5日目 ブ サ キ 寺 院 へ
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ゴア・ガジャでツアースタート |
この日も前日に引き続き、現地ツアー。ブサキ寺院などに向う予定だ。 7時30分から朝食。この日もすぐにレストランへ。前日とは少し違う組み合わせにした。 パンはクロワッサンにし、卵料理はスクランブルエッグ、フルーツのかわりにジュースとした。でもコーヒーはうまいので、コーヒーのまま。 |
食べ終わって部屋で休憩。この日は9時に出発なので、それまで休む。でも、また早く車がくるかもしれないと思って、いつでも出られるようにしていた。案の定、8時45分に車がやってきたと電話。 玄関に行くと、何と前日のドライバーがいるじゃないか。前日とは行先は違うが、ドライバーは同じだった。車も前日と同じ。ドライバーが同じなので、安心感はあった。 |
前日と同じで、ウブドの各地の宿を回って客を拾っていった。前日と同じく、ヨーロッパ各国とオーストラリアからの客ばかりだったが、前日の客とは入れ替わっていた。 ウブドの村から出たのが9時30分ごろ。そのあと、最初に向ったのは、ウブドのすぐ近くにあるゴア・ガジャ。10分ほどで到着した。 ここは現役寺院ではなく、遺跡なのだが、サロンが必要で、車を降りるとすぐに着用した。17年ぶりのサロン姿になる。15000ルピアで中に入る。階段を下ったところに、境内がある。 |
沐浴場があったが、沐浴をしている人はいなかった。 |
象の洞窟。何かの顔が描かれた洞窟がある。 下左 洞窟内は、少し中に入ると左右に道が分れていて、左に向うとガネーシャが祀られていた。 下右 右に向うとリンガ(男根)が祀られていた。 |
ティルタ・エンプルやキンタマーニを回る |
次の目的地タンパシリンのティルタ・エンプルに向う。途中、インドネシア国旗をかかげ、何やら叫んでいるトラックとすれ違った。 |
続いて、女子生徒が行進。独立記念日の行事の練習だろう。 車の通る道路で行進練習とはなかなか大変だ。手も足もほとんどそろっていないが、道路ではそろえるのは難しいだろう。 |
このあと、女子生徒の隊列が延々と続いた。 |
ティルタ・エンプル。聖なる泉が湧く寺院で、サロンを巻いて入場する。沐浴場では沐浴している人がいた。 |
沐浴する人々。水が出てくる口の上の部分にお供えを置いて沐浴している。 |
さらに奥に進むと何やら行われている。僧侶がお祈りを行って、地元民が取り囲んでいる。 |
聖なる泉。沐浴場の水はこちらから引いているようだ。 見学後、車に戻ったが、一部の客がかなり遅れてきた。前日も遅れる客がいて(自分が遅れたこともあったが)、旅程が遅れに遅れたが、この日も先が思いやられるような遅刻の続出だった。 |
上左 続いて、コーヒー農園にやってきた。前日に訪れた農園とは別の農園だが、経営者は同じようで、売店で販売していたコーヒーなどの商品は前日と同じだった。 前日に訪れたところと違っていた点もいくつかあった。ジャコウネコは前日睡眠中で、お目にかかれなかったので、この日に期待していたのだが、そもそもこちらではジャコウネコを飼っていなかった。そのためか、ルアックコーヒーを飲めるようにもなってなかった。 そのかわり、カカオも栽培されていた。写真はカカオの実で、かなり大きい。 上右 カカオの実の中身。 左 試飲タイム。種類はほとんど、前日の農園と同じだったが、1種類のコーヒーにかえてココアに変わっていた。それに、飲物の名前を大書きした大きなパネルの上にコーヒーなどが置かれていて、中身がわかりやすい点も違う。 ティルタ・エンプルで遅れてきた客が、ここでも買物に夢中になって大幅に遅れた。 |
続いて、キンタマーニ高原へ。ここに到着するまで、ここで昼食だと思っていた。17年前に現地ツアーで訪問した時は、ここのレストランでビュッフェ形式の昼食だったからだ。 到着してみて、単に写真撮影だけということを知り、アレッ? となったわけだ。山はアグン山、湖はバトゥール湖。17年前にはこの景色の見えるテラスで昼食をとったのだが。かなり高所まできているのか、涼しいので、もっと長くのんびりしたかったのだが、すぐ出発。ここで、この日のツアーは、同じコースを別の車も運行していることを知った。 |
