7  ルクソールで遺跡三昧

 

ルクソールでナイル川両岸の遺跡を楽しむ

 

この日はルクソールで、ナイル川西岸の遺跡群を1日かけて回る予定。夜は、前日行けなかった博物館にも立ち寄ってから、列車に飛び乗ることにしよう。

6時30分にホテルを出発。まだ暗い中をナイル川の対岸に渡る船着場まで歩いた。船着場に着いたころに夜明け。船の料金は1LEだが、なぜだか往復の料金を請求され、2LE払った。帰りの切符のような証明書を発行してくれた。本当にこれで乗れるのって感じだが、、

7時過ぎに対岸に到着。こちら側から、東岸を望むとルクソール神殿が見える。(画像は、午後、西岸からの帰途に撮影したもの。)

さて、船を下りたらタクシーが待ち構えているはずだと思っていたが、案の上、タクシーが数台と止まっていた。その中の1台と交渉。夕方まで貸切で、遺跡9箇所を訪問するという条件で話を持ちかけたところ、200LEから交渉スタート。問題にならない。100LE以下でないと乗らないぞって態度で値段決め。

だが、西岸にきてもタクシーに乗らなきゃ、どこにも行けないということを見抜かれていて、ドライバーは強気である。130LE(約2340円)で妥協せざるを得なかった。

訪問箇所は、王家の谷、セティ1世葬祭殿、ハトシェプスト女王葬祭殿、ラメセウム、貴族の墓、デール・イル・マディーナ神殿、王妃の谷、ラムセス3世葬祭殿、メムノンである。回る順番はドライバーに任せた。何でも、王家の谷からはじめ、メムノンで終わるのがいいそうである。

いざ、タクシーに乗ろうとしたら、どういうわけか、ドライバーの知り合いの警官が同乗してきた。どういうことだろう?

まず、王家の谷に向かう前にチケット購入。これらのうち、メムノンだけは無料で、あとは有料で、特に訪問者の多い王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿、王妃の谷は各遺跡の入口でチケットを売っているのだが、それ以外の5つの遺跡は、遺跡から遠く離れたチケット売場でまとめてチケットを買う。いちいちチケットを買うために戻るのはとても不便だから、どの遺跡のチケットを買うかあらかじめよく計画をたてておかなけらばならない。

自分の場合は、ほとんどのところに行くから片っ端から買うわけだが、それでも、貴族の墓は、たくさんあるので、どの貴族の墓か決めておかねばならなかった。たくさんある貴族の墓のうち、ラモーゼの墓を見学し、ほかはカットすることにした。

7時30分、王家の墓の入口の駐車場に到着。警官もここまで乗ってきた。早朝だというのに、すでにかなりの車がきている。10時に迎えにくることを約束。 タクシーのナンバーをしっかり控えておく。ドライバーはその間に別の仕事をするんだろう。

駐車場から墓の集まっている場所までは少し離れていて、遊園地のおとぎ列車のような乗り物で向かう。この間500mほど。入口で、王家の谷のチケット55LEと別にツタンカーメンの墓のチケット70LEを購入。王家の谷のチケットで、3箇所の墓が入場できるのだが、ツタンカーメンだけは別料金になっている。それにしても、チケット代が高いのに悩む。有料の入場箇所8箇所とツタンカーメンを合わせると何と266LE(約4800円)。

この付近には数多くの墓があるが、地上を歩いている限りでは、墓への入口が点在するだけで、単なる砂漠の山である。それが、中に入ると、鮮やかな壁画が残っていて驚く。しかし、撮影は禁止なのが残念。

上の画像はツタンカーメンの墓の入口。すぐに荷物預け場所があり、そこでカメラを預けなければならない。そして、階段を下りると、ミイラの安置されていた玄室などがある。ツタンカーメンの墓は、今回入場したほかの墓に比べると、規模が小さい。若くして死んだためだろうか。壁画はとても美しい。よく現在まで残っていたものだ。

ツタンカーメン以外では、ラムセス6世、ラムセス3世、セティ2世の墓に入場。 なかでも、ラムセス6世の墓の壁画がきれいだった。

さて、約束の10時の10分前に駐車場へ。案の定、駐車場の車を片っ端から調べたが待機していない。予想通り、他の仕事をしているに違いない。ところが、予定の10時になり、10時10分になり次第にいらいらしてくる。10時20分、30分になり爆発寸前になって、警官や他のタクシードライバーがやってきてタクシーがこないのか尋ねてきた。

