日 目  前 半

 

 朝食は東横インのおにぎり。朝食後、すぐにチェックアウト。少し雨が降っていて、傘をささねばならなかった。 

 

 

 

 

  駅に向かう途中、朝市を見て回った。20年くらい前はこんなに整備されていなかったし、観光地化していなかったように思う。

 函館駅の外観は内部も大きく様変わりしていた。連絡船時代の北海道の玄関口としての大駅の面影はすでになく、一地方都市の駅になっていた。 かつてのカーブしていた長大ホームも半分の長さになり、島式ホームは終着駅に多い櫛形ホームになっていた。

 この日は、江差線上磯行きで函館から2つ目の七重浜まで向かった。

 七重浜はかつて、その沖で洞爺丸が沈没したところ。浜まで出てみたかったが、雨のためすぐに引きかえした。

 かつての駅舎は使われておらず、跨線橋の中間に待合室と切符売場が作られていた。

 

 すぐにきた函館駅行きに乗って引き返した。何のために七重浜まで行ったかというと、ケータイ国盗り合戦というゲームに夢中になり始め、七重浜まで行くと「国」がとれて、都合がよかったからだ。

 車内で地元高校の生徒会のポスターを発見。車内の化粧はまわりの迷惑になるのでやめましょうとある。化粧についてのポスターははじめてみたし、それも高校生が作っていることで、ちょっと注目した。

 
  函館駅に戻って、まず摩周丸に向かった。保存、展示されている青函連絡船である。かつて連絡船が接岸していた位置で保存されているようだ。かつて駅舎から桟橋まで長い跨線橋を歩いたことを思い出す。

 

 

 

 普通座席もこんなのだったなあって懐かしんだ。そういえば、よく利用したのは横になれる桟敷だったなぁ。

 
 摩周丸のあとは路面電車に乗車。久々の函館市電だ。以前乗ったのはどんな車両だったかよく覚えていないが、もっと古いものだったように思う。路線もずいぶん短くなっている。

 

 

 

 

 路面電車は距離にかかわりなく均一料金の場合が多いが、函館市電は距離制。もっとも十字街までは1kmほどで最低の200円。

 
 散策に使える時間は1時間弱。3つの教会がある山の手に向かった。まずは元町カトリック教会。 

 

 

 

 

 

 次は、聖公会の聖ヨハネ教会。

 
 最後は、ハリストス正教会。日本では少ない正教会で建物も独特の形をしている。 

 かつて郵便局だった明治館の前が、空港バスのベイエリアのバス停。ここから空港に向かった。

 
 1日1便の奥尻行きに搭乗。
 

 北海道エアシステムHACの主力機は、36人乗りのプロペラ機、SAAB340。

 

 

 

 

 

 座席は片側2人、片側1人。この日の塔乗者数は自分を入れて9人。ガラガラ状態。 

 
 函館/奥尻間は滞空時間20分で、水平飛行は5分程度。行き帰りとも空港には40分くらい前に到着し、空港までのアクセスも含めて考えると、函館と奥尻の中心部どおしの所要時間は2時間30分ほど。

 船で行くとなると、函館から江差まで2時間強。船で2時間強。待ち合わせ時間も含めて5時間ほどか。ただし、船の場合は、函館の中心から江差行きのバスに乗れるし、奥尻では船は街の中心に近い港に着く。 やはり飛行機は速い。今回、飛行機の便利さを実感した。
 

 島の人たちが廃止に反対する気持ちは大いにわかる。

 かといって、このまま存続ってのは問題だ。毎日、赤字を垂れ流しているようなもので廃止やむなしだとは思う。何かいい解決策はないものだろうか。


 

 

 

 奥尻島の中心の集落までは空港から17kmほど。とても歩ける距離じゃない。平日なら少し待てば町営バスがあるのだが、土日はない。それで、1kmほど離れた青苗まで歩いた。

 

 青苗は、1993年7月12日の北海道南西沖地震で甚大な津波被害を受けた地区だ。

 右の画像にある広い道路は地震のあとできたもので、以前はもっと狭い道路だった。この道路は高度7,8mくらいの高さにあるのだが、もともとはもっと低い位置だった。盛り土の上に道路と住宅がつくられた。

 

 

 青苗の集落で、昼食をとろうとお店を探した。閉まったいる食堂がいくつかあったが、唯一営業していた食堂が潮騒。

 ここで、うに丼がメニューにあったので、もちろん注文。

 

 2000円なので注文したのですが、おかずがいろいろついていた。

 うに丼というより、うに定食。これは安い。もちろん美味しい。

 食後は、青苗地区を歩いて回った。
 

 
 青苗言代主神社。震災のさい、社殿が焼失したが、伊勢神宮の式年遷宮の解体材を使って再建したという。

 

 

 

 

 ドーム型歩道。冬場の凍結降雪を考えた屋根付きの歩道。地震、津波のときに、いちはやく高台に移動するための避難路としてつくられた。

 
 高台に上がったところには、交番と消防署。裏手に少し見えているのは、奥尻町役場青苗支所。

 

 

 

 

 

 幅300mほどの高台を突き抜け、反対側の坂道を下った。

 
 海岸べりに歩いた。

 

 

 

 

 

  ガガァ〜ァン。海岸べりの通路の一部が水没して、通行できなくなっている、、、、

 
 やむなく、先ほど下った坂道に戻り、高台を歩いて島の南端に向かった。灯台が見えてきた。左上の水色の看板を拡大したのが下。

 

 

 

 

 この地点に12.3mの津波が到達したことを示す看板。

 
 青苗岬灯台。海岸から200mほど内陸に入ったところにある。この灯台は地震の時に折れてしまった。

 

 

 

 

  奥尻島津波館。あとで乗車する観光バスで立ち寄るので、このときはパス。

 
 徳洋記念碑。1880年、青苗沖でイギリス軍艦が遭難し、島民がそれを救助した。1931年、それをたたえて建てられた記念碑。津波のときにもびくともしなかった。碑には「洋々美徳」とある。

 

 

 

 

 島の南端からは、4km離れた無人島である室津島が見えた。神社があり、7月には神事が行われるという。

 
 青苗漁港。いか釣り漁船が停泊中。午後3時ごろに出港し、午前4時ごろに戻る。

  下は、港の一角にある、人工地盤。望海橋と名付けられている。港にいる人が緊急に避難するための高台。このまま盛り土の上に作られた集落に続いている。

 

 

 
 人工地盤の下の部分。緊急時には階段で上がる。

 

 

 

 

 

 人工地盤の上部。青苗地区の散策はこれで終わり。

 

 

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