ブサキ寺院 |
バリ島で最大の寺院であるブサキ寺院に到着。到着の寸前に、車の中から入場料30000ルピアを払う。 18年前は、ここで”自称ガイド”につきまとわれて閉口したので、警戒している。ドライバーも、正式なガイド以外の”自称ガイド”に気をつけるように注意している。正式か自称かの違いは観光客にはわかりづらいので。声かけてこられないように気をつけることにする。 駐車場からサロンをつけて出発。 |
寺院の下までやって。きた。中央の階段は。観光客は上がれない(割れ門のところまではいいようだが)。そのため、左右にある階段を上がっていく 下左 18年前、この右手の階段”自称ガイド”につきまとわれた。階段を上がろうとすると、ガイドなしでは入れない、などと言って近寄ってくるのだ。無視してもついてくるので、足早に逃げ去った。 今回は、左手にもある階段から上をめざした。正式なガイドがついていそうなグループについていった。 下右 寺院の建物が立ち並ぶところまで上がった。ここでグループから離れた。本殿にあたる建物がたっているが、この前にある庭には入れない。端の方からの見学になる。 |
階段を上り、上部の建造物を見て回る。多数のメルが立ち並んでいる。 下左 ブサキ寺院の中に小さな寺院があるのだろうか。門があって、中にはメルや建物がある区画がたくさんあった。 下右 最上部から下を見る。一番高いメルは11重になっている。遠方は緑が広がっている。 見学後、車に戻ると、また遅れてくる客があり、ヨーロッパ人の客どおしで言いあいをしている。 |
棚田と女子生徒の行進 |
レンダンの棚田(ライステラス)へ。展望台から棚田が良く見える。 ここで昼食だ。すでに時刻は15時前。かなり遅い昼食だ。9時に出発だったので、順調に行けば、13時30分くらいに、ここにたどり着くはずだと思うのだが、停車場所のすべてで遅れてくるフランス人の女性客2人組のために、予定が大幅に遅れたのだ。ブサキ寺院では、遅れをめぐってヨーロッパ人の客どおしで口けんかまで起こったくらいだ。 |
上の写真の中心部をズームで撮影。すごい数の段の田圃だ。 下左 棚田を見ながらの食事は、ビュッフェ。前日と同じだが、値段はさらに高くて12万ルピア。ビンタン大は5万ルピア。常に遅れてくるフランス人女性は食事抜きで席だけ確保して時間つぶししていた。 ビンタンも高いが、やはり飲まずにはいられない。 下右 料理はこれといって特徴はないが、サテを焼きながら希望者に皿に入れてくれていたことか。 |
デザートと再度入れてもらったサテ。 |
最後の目的地、スマラプラに到着。王家の休憩所だったらしい建物。このほか、裁判所だった建物などを見た。どちらも壁がないオープンな建物だ。 下左 王家の休憩所から北側にある広場を見ていたら、独立記念日の行事に向けて、女子生徒の行進練習が行われていて、博物館の見学はパスして、行進を見学することにした。 午前中に道路を使って練習していたグループとは比べものにならないくらい、足も手もそろった行進をしていた。 |
上右 単に行進するだけだはなく、歩きながらさまざまなパフォーマンスをしている。動きはそろっていて、かなり練習したようだ。 左 隊列ごとの先頭にはリーダー格の女子生徒がいて、隊列を率いている。 |
スマラプラからウブドに戻るとき、道端に日本軍が掘った洞窟が数メートルおきにならんでいるところがある。実は、この洞窟のことはすっかり忘れていたのだが、車から洞窟が見え、すぐに日本軍の掘った洞窟だとわかった。 ただ、写真をとろうとしたが、あっという間に通りすぎてしまい、写真はとれなかった。かわりに、18年前に、洞窟を見にきて、洞窟にも入ったときの写真をかかげておく。 |
モンキーフォレストの悪サル |
