6   テ ィ カ ル

 

 グアテマラ旅行で一番期待しているティカル。いろいろ悩んだ末、アンティグアから日帰りで行くことにした。できたら、遺跡内かフローレスで1泊したかったのだが、ほかに行きたい所や、その行く曜日が市のでる日であるかといったことを考えた結果、日帰りになった。

 6時45分の飛行機に乗るため、5時に車がホテルにやってくる。それに間にあうように4時45分から朝食となっていたが、4時30分にドアがノックされて朝食開始。アンティグアは標高1600mのため、日が昇る前は、とても寒い。

  アウロラ空港には5時30分に到着。この空港では、国際線と国内線の動線が共通になっている。違うのは、動線の途中に、出入国カードを出すところがあって、国際線の場合はそこに立ち寄るだけだ。なかなか理解しにくい動線だ。

  ティカル最寄りのフローレス行きのタカ航空は、中米のほかの国からやってくるようなのだが、それが遅れている。やきもきさせれれたが、結局、55分遅れの7時40分にやっと出発。

 出発してからもやきもきさせられた。8時30分ごろには、フローレス上空に達していたのだが、着陸態勢にはいってから、霧がたちこめていたため、視界不良で着陸とりやめ。

 上空を20分ほど旋回して、グアテマラシティ引き返しを覚悟したのだが、幸い8時50分に着陸。

 

 ワゴン車でティカルに向うのだが、混載であるため、ほかの客がなかなか出てこず、空港を出たのは9時10分ごろ。

 出発すると、ガイドがスペイン語と英語で案内。どうもスペイン語の方が倍くらい時間をかけている。

 途中の売店で休憩。水を調達しておいた。

 自分の予約は、ティカルまでの車だけのはずだったのだが、どうも、遺跡内のガイドと昼食もついているようだ。車内のガイドが遺跡でもガイドするようで、彼に遺跡内は個人で回ることと、昼食には行くことを告げておいた。 

 10時にティカル遺跡着。左は遺跡入口。

 本来よりも1時間遅くなったが、帰りは変わらない。昼食時間の14時30分まで、4時間半の見学となった。

 

 入口でガイドと別れて、自分の決めたルートを進む。ティカル遺跡は広大だ。

 入口から神殿の集まっているグラン・プラサまで1.5kmほどある。 ジャングルの中のアップダウンのある道で、途中には名もないような小さい遺跡もあって、それを見たりしながら歩くので、グラン・プラサまで30分ほどかかった。  

 ティカル遺跡のできたのは8世紀が中心だ。でも、4世紀には、付近のほかの都市を従える強大な都市になってはいた。 

 6世紀にはティオティワカンの影響を受けたが、8世紀にティオティワカンが衰退し、ティカルが最強の時期を迎えた。

 神殿などは8世紀につくられたものだ。しかし10世紀に入ると、ほかのマヤ都市とともに衰退した。でも、人々がどこに行ったのか、定かではない。以後、神殿は木々に覆われた。

 遺跡が再び発見されたのは17世紀末。スペイン人の宣教師によってだ。

 上左  突然、視界が開けて、1号神殿の裏手に出た。裏側なので何だろうと、一瞬わからなかった。

 セントラル・アクロポリス。

 上右  歩く方向の左手には、セントラル・アクロポリスがある。

 右  いくつか上るところがあるが、ここが一番高いところで、この奥には小さな神殿などがある。

 左が、ティカル遺跡の中心であるグラン・プラ サ。2号神殿の上から撮影している。

 正面が1号神殿。高さ51mでティカルの6つの神殿の中では4番目の高さだが、美しさにおいては一番だ。急傾斜の階段があり、最上部の入口にはジャガーの彫刻があり、ジャガーの神殿といわれる。1号神殿はの上ることはできない。

 左手にはノース・アクロポリス、右手にはセントラル・アクリポリスがある。

  

  1号神殿。

 ピラミッドの基壇の部分は9つの層から成り立っている。それぞれの層で、水平部分が張り出している。

 階段は正面の中心に狭いものがついている。とても急な傾斜で、もし上がることができたとしても恐怖を感じるような階段だ。神官たちはここを平気で上り下りしていたのだろうか。

  

 ノース・アクロポリス。

 グラン・プラザの北側に位置し、2号神殿の上から撮影したもの。下は、屋根の下部分。

  

 ノース・アクロポリスから見たグラン・プラサ。

 ノース・アクロポリスには多数の建築物があった。

 左手、木の枝に1号神殿の階段が隠れている。右手には2号神殿の階段が少し見えている。

 グラン・プラサの向こう側にはセントラル・アクロポリスが見え、その向こうに5号神殿の上部が見えている。

  2号神殿。

 グラン・プラサの西側にあり、1号神殿とはグラン・プラサをはさんで向きあっている。高さ38m。基壇は3層になっている。

 左の画像は、ノース・アクロポリスから撮影したもの。

 上がることができるが、正面の階段は上がることができない。階段の一番下に柵があるのがわかるだろうか。

  2号神殿に上がるは、横にとりつけられた木の階段で上がる。この階段の上部は傾斜が急であるが、手すりがついていて、怖くはない。

 セントラル・アクロポリスの中を抜け、5号神殿に向かった。

 右は、セントラル・アクロポリスの中の球戯場。

 さらにジャングルの中の薄暗い道を5分ほど歩くと、急に明るくなって、5号神殿が姿をあらわした。(下左)