そして、車のナンバーを聞かれたので、答えると、タクシーのナンバー一覧表みたいなのをとりだして調べてくれた。すると、この車は忙しい、もう少し待て、といわれる。やはり他の仕事で忙しいんだろう。そして、警官が日陰の警官用の待機場所に連れて行ってくれた。何と、この朝、タクシーに同乗してきた警官だった。

その1、2分後だった。タクシーが戻ってきたのは。ところが、何と、ドライバーが違っているじゃないか、、どうなってるのかと思っていたら、今度のドライバーは自分の行き場所を知っている、、で、どうしてドライバーが変わったのか尋ねた。すると、前のドライバーは、学校の先生だという。学校の始まる時間になったんで、ドライバーが変わったが、引継ぎはできているという。間合いで別の客を乗せていたのかとは聞かなかったが、当然していたのだろう。

10時50分にセティ1世葬祭殿に到着。ドライバーは30分必要だといっていたが、20分でと伝える。30分あれば、間合い運転出来たろうが、20分じゃ無理だろう。実際、ここの葬祭殿はあとでいくハトシェプスト女王やラムセス3世の葬祭殿よりもずっと小さい。

ついで、ハトシェプスト女王葬祭殿へ。11時15分ごろ到着。ここは大きいうえ、駐車場から遺跡までかなり離れている。ドライバーは1時間を提案してきたが、12時に待ち合わせとした。また間合い運転するんだろう。時間に遅れなければ、まあいいだろう。

ここの遺跡で観光客が襲撃されたのは、1997年11月17日のこと。その後、エジプトへの観光客は激減したが、2、3年で元に戻った。上の画像を撮影したあたりが、ちょうど惨劇の中心になったところである。現在は、惨劇を想像させるような跡は何も残っていない。

この葬祭殿は規模が大きく、上の画像は、2階部分の内側にあるテラス。画像中央にはさらに奥に入れるようになっているが、観光客は入れない。また、1階部分の柱の列の内側にある廊下には、壁画が残っていて美しかった。

ゆっくりと見学して、約束の12時に駐車場に戻ったが、タクシーはきていない。結局、タクシーが戻ってきたのは12時15分。1時間の時間があれば、もっとゆっくりと見学したのに、、まったく、時間を守ってくれなくて困る。

続いて、ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)へ。5分で到着。ドライバーは何と、ここは30分、ここから次のラモーゼの墓までは歩いて10分ほどだから歩いて移動し、ラモーゼで30分とって、13時30分にラモーゼの前で待ち合わせと言ってきた。こりゃ、約束違反。全部の遺跡を回るつもりじゃないか、と思ったが、気がいいのか、ラモーゼの前で13時10分と逆に指示。

ラムセウムはあまり大きくないので10分くらいで見学終了。歩いてラモーゼに向かった。ドライバーの言うとおり10分で移動。ラモーゼの近くまでやってくると、子供たちがガイドをさせてもらおうと近寄ってくる。大体の場所はわかっているので、子供のガイドを無視して歩く。もっとも、間違っていたら格好悪いので、反対側から歩いてきた欧米人に、この奥にラモーゼがあるのか聞いてみた。予想通りだった。このあと3分歩くか歩かないかの距離にラモーゼの墓のがあった。

ラモーゼでは、壁に彫られたレリーフがきれいだった。13時10分に、ラモーゼの前にあった駐車場に出たが、またまた時間無視された。タクシーが戻ってきたのは、13時30分。

5分で、次のデール・イル・マディーナ。14時に待ち合わせとした。王家の谷を建設した労働者の町の跡であるという。かなり小さく区切られている建物跡だ。墓が2つあり、そちらにも入場。

もう遅れはしないだろうと思っていたが、10分ほど待たされた。5分かかって、王妃の谷へ。待ち合わせ時間は14時50分とした。王妃の谷で、一番美しい壁画があるのは、ネフェルタリの墓であるが、現在は閉鎖中である。入場できた墓は3つあり、いづれにも入ったが、王家の墓に比べると、規模が小さいし、壁画もあまり残っていない。

車が戻ってきたのは、15時。10分かかって、ラムセス3世葬祭殿。20分後で見学を果たし、15時30分に出発と約束。20分で見られるかどうかわからないが、必ずドラーバーが遅れることがわかっているんで、こういう時間にした。結構大きな遺跡で、一通り見るのに20分というのは無理で、30分かかった。それで。約束の時間よりも遅れて待ち合わせ場所におった。この作戦は成功、自分がもどって1分もたたないうちにタクシーがやってきた。

