8  ア レ キ サ ン ド リ ア

 

アレキサンドリアで行ったり来たり

 

ルクソールからの列車は6時過ぎにカイロ着。列車の中で、旅の後半の日程をああでもない、こうでもないと考え続けていたが、結局、アレキサンドリア、バフレイヤオアシスの順に回ることにした。

カイロで改めてアレキサンドリア行きの切符を購入。アレキサンドリアのことをある駅員はアレックスと呼んでいた。 別の駅員はイスカンダルと呼んでいた。イスカンダルは「宇宙戦艦ヤマト」に登場するイスカンダル星でおなじみだったので、ああアレキサンドリアのことをアラビア語ではイスカンダルというのかとなぜか感心した。

さて、乗るのは8時のノンストップ列車。この区間の最速列車である。朝食は駅構内で座れる場所を見つけて、手持ちの菓子などで済ませた。

アレキサンドリアまで2時間10分の旅なので、2等にした。26LE(約468円)。しかし、自分の横に座ったのが、大男。自分の領域にまで進出されてしまい、こちらは小さくならざるを得ず、窮屈な思いをした。

列車はノンストップでアレキサンドリアをめざす。途中は、農村地帯を走る。道路の場合は、カイロとアレキサンドリアを結ぶルートが2つあって、農業ロードと砂漠ロードがあるのだが、鉄道は農業ロードに沿っているようだ。

ノンストップ列車だが、アレキサンドリアでは、まずガベル駅で停車し、終着のマスル駅に向かう。半分ほどの客はガベル駅で下車。隣の大男も下車し、ヤレヤレ。5分でマスル駅に到着。途中で遅れたため、20分の延着。

到着後、まずは翌日のカイロ行きの切符を確保しておいた。昼過ぎのノンストップ列車といって頼んだら14時発とのこと。ただし今度は、1等を購入。35LE(約630円)。

このあと、宿を確保するため、安いホテルの集まっている海岸方面に向かった。ガイドブックで目星をつけておいたホテルに行ったがあいにく満室。で、次に行ったホテルで部屋を確保。サアド・ザグルール広場に面したニュー・カプリ。下の画像で、ブルーの垂れ幕がかかている8階(日本式で言うと9階)がこのホテル。下の階には、いろいろな事務所が入居していて、一番下の道路に面しているところにはインフォメーション、1階(日本式では2階)には、ツーリストポリスが入居していた。

自分の部屋は、上の画像で、ブルーの垂れ幕のある階の一番右側の部屋だった。その部屋からの眺めが下の画像。地中海と広場を見渡せて、とても良かった。

まずは、夜行の疲れをとろうとシャワーを浴びる。バス・トイレは部屋にはなかったのだが、バス・トイレの数が部屋の数に近いくらいあったので、部屋の外には出なければならなかったが、自分専用にバス・トイレを使用できた。

その後、部屋で休んだりしていると、たちまち12時。そろそろ外出しなければ、アレキサンドリアの博物館や遺跡などは閉館時間が16時が多いので、見学できなくなる。

2階建ての路面電車といえば香港にしかないと言われることもあるが、アレキサンドリアにも走っている。3両編成のうち1両が2階建てになっている編成がある。このほかに、1階建てだけ3両の黄色い電車も走っていた。2階建てのは行先が少し遠いのかもしれない。

海岸沿いの道路まで出て昼食。海に面しているだけあって、シーフード料理の店が多いが、12時過ぎの時点ではまだ開いていない店のほうが多い。開いていた店で、シュリンプカレーを食べた。どういうわけか、日本で食べるカレーライスとほとんど同じだった。日本料理店でもない普通の現地のレストランで、日本のカレーライスと同じようなものを食べたのは初めて。

昼食後、グレコローマン博物館に向かった。この博物館に行くのに、道を間違えてしまった。ガイドブックにこの周辺の詳しい地図があるのだが、近道だろうと選んだ裏通りが載っていなくて、すぐそばまで来ていながら、うろうろしてしまった。

エジプトではカイロの考古学博物館についで有名な博物館である。名前の通り、ローマ化されたエジプトである、プトレマイオス王朝からローマ帝国支配下の時代の発掘品が中心。