 しかし、あまりにも急な階段を見て、上がるのを躊躇せざるを得なかった。(下右)

 5号神殿。

 高さ57mで、ティカルの神殿では2番目に高い。そして、そこに上がるには、ほとんど梯子といったほうがいいような階段を上げらねばならない。足を踏み外せば命はないだろう。

 上がろうか、やめておこうか、少し迷ったが決心して、上がって行った。一歩一歩、確実に踏みしめて、なんとか最上部にたどり着いた。

 左は、最上部から下をのぞいたもの。

 神殿自体についている階段はほかの神殿と同じく上れないが、上部に限って言うと、階段がすり減っていて、使用不可能な状態になっている。

 この神殿の最上部には、1人がかろうじて入れるくらいの小さな部屋があるだけであとは、壁があるだけだ。

 また、壁の前の幅は1mくらいしかなく、最上部で人がすれ違うのは、非常に怖い。階段のついている側の反対側に行くのに苦労した。

 樹海に浮かぶ遺跡の頂上部の風景。

 この光景を眺めていると、遺跡の頂上にずっととどまりたいと思えてきた。世界にこのような風景があったとは、、という感じだった。

 手前の大きなのは1号神殿、左側は2号神殿、その間に小さく見えるのはノース・アクロポリスのそれぞれ最上部だ。

 ここで20分ほど、風に吹かれて、樹海を眺めていた。
 

 遺跡のない側は、ただただジャングルが見えるのみだ。

 さて、降りる時がやってきた。また、一歩一歩踏みしめて慎重に下りて行った。

 最後の一歩を降りたとき、全身の力が抜けたようになり、しばらく休んだ。

 サウス・アクロポリス。

 このあたりなのだが、発掘されていない。

 

 7つの神殿の広場。

 ティカルで一番大きな広場。周囲に7つの神殿があるのだが、よくわからなかった。

 

 3号神殿。

 高さ55mで3番目に高い。最上部は樹海の上に見えていたが、近くまで行くと、下部は崩壊していて、上がることはできない。

 

 

  こうもりの宮殿。

 

 

 

 

ピラミッド。
 

 4号神殿。

 高さ70mで、ティカル遺跡で一番高い神殿である。また、ティオテォワカンの太陽のピラミッドよりも高く、かつてはアメリカ大陸で一番高い建造物であった。

 基壇は3段になっている。正面の階段を上がることはできず、横の木製の階段を使って上がる。

 横についている階段は、急ではなく、上がるのはまったく怖くない。

 上がったあとも、4mくらいの幅があるため、怖くはない。

 ここからも、樹海に浮かぶ遺跡の頂上部を見ることができる。

 左に見えるのは、よく見ると2つが重なっていて、1号神殿と2号神殿である。右に見えるのは5号神殿である。

 この頂上で14時30分になった。昼食は14時30分なので、急いで昼食のレストランに向かおう。

 レストランに向かう途中、ハナグマに遭遇した。

 アライグマに似たような顔つきだが、あまり大きくなので、最初はリスかなぁと思った。でも、顔が違う。

 木登りがうまくて、するするっと、あっという間に木を駆け上がることができる。

 あまりにも楽しくて5分ほど見とれて、食事がますます遅れてしまった。

 先を急ぐが、グラン・プラサをもう一度しっかりと見ておかなくっちゃと、じっくり目に収めておく。
 
 レストランには15時前に到着。料理はパック詰めしてくれていて、食事にはありついた。
 
 どこに行っていたのかとか冷やかされたが、話を聞くと、ガイドとともに動いた一団は5号神殿には行かなかったようだ。

 確かに、ツアーで上がるには危険だ。日本からのツアーでも5号神殿は行かないのではないだろうか。

 16時にティカル遺跡を出発。17時過ぎにフローレス空港に到着。

 18時50分発のところ、40分くらいに出発。グアテマラシティには、19時30分ごろ着。

 さて、空港に着いてから、国内線客がどう動くのか見ていると、何と、国際線の入国審査の横をすりぬけていくようだ。何か言われるかもと思い、すり抜けたところ、何も言われなかった。これが正しい動線なのか、正しい動線が別にあるのかよくわからなかった。

 すぐに待っていた車に乗ってアンティグアへ向かった。

  アンティグアのホテルには20時30分ごろに帰ってきた。

  この日は大みそか。年越しがどんな模様なのかを見るためと、屋台食で夕食をとるために中央広場へ。

 時計台のほうへはすごい人出で歩けないくらいだ。

 

 総督府の前には仮設ステージが設置され、コンサートが開かれていた。ここもすごい人出だ。

 とうもろこし。 

 

 

  揚げパン(中身はなし)。  

 

 チキンサンド。 

 

 

 お好み焼き風のもの。

 

 

 

 上左  路上で演奏するグループ。

 上右  ある交差点では特設ステージが設けられ、素人の演技がおこなわれていた。

 右  0時少し前の時計台。

 0時になったとき、時計台の上の光る年号が2008に変わった。

 そして火が放たれた。

 ものすごい明るさ。

 いろいろな明かりがともされる。

 花火大会。

 花火は30分間ほど続いた。

 時計台からホテルまで戻るのに一苦労。たいへんな人出であったので、ホテルに戻れたのは1時前だった。

 

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