ツアーの車から下車したのはモンキーフォレストの東の、モンキーフォレスト通りの起点のところ。17時過ぎだったので、モンキーフォレストが開いている時間帯だったので入場してみる。前日は18時に閉まった後で通りかかり、ガイドブックでは閉まった後は無料では入れると書いてあるが、人がいなくなったあとは、入口付近に多数のサルが集まっていて、気持ち悪く、襲われると怖いので、入らなかった。入場料30000ルピアを払って入場。 あちこちでサルがたむろしている。観光客の中には、菓子や帽子をとられている人もいる。カメラも危ないので、気をつけなくっちゃ。餌にするバナナを売っているのだが、買った客はすぐにサルに目をつけられていた。バナナが投げらるとすぐに何匹かが集まってきて争奪戦。子サルがとったのをボスサルが奪っていくこともあった。 |
イモの保管庫から何とかしてイモを取り出そうとしてるサルがいた。結局、取り出せずにあきらめたようだ。 下左 モンキーフォレストの最も奥の場所にある寺。18年前にきたときには入れたのが、門が固く閉ざされ、観光客の入場は不可となっていた。 下右 渓谷におり、遊歩道を歩いた。涼しくて気持ちいいが、サルに気をつけていないと、手すりに座っていたり、目の前を横切ったりする。 |
上左 手すりにドンと構えているサル。このサルにさらに近寄って、アップで撮影しようとしたら、手を伸ばして、カメラをとりかけてきたので、危ない、危ない。 上右 出口付近にある死者の寺。17年前はこの寺は訪れなかった。うっそうとした森に囲まれていて、陰気な気配がする寺だ。 左左、左右 この寺の外側にあった像。悪魔が人間を襲っているように見え、ゾッとさせられた。 |
ケチャを鑑賞して夕食 |
上左 モンキーフォレストからホテルに戻って、30分ほど休憩しただけで外出。19時30分からのケチャを鑑賞するためだ。 会場は、王宮や市場が面した通りよりも少し北にあるバトゥ・カル寺院で、演じるのはクラマ・デサ・サンバハン。75000ルピアを払って、中に入ると、すでに満員状態。舞台の正面の側に行くように言われ、ゴザに座った。やがて火がつけられた。 上右 火がつけられたあと、男たちが入場し、火の回りに円陣をつくって座った。僧侶役の人が水を頭にふりかけているようだ。円陣になった一番外側の男の背中が目の前だ。 左 火の回りで、男たちが立ったり、寝転がったりして踊っている。30分ほど、さまざまな踊りが続いた。 |
男たちが寝転がっている状態。 下左 やがて踊りが終わり、立っていたたいまつ全体が燃やされる。男たちは、火の粉が客席に入らないように、ブリキを張った板を持って、火を取り囲んでいる。自分の目の前にも、ブリキ板を持った男がいる。 下右 たいまつが燃えたあとの火がついた燃えカスが広げられた。 |
火の残りカスの上を、1人の男が歩いて回る。足で踏んで、火を消しているようだ。もちろん裸足でだ。熱くないわけないだろうし、やけどはしないのか心配になる。やがて、ほとんど火が消された。 |
火が消されたあと、僧侶役の男が出てきて、ブリキ板を持った男たちに水を振りかけていった。このあと男たちが退場して、ケチャが終了。 |
夕食をとる店を探して歩く。多くの店は観光客で満員の状態だった。王宮の向いあたりにあるパオンという店が客が少なくて入ってみることにした。 下左 客は少ないが雰囲気はよさそうだ。 下右 この店には珍しく、ビンタン以外にバリハイが置かれていたので、迷わずバリハイ大を注文。35000ルピア。 バリハイはビンタンとは違う味なのだが、どう違うかは説明しにくい。バリハイがあればバリハイを注文しようと思う。 |
サテを注文。網の上に置かれているが、火がついてるわけではなく、油を受けるためだ。鶏肉が3本、牛肉が2本、何の肉かわからないがつくねになったものが3本。 ご飯は円錐状に盛られて、バナナの葉がとんがり帽子のようにかぶせられている。タレはピーナツソースと唐辛子のきいたものの2種類。あと漬物が2種類。70000ルピア。 ホテルに戻ると22時。ツアーから戻ったあと30分ほどホテルで休憩した以外、長く出歩いた一日を終えた。 |
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