1  ム ン バ イ

  前夜、深夜にムンバイ着。入国手続きを終え、両替をすませ、バスでホテルに着くと日付が変わっていた。

  朝食はビュッフェ。スープがカレー味であることがインドらしい。

  1995年にムンバイと古い名に戻っていたが、ガイドは、まだみんなボンベイって言ってます、とのことだった。現在はどうなのだろうか。

  この日は、まずインド門からフェリーでエレファンタ島に向かう。

  インド門のそばに建っているのが、タージマハルホテル。ムンバイを代表するこのホテル、19世紀末に、インドの民族財閥タタを築いたタタ氏が、英国系のホテルに入場を拒否されたため、自らが大ホテルを建てたと言われる。

  できた1903年当時はインド門はまだなく、海に面して玄関があるのが特徴。

  タージマハル・ホテルの前にあるこの門は1911年に建てられた。当時の英国王ジョージ5世のインド訪問を記念して建てられたのである。門の下のホールは、英国からの訪問者の歓迎式典を行う場所として利用された。

  この門の前からエレファンタ島に渡るフェリーが出ているので、観光客が多く、客をめあてとした土産屋も多く、活気にあふれた場所になっている。

  遠足らしき子供たち。
  エレファンタ島に渡るフェリー。
  海上から見たタージマハル・ホテルとインド門。
  フェリーで1時間ばかりかかって、エレファンタ島に到着。この港から、階段のついた参道を上がっていく。
  途中には、サルが多い。
  1000段の石段を上りきり、ヒンドゥー教の石窟寺院に到着。8世紀に掘られたもので、内部には石造の彫刻がある。
  胴体をひねっている踊るシヴァ神。手足が切りとられている。ほかにも手足が切り取られているものが多い。  
  こちらもシヴァ神。さまざまな姿のシヴァ神が彫られている。

  シヴァ神は男性神で、ビシュヌ神とともに、ヒンドゥー教の主神とされていて、青い身体にトラの皮を身につけた姿が基本形である。

  男性器を抽象化したリンガ。ヒンドゥー教では信仰の対象になっている。中央の祠堂に置かれている。
  遠足らしき小学生。
  こちらは家族連れか。ムンバイ近くの日帰りの行楽地としてとてもにぎわっていた。

  再度、1時間、フェリーに乗ってインド門に戻った。

 

  

  インド門の近くで昼食。

  プリンス・オブ・ウェールズ博物館。熱帯風の庭園の中にある。内部は、美術、考古学、自然の3部分に分かれていて、展示物はたいへん多い。内部の撮影は禁止されている。  
  ムンバイは車であふれている。インドは日系や欧米系の外国車もたくさん走っているのだが、主力は国産車。しかも、少しレトロなスタイルのものが多い。
  マリーン・ドライブ(海岸道路)。海岸に面してホテルなどが立ち並んでいる。
  ジャイナ教の寺院。

  仏教と同時期にマハーヴィーラによって開かれた宗教である。

  寺院入口には大きな象の像。
  この中には本尊が安置。
  中央駅近くの洗濯場。ここで働くのは洗濯カーストの人々。洗濯の仕事は、さらに細かく、洗い、絞り、干し などの仕事に分かれていて、カーストが別だという。

  カースト制は、現在でも根強く残っていて、職業と深く結びついている。

  洗濯場は時間貸しになっているとのこと。洗濯をしている人は、石で洗濯物をたたいて洗っている。

  洗濯をする人たちの大群を見て、その姿、人数とも何ともいえなかった。貧富のとてつもない大きさがこの国は存在していることを1日で実感した。

  夕食は、カレー料理。さまざまな料理が少しづつトレイに盛られていく。

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