ウブドの休日(7)
12月29日 お葬式
いよいよ、お葬式の日である。6時から早朝の散歩に出かける。行き先は、プリ・サレン・アグンと市場。お葬式の儀式が執り行われるプリ・サレン・アグンは、すでに一般の者は入れなくなっている。その外側には、棺を入れて火葬するための牛のはりぼてのようなもの。本物の牛とおなじくらいの大きさだ。そして、高さが建物の3階よりも高いくらいの、お神輿のようなものもある。これには、細かい飾りをつける作業がおこなわれていた。
神輿のようなのと牛のはりぼて。
ひと通り見たあとで、道路を隔てたところにある市場を見て回る。かなり大きな所だ。野菜や果物は主に、地下で売られていて、売り場は薄暗い感じである。魚や肉も売られている。肉は豚であろうか。鶏は毛をむしりとったのも売られているが、生きたままカゴに入れられたものも売られていて、生きた鶏を持って帰る人もいる。
市場(パサール)にて。
鶏、肉、魚、果物の臭いが交じり合って、市場の臭いをつくりだしている。市場見学のあと、日本へ電話をかけてみる。実は、毎日、日本への電話に挑戦してきたのであるが、うまくいかなかったのである。この日うまくいかなかったら、結局、ウブドの公衆電話からは日本につながらなかったことになる。さて、どうだ。ウーン。やはり、前日までと同じであった。日本の通話先からは、モシモシという声が聞こえてくるのであるが、自分の言ったことばは日本へはとどかなかったのだ。一方的にしか聞こえてこないのである。こんな珍現象ははじめての経験だ。
市場の鶏肉売り場。
8時に宿へ戻って朝食。芸能に詳しい日本人男性に加え、国際結婚した日本人とオーストラリア人の夫婦とその子供たちである。この家族はお葬式を知らずにやってきて、ラフティングをすでに申し込んでいるので、お葬式は見られないと少し残念がっていた。すぐにうちとけて9時ごろまで話を続ける。
再び、お葬式の会場へ向かう。お葬式は12時からと聞いているがこれは、行列が動き出す時間であって、それまで、一般客の見物はできないが儀式がずっと行われる。それで、会場近くでぶらぶらしながら、12時までを過ごすことにする。プリ・サレン・アグンの門には、関係者以外立入禁止の表示がしてあるが、そのそばに、パンフレットがおいてあった。英語で書かれたお葬式のパンフレットである。自由にとっていってよいのでもらっておく。お葬式のパンフレットをもらったのははじめてだ。
お葬式での出番を待つスタッフたち。
やがて、棺を入れる牛と神輿のようなものを竹組みの上に乗せる作業が行われる。8メートル四方くらいの竹を組み合わせた格子状のものが2つ運ばれてきて、牛と神輿がそれそれ乗せられた。牛と神輿は、大通りに直角に交わる通りを入ったところに置かれているのだが、行列は大通りを行進する。大通りに出るときに、じゃまになってしまうのが電線だ。どうするのかと思っていたら、電線を切ってしまった。しばらくの間、町は停電である。
行列の出発直前。かつがれる牛。
しだいに見物客が増えてくる。なにしろ、バリ南部のビーチエリアからも、この日はたくさんの、お葬式ツアーがしたてられて、ふだんよりたくさんの人たちがウブドにやってくるという。ぶらぶらしているうちに、見物場所を確保しておかなくてはならぬ時間になってきた。よい場所をとっておかないと、人の頭しか見えないということになりかねない。そこで、プリ・サレン・アグンの向かいの歩道の最前列に陣取る。まだ11時なので、一時間の辛抱だ。
見学者を目当てにした物売りもたくさん動き回る。飲み物、サロン、おもちゃなどを何人もの物売りが人垣をかき分けていく。これに屋台でも出れば、日本のちょっと有名なお祭りと同じような情景になる。お葬式にはつきものの湿っぽさや暗さが感じられない。
12時過ぎ、行進開始。まず、黒シャツ姿の一団が延々と続く。関係者はほとんどの人は、だれそれさんのお葬式というロゴのはいったおそろいの黒シャツを着ているのだが、その人たちが先に火葬の場所に向かうみたいだ。続いて、プラカード隊である。パレードの先頭によく掲げられる大きなプレートを持っての行進だ。そのあとは、鐘をもった音楽隊、槍のようなものをもった一団などが続く。
葬列の先頭は華やかなプレート。
その次には、散水車が水をまいて進む。そして、いよいよ牛が動き出した。横道から大通りに曲がってはいるところはとくに力強い。そのあと、少しづつ動いては休んで、自分の目の前を牛が進んでいった。続いて、神輿のようなものも動き出した。こちらは、牛よりも動きが激しい。警官がやってきて、歩道で見物している自分たちに危ないからもっと端によけるように指示する。神輿が近づいてきたので、あわてて逃げて、神輿をやりすごす。たいへんな動きで、あたったらケガをしてしまいそうだった。
延々とつづく葬列。
神輿をやりすごしたあと、一般の人たちは、神輿のあとについて、火葬場所まで歩き出すので、自分もそれに従う。それにしても、ウブドにこんなにたくさんの人がいたのかと思うくらいたくさんの人出である。しばらく行くと、神輿の後ろには消防車がついて、消防車が放水を始めた。景気づけなのか、別の意味があるのかよくわからないが、放水が歩道で見物している人にかかったりもしている。それで、消防車の後ろを歩いていくことにした。
葬列と黒山の人だかり。
13時30分ごろ、火葬場所に到着。その広場は黒山の人だかりでほとんど動くこともできないような状態だ。少しづつ動いて、何とか火葬がよく見える場所に陣取る。すぐに火が放たれるわけではない。踊りが演じられたり、お祈りのような儀式がおこなわれたりして、14時くらいに点火であった。
点火された牛。
この日の死者は、すでに別のところで火葬されていたということで、棺で運ばれ、火葬されようとしている遺体は木製のものであった。このことが、お葬式を明るいものにしているのかもしれない。牛は点火されてもなかなか燃えない。神輿のほうは、油をあっけて一挙に燃やしてしまったみたいだが、牛のほうは下から燃やしているだけなので、燃えにくいのである。
燃えさかる牛。
15時30分くらいになると、さきほどの黒山の人だかりはどこへやら。すっかり人が少なくなってしまった。まだ、火葬は続いているのだが、自分も宿に戻ることにする。
焼けおちた牛と消防車。
宿で汗を流して、しばらく一服してから、芸能鑑賞にでかける。まだ時間があるので、先に食事をすませる。この日はお目当ての踊りがあったのであるが、お葬式の影響だろうか中止になってしまっている。それで、昨日に続いてケチャを鑑賞することにする。この日は、サンディ・スアラという歌舞団が演じていて、村のなかであるが南端に近くて、インフォメーションからは1キロ以上離れている。
最初のうちは、前日見たケチャとそう変わりなく、面白みに欠けたもであるが、最後はすばらしかった。焼けて真っ赤になっているヤシを、裸足でふみ、そして焼けたヤシを蹴散らかすのである。一番前で見ている人たちはあわてて足を避難させている。でも、ヤシは客の足元には届かないように蹴散らかされているのだ。これを見て、やはり見にきてよかったなと思った。終了後、暗い夜道を宿に急いだが、もうこれもこの日が最後だ。
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