2 ルーブル再訪(1日目後半) |
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![]() ホテルのあるリヨン駅から、一番新しいメトロであろう14号線に乗車。自動券売機でカルネを買い、ホームへ。車両はもちろん、駅のホームの印象も、従来のメトロとは全然違う。また、駅間距離が長く、道路の真下ではなく地下深くを駅と駅を直線で結ぶ部分が多いことが地図からわかる。だから、RERなみに高速だ。 難点を言えば、地下深くを走るので、エスカレータを使ってもホームまで時間がかかることだ。それでも、パリのメトロはエスカレータが設置されていなかったり、設置されていても片側だけだたりすることがよくあるが、さすがに14号線はエスカレータが多く設置されているようだ。 |
![]() ピラーミデからルーブル美術館は歩くつもりだったが、二、三百メートルほどだけだが、7号線に乗った。この線は、車両が新しく、古い車両の場合はドアの鍵状のバーを引き上げてドアを開けるのだが、7号線の車両はボタンを押してドアを開けるようになっている。 ルーブル美術館駅で下車すると、目の前にルーブルの建物があった。 |
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![]() このあと見るポイントを考えてはいたが、迷子になったり、休憩したりしていて、11時から15時ころまで館内をうろうろしていた。 |
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世界で一番有名な絵画?である「モナリザ」の前にはものすごい人だかりがしていて、絵に近寄れない。18年前には別の場所に展示されていたが、人だかりはなく、注意していなければそのまま行き過ぎてしまうところだったのだがまた、前にはなかったのだが、「モナリザ」など有名作品は展示場所を矢印で案内するなどの工夫もしてあった。 |
![]() 下左 「サモトラケのニケ」 サモトラケは発掘された島の名で、ニケは”勝利の女神”。頭部を復元した予想図もあって、興味深かった。 下右 「ミロのヴィーナス」 これまた世界一有名な彫刻でこちらは意外と人はあまり集まっていなくて、すぐそばで見ることができた。 |
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![]() ようやく15時ごろに館外に出て当初の予定では地下のフードコートで軽食をとるつもりだったが、満員で座る場所を見つけるのが難しそう。それで、外で遅い昼食。 |
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![]() 夕食タイムまでの時間も少ないことから、軽くすませることにした。 タルタルなんとかいうメニューを注文。料理がやってくるまで、ワインとパンをいただく。 ハウスワインを注文したが、分量がやや少なめ。少しづついただいていくことにした。 |
![]() タルタルなんとかいう料理。生サーモンをドレッシングであえたようなものだった。これは予想外だった。タルタルソースを使った料理かと思っていたし、サーモンとは書かれていなかったようにも思う。 軽くすませるだけでも、店に入ると食事にはある程度、時間をみておかねばならない。これだけ食べ終わるにも40分くらいかかった。 |
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![]() 上右 チュイルリー公園の西端に観覧車がるあった。18年前はこんなのはなかったはずだが、と思っていたら、どうも移動式らしい。 左 コンコルド広場のオベリスク。コンコルド広場は大革命のとき、ルイ16世やマリー・アントワネットはじめ大勢が処刑された場所。ここにそびえるオベリスクは、エジプトから贈られてルクソールから運ばれた。こちらの真ん中にエジプト旅行の際に撮影したルクソール神殿の入口の画像があるが、もともとは入口の向かって右側に建っていたものだ。 |
![]() 下左 マドレーヌ教会の内部。内部も普通の教会とはかなり違う印象。 下右 17時をすぎると暗くなってくる。さらに散歩を続けると、ギャラリー・ラファイエットというデパートの前までやってきた。中にはドーム状の売場などがあって、興味はあったが、疲れたので中には入らずホテルに戻ることにした。 |
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![]() カキを食べようかなと思ったが、メニューを見ているうちにムール貝を食べたくなり、ムール貝を注文した。そのムール貝、あまりの多さに唖然。100個は食べたと思う。ワイン蒸にしてあって、日本のあさりの酒蒸しに似た味。 |
![]() 最後に残ったのが、格闘のあとの残骸。いやぁ。美味しかった。 |
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