中庭の雰囲気がとても良かったので、歩きつかれたこともあって、しばらく休んだ。発掘品がオープンエア展示されている。

次に、ローマ円形劇場へ。かなり修復が行なわれていて、しかも規模があまり大きくなかった。このほか、浴場跡も同じ敷地内にあった。

続いて、アレキサンドリア国立博物館に向かった。ところが、ガイドブックの地図では、この博物館にある付近は、詳しい地図が掲載されていない。大雑把な地図しかない上、壁などでこの建物は道路からは直接見にくくなっていて、この建物を通り過ぎていたのだ。

300mくらい行き過ぎてから、あたりをうろうろした挙句、別の方向に向かって歩いてしまったりした。それで、道端でおしゃべりしていた警官に道を尋ねた。すると、こちらにこい、ということで、警備していた建物の中に入るように指示されてびっくり。どこに連れられるのかと心配になったら、その建物の裏口のようなところから、裏通りに出て、さらに歩かされた。その距離300mほど。すると、ガイドブックに載っている建物が見えた。警官は、一緒に歩いて連れてきてくれたのだ。警官には大げさに喜んで、感謝を伝えた。これで、バクシーシといわれかねないのがエジプトの恐ろしいところだが、それもなかった。親切な人は親切なんだ。

この博物館は、エジプト訪問の1年半ほど前に開館した新しい博物館だ。建物自体は、かつての宮殿を利用しているのだが、内部はとても新しく、展示方法も全体に暗い中で照明を工夫していて、見やすい博物館であった。

グレコローマン時代、コプト教、イスラム教などにコーナーが分かれていた。古代だけに注目が行くエジプト文化だが、アレキサンドリアは、紀元前後のプトレマイオス王朝以後の文化財が重要だ。

下は、コプト教の十字架が彫られている石材。教会の壁などに使われたものだろうか。コプト教は、原始キリスト教であるが、現在でも一定数の信仰を集めている。

国立博物館では閉館の16時まで見学。その後、繁華街を散歩。下の画像をよく見ると、街燈が立っているのがわかる。この街燈をはじめ、どことなくヨーロッパ風の街路であるのが、アレキサンドリアの特徴である。

街路のゴミも、これまでに行った街よりも少なく、全体としてきれいな感じだ。この翌日、ホテルから駅へ歩いたときに、ゴミを集める車や水をまく車を見かけた。街の美化に力を入れているのだと思った。

海岸まで出て、カイトゥーベイの要塞に向かう。ガイドブックではマイクロバスでいけるような書き方になっていたので、次から次へとやってくるマイクロバスに、カイトゥーベイ?と尋ねてみるが、行かない車ばかり。それで、タクシーを利用。ガイドブックでは3LEと書いてあったので、3LE出したら、1LE返された。2LEで良かったのだ。このまま受け取られてもわからなかっただけに、親切な運転手だとうれしくなった。

ガイドブックでは20時まで開いていることになっているが、実際には17時で閉まっていたため、中には入れなかった。せっかく来たので、海岸べりの遊歩道にあるベンチで休憩。

このあと、ホテル近くの繁華街に戻る。再び、タクシーを探すものの、要塞のそばまでやってくるタクシーは少ない。少し歩いて、交通量の多い道で探した。まもなく、目の前にタクシーが止まり、ドライバーの側から声をかけられた。相手から声をかけられたら、怪しむのが観光地での鉄則だが、この日は親切なドライバーに出会っていたため、油断しすぎた。降りる際に、さきほど知った料金である2LEを渡した。すると、5LEだと言われたのだ。高すぎるといって拒否。やむを得ず、3LEを渡す。

ベジタリアンのレストランで夕食。6皿のうち上の3皿とアエーシ(パン)はだまっていても出てくるようで、下の3皿を注文。豆の煮付け、野菜スープ、ターメイヤ(ソラマメのコロッケ)。これだけで6LE(約108円)。ターメイヤは、その中は、鮮やかな緑色をしている。

さらに、夜の繁華街を散歩して、ホテルに戻った。下は、ホテルの部屋から見た、夜景。とてもきれいだったので、しばらく眺めていたが、かなり寒かったので、ほどほどにして、シャワーを浴びて、床についた。

 

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