船着場に戻る途中にメムノンの巨像がある。この像はアメンホテプ3世。なぜ像がぽつんとあるかというと、この像の後ろには葬祭殿があったのだ。ところが、後の王によって石材が利用されて、なくなってしまったらしい。ここは、像の写真を撮影してすぐに出発。滞在時間1分だった。

15時40分ごろに船着場に到着。7時10分ごろ、ここを出発したから8時間半、車を利用したが、うち1時間ほどは、待ち合わせの時間に車が遅れたために待っていた時間だった。それだけ待たされたことの抗議の意味をこめて、バクシーシは5LEだけにした。

船に乗り込むときに、この朝、対岸で往復の料金を払ったために受け取っていた証明書らしきものを渡す。手書きで本当にチケットなのか心配だったが、やはり料金受け取りの証明書のようなものだった。

まもなく出発し、16時に東岸に到着。すぐに、昨夜、マイクロバスに乗り込んだところへ。幸運にも、今回はすぐにカルナック行きのマイクロバスがやってきた。10分ほどで、カルナック神殿の入口に近いところに到着。マイクロバスを降りると、カルナック神殿の第1塔門がそびえているのが良く見える。昨夜は、間違えて、違う方向に進んでしまったが、明るいうちにやってこれば、道を間違うことはありえない。

昨夜は、「音と光のショー」を見学のためやってきたが、大きな遺跡の一部分しか立ち入れなかったし、照明されていない箇所はどうなっているかまったくわからなかった。だから、2日続けての訪問だったが、雰囲気が全然違うので、やってきてよかった。

入場したのが16時20分ごろ。あと40分で閉鎖である。なんとか全部、見学できそうである。西岸の観光は丸1日かかるだろうから、カルナック神殿の再訪問は無理だと思っていたが、午後の訪問地の滞在時間を短くしたため、再訪問をなんとかやり遂げられた。

カルカック神殿で一番、印象に残っているのは大列柱室。上のような大きな柱が多数、並んでいる箇所がある。よくぞ、これだけ大きな柱を並べたものだと思った。

カルナック神殿の敷地は大変広く、観光客に開放されていない部分も相当あるようだ。観光客の回れる部分に限っても、500m四方くらいの規模がある。そのため、一通りまわたころに閉鎖時間になった。

マイクロバスを降りたところまで行き、少し待てマイクロバスに乗り込む。10分ほどの乗車で、ルクソール博物館の近くまでやってきた。この博物館の午後の開館は17時からなので、ちょうど開いたところだった。

ルクソール博物館は、展示品の数はやや少ないのだが、文化財の並べ方が優れていて、見栄えがしている。ゆっくりと見学できる博物館である。

ここでは1時間近くをすごし、18時過ぎに退館。外に出るともう真っ暗。建物の外側にも、石像があって、それらが美しく照らされていた。

ルクソール博物館からナイル川沿いに歩き、ルクソール神殿のそばまでやってくると、ミイラ博物館がある。ここは、大き目の展示室が1つあるだけの博物館だが、ミイラを専門的に扱っている博物館で興味がもてた。30分ほど見学して、外に出たのが18時40分。

これで、この日の観光が全部、完了。6時30分から18時40分までほぼ12時間、途中、昼食をとらずに、よく動き回ったものだ。

昨日、利用したレストランに隣あったレストランへ。この日は煮込み料理を2種注文。半日動き回ったあとの食事だったので、たいへん満足のいくものだった。上の画像、左は玉子と牛肉、右はさまざまな野菜の煮込みである。いずれも濃い目の味付けで、パンにもあっていて、たくさん食べた。

食事が終わると20時。ホテルに立ち寄り、預けてある荷物を受け取ってロビーで整理。そのあと駅に歩いて向かい、20時30分ごろ駅に到着。

21時に出発。1等の座席車だが、カイロからアスワンに向かったときのような開放型の車両ではなく、コンパートメント型だった。最初、6人用のコンパートメントに自分ひとりかと思ったが、発車後しばらくして、欧米人の客が次々にやってきた。車両がわからなかったようだ。先日の、開放型の車両よりは居住性が落ちる。さあ、ここで一夜をすごし、翌朝はカイロだ。

 

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