2 日 目 前 半
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駅に向かう途中、朝市を見て回った。20年くらい前はこんなに整備されていなかったし、観光地化していなかったように思う。 |
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![]() ![]() かつての駅舎は使われておらず、跨線橋の中間に待合室と切符売場が作られていた。 |
![]() すぐにきた函館駅行きに乗って引き返した。何のために七重浜まで行ったかというと、ケータイ国盗り合戦というゲームに夢中になり始め、七重浜まで行くと「国」がとれて、都合がよかったからだ。 車内で地元高校の生徒会のポスターを発見。車内の化粧はまわりの迷惑になるのでやめましょうとある。化粧についてのポスターははじめてみたし、それも高校生が作っていることで、ちょっと注目した。 |
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普通座席もこんなのだったなあって懐かしんだ。そういえば、よく利用したのは横になれる桟敷だったなぁ。 |
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路面電車は距離にかかわりなく均一料金の場合が多いが、函館市電は距離制。もっとも十字街までは1kmほどで最低の200円。 |
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次は、聖公会の聖ヨハネ教会。 |
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かつて郵便局だった明治館の前が、空港バスのベイエリアのバス停。ここから空港に向かった。 |
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北海道エアシステムHACの主力機は、36人乗りのプロペラ機、SAAB340。
座席は片側2人、片側1人。この日の塔乗者数は自分を入れて9人。ガラガラ状態。 |
![]() 船で行くとなると、函館から江差まで2時間強。船で2時間強。待ち合わせ時間も含めて5時間ほどか。ただし、船の場合は、函館の中心から江差行きのバスに乗れるし、奥尻では船は街の中心に近い港に着く。 やはり飛行機は速い。今回、飛行機の便利さを実感した。 |
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島の人たちが廃止に反対する気持ちは大いにわかる。
奥尻島の中心の集落までは空港から17kmほど。とても歩ける距離じゃない。平日なら少し待てば町営バスがあるのだが、土日はない。それで、1kmほど離れた青苗まで歩いた。 |
![]() 青苗は、1993年7月12日の北海道南西沖地震で甚大な津波被害を受けた地区だ。 右の画像にある広い道路は地震のあとできたもので、以前はもっと狭い道路だった。この道路は高度7,8mくらいの高さにあるのだが、もともとはもっと低い位置だった。盛り土の上に道路と住宅がつくられた。
青苗の集落で、昼食をとろうとお店を探した。閉まったいる食堂がいくつかあったが、唯一営業していた食堂が潮騒。 ここで、うに丼がメニューにあったので、もちろん注文。 |
2000円なので注文したのですが、おかずがいろいろついていた。 うに丼というより、うに定食。これは安い。もちろん美味しい。 食後は、青苗地区を歩いて回った。 |
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ドーム型歩道。冬場の凍結降雪を考えた屋根付きの歩道。地震、津波のときに、いちはやく高台に移動するための避難路としてつくられた。 |
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幅300mほどの高台を突き抜け、反対側の坂道を下った。 |
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ガガァ〜ァン。海岸べりの通路の一部が水没して、通行できなくなっている、、、、 |
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この地点に12.3mの津波が到達したことを示す看板。 |
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奥尻島津波館。あとで乗車する観光バスで立ち寄るので、このときはパス。 |
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島の南端からは、4km離れた無人島である室津島が見えた。神社があり、7月には神事が行われるという。 |
![]() 下は、港の一角にある、人工地盤。望海橋と名付けられている。港にいる人が緊急に避難するための高台。このまま盛り土の上に作られた集落に続いている。
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人工地盤の上部。青苗地区の散策はこれで終わり。 |
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