある。水面からダム上部までの高さは50mほどではないだろうか。それだけ、上流側には多くの水が貯まっているわけである。ダムの上部の幅は100mくらいある。水面の部分では200mくらいあり、水面下の部分もいれたらもっと幅があるのだろう。上流側だけしか見なかったら、ダムではなく、湖畔の道路と思ってしまう。日本でよく見かけるアーチ式のダムとはかなり趣が異なる。
アスワンハイダムのあとは、ナイル川の中州であるフィラエ島にあるイシス神殿に向かう。フィラエ島の近くにあるのがアスワンダム。アスワンハイダムやアブシンベル方面とアスワン市街を行き来するときには、必ずアスワンダムの上部を通る。フィラエ島に渡るボートからは、アスワンダムがよく見える。
上の画像は、アスワンダムの上を通った際に、上流側を撮影したもの。左手奥にフィラエ島、右手奥にアスワンハイダムがあるはずであるが、写ってはいない。 このダムは、日本でよく見かけるダムに似ていて、上部の幅はそう広くない。20mくらいであった。上流側では水面からの高さが10mくらいだが、下流側では高さが数十メートルになっている。 もともと、20世紀初頭につくられたアスワンダムによってナイル川の水量をコントロールする予定であったが、できなかったので、アスワンハイダムが計画され、1970年に完成したのだった。
車から降りてチケットを買い、ボート乗場まで行き、そこでボートの船頭と値段を交渉してボートに乗って島に向かうというシステムになっている。たまたま、自分の近くにいたまったく見知らぬ欧米人3人と自分をひとつのグループと船頭が勘違いしたらしく、ひとり20LEだという。いや、それは高い5LEだといったりして、結局、一人当たり10LEとなった。 島の近くまでくると、遺跡がボートから眺められた。島に着くと1時間後に迎えに来るということを約束。
イシス神殿もまた、アスワンハイダムの影響で水没するため、移設された神殿である。ただ、アスワンハイダムより下流に位置するため、かなり離れた場所に移設されたのであろう。 上の2つの画像は、同じ神殿を水上からと、陸上とから撮影したものだ。時代的には、新王国のあとの末期王朝時代からローマ時代にかけてのものである。
上は、帰りの船から見たハトホル神殿。
上は、アスワンダム。ダムの上に道路がある。 イシス神殿のあと、最後の観光個所は、切りかけのオベリスク。古代の石切り場で、切っている途中でひびが入ったために、放棄された巨大な石がある。きっちり切られていれば、オベリスクになっていたはずだという。 マイクロバスは、切りかけのオベリスクの入口で10秒ほど停車。大きな石が見える。これが、切りかけのオベリスクか。そして、ターンしたので、駐車場に車を入れるものとばかり思った。ところが、何と、このまま、アスワン市内のほうに向かうではないか。車窓見学だけだったのだ。画像を撮る間もなかったのが、残念だったが、もう一度、行ってみようという気も起らなかった。 このあと、ホテルごとに客を下ろしていく。16時ごろ、いったん部屋に戻り、一休み。早朝4時前に出発したので、延々12時間の日帰り旅行であった。
30分ほどだけ休んで、食事に出かけた。繁華街を歩きながら、店を探した。活気のある街だと感じた。
食事は、チキンのセット。初めての店にいったが、適当なメニューがなく、前日も食べたような食事に落ち着いた。20LE。
香料を売っている店にて。青い香料が印象的である。別の店で、香料が少しづつ子袋につめて、それをつなぎあわせて売っている店があったので、手にとって見たら、全部の香料名を説明してくれたのだが、名前を忘れてしまった。 ホテルに戻り、この日は早く休んだ。
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