9 ヴ ァ ラ ナ シ
ガヤから3時間ほどでヴァラナシ着。すでに日は暮れていて、駅のホームにはたくさんの人々がいた。 バスで街の郊外のホテルへ。ヴァラナシでは、安宿は街の中心部に多く、大型ホテルは街の郊外に多い。 |
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泊ったのは、ホテルクラークスヴァラナシ。部屋は広く、満足のいくものだった。 | |
朝5時に起床。バスは5時30分に出発し、ガンガーに向かう。 6時に、ダシャーシュワメード・ガートからボートに乗船。この時はまだ真っ暗。でも、この時間がボート出発のお決まりの時間なのだろうか、あちこちで人が動いている気配はしている。 |
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ボートはおじさんの手漕ぎ。次第に空が明るくなってきた。 気がつくと、周りにはたくさんのボートが動いている。自分のボートは8人が乗っているが、ほかのボートを見ると、小は1人乗りから大は40人くらい乗っているのまでさまざまな大きさのボートが抜きつ抜かれて同じ方向に動いているさまは壮観である。 |
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明るくなるにつれ、ガンガーの岸辺に延々と続いているガートの様子が明らかになってきた。 ガートとは、沐浴場のことで、ガンガーに沿って、階段状になっている。冬場で寒いためだろうか、沐浴している人たちは思いのほか少ない。どのガートでも、階段に座っている人ばかりで、沐浴している人はわずか。 |
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ガートの最上部はそのまま建物の土台兼堤防の役割を果たしている。 | |
時間の余裕があれば、地上から、いろいろなガートに行ってみたいと思ったが、今回はそれだけの時間がない。もう一度ヴァラナシにはやってきたいので、そのときに試してみたい。 | |
やがて、ボートはその折り返し点に到着。このころ太陽が昇ってきた。 | |
折り返し点のガートで、いよいよ沐浴体験。ガンガーへドボン、、といきたかったが、何せ真冬のガンガーの水は冷たい。それで足だけをつけてみた。 水がにごっているので深くないことを確かめてから、少し歩いてみる。底は藻がこびりついているようで、ぬるぬるしている。滑らないように気をつけて歩く。 |
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真剣に沐浴していたおじさん。 このあと、逆コースでボートは引き返す。 |
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帰路は明るくなったので、沐浴する人が多くいたケーダール・ガートで一時滞在。 ここが一番たくさん沐浴する人がいて、中には頭まで水に漬けていた人もいた。 |
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ケーダール・ガートはそのすぐ上にあるケーダールナート寺院の参拝客向けのガートである。そのために沐浴する人が多いのだろう。 | |
左の画像で上部に写っているのがケーダールナート寺院。 | |
ほかのガートも先ほどよりは賑やかになっている。 | |
ボートに乗船したガートを通過。 | |
やがて、火葬場であるマニカルニカー・ガートが見えてきて、煙があがっている。火葬が行われている。だが、撮影は厳禁。 マニカルニカー・ガートのすぐ近くでボートを下船。火葬のさまもしばらく見た。 やがて、火葬は終わった。灰はガンガーに流されるそうだ。 |
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このあと、ヴィシュワナート寺院へ。途中歩いた細い道は、雨でぬかるみ、泥と牛の糞が混じっていた。 もともとヒンドゥー寺院であったが、モスクになり、その後、境内の一角がヒンドゥー教のゴールデンテンプルになった。ここも撮影厳禁。 ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を警戒してだろう、銃を手にした警備員が寺院の周りに配置されている。 |
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再び、泥と糞の混じったぬかるみを歩いてバス乗場へ。 いったん、ホテルに戻って朝食。まだ、9時なのだが、もう一日が終わってしまったような感じだ。 |
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朝食後、ブッダがはじめて説法をしたところサールナートへ。 まずは、ムルガンダ・クティー寺院に入る。 |
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ここには、戦前の日本人画家、野生司香雪の手によるブッダの生涯を描いた壁画がある。 | |
チャウカンディ・ストゥーパ。 | |
ダメーク・ストゥーパ。このそばに、アショカ王の石柱もある。 | |
遺跡群のあるディア公園。 このあと、ヴァラナシ空港に向かい、カジュラホに向かおうとしたが、デリーからやってくる便が、霧のために出発できないということで、空港で正午ごろから4時ごろまで待機。 |