4日目 葬 儀 に 参 列
|
ボルの水牛市場 |
![]() 食事が終わると、まだガイドと約束の時間ではなかったが、ガイドがロビーで待っていたので、いったん部屋に戻ったあと、すぐにロビーに戻った。 |
![]() コースを決めるにあたって、葬儀を最初から最後まで全部見るか、一番最初にある生贄の水牛を殺すところは見学を省いてかわりにこの日に市が開かれるボルの水牛市場に行くか、どちらがよいか聞かれた。それで、水牛を殺す場面を見るよりは、水牛市場に連れていってほしいと希望したので、まずは、葬儀会場とは方向が反対側であるボルにやってきたのだ。 |
![]() 下左 うられていく水牛。 下右 水牛市場の建物から出て、歩いていると、市場にやってきた水牛たちが列をなして歩いていた。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() 1時間ほど滞在して水牛市場をあとにした。 |
葬儀に参列 |
![]() ![]() |
![]() 上右 葬儀の親族に渡すお供えとして砂糖を買った。 左 ランテパオとマカレの中間で、前日に行ったレモの近くから、西に向かう山道に入った。20分ほど山道を走ったあと、車を止めて、あとは歩き。葬儀に関係する車以外は葬儀会場には乗り入れらないようだ。山道を15分ほど歩いた。 |
![]() ![]() |
![]() 故人はランテさんらしい。亡くなったのは半年前で、防腐処理がなされて保存されていたという。葬儀は7〜9月に多く、それまで遺体を保存するらしい。 上右 道端では、料理に供せられる豚が竹にくくりつけられて置かれていた。中には暴れていた豚もいたが、無駄な抵抗であった。 左 葬儀会場の広場に到着した。 |
![]() 下左 故人の親族が集まっていたトンコナン。故人をしのぶプレートが置かれていて、その後ろに放送席があり、案内放送が行われていた。 下右 広場にはすでに解体された水牛が散らばっていた。タナトラジャの旅行記を見ると、葬儀の最初に行われる生贄の水牛を殺す場面が必ずといっていいほど取り上げられている。自分も見るつもりはしていたが、ガイドに水牛を殺す儀式を見るか、生贄の儀式が終わってから見るか言われて、終わってから葬儀を見る方を希望した。 |
![]() ![]() |
![]() 真ん中が親族が使っていた建物。右端が葬儀のために新設されたもので、葬儀の途中で棺桶が赤い階段を引き上げられ、2階の部分に安置された。 下左 やがて葬式が始まった。キリスト教式で行われ、牧師が聖書を読み上げたりする。伝統的な葬儀の中にキリスト教の儀式があるとは思ってもみなかった。 |
![]() ![]() |
![]() 左 白い服装をしているのが故人の遺族で、葬式会場の中心にあらわれた。30分ほどでキリスト教式の儀式は終わった。 |
![]() 下左 こちらでは豚の丸焼きが焼き上がり、これから解体というところだった。 下右 できあがった料理が招待客の休憩所へ運ばれていく。 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() 上右 トラジャコーヒーがふるまわれていたので、いただく。 左 出されていたお菓子。 下左 続いて昼食がふるまわれた。野菜と焼魚で、美味しくいただいた。パピオンと豚の丸焼きは招待客にだけふるまわれたようだ。いやいやそんなことを考えるのはあつかましい。 下右 前日にも飲んだアブラヤシからつくられる酒。灯油を入れるようなポリタンクから注がれた。 |
![]() ![]() |
![]() 下左 まるで祭りの神輿のようにかつがれ、上下左右に大きく揺さぶられている。 下右 赤くて長い布にひっぱられる形で、集落の入口まで棺桶が向った。このまま集落の外まで向うのかと思ったのだが、入口のところでストップ。ここで向きを変えて広場に戻っていった。 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() 上右 棺桶は広場まで戻った。広場まで戻ると、トンコナン型の屋根が外されている。 左 屋根がとりはずされたあと、棺桶は、これまたトンコナンの形をした建物の2階部分に引き上げられた。 下左 棺桶が引き上げらたあと、その前で白い服装をした故人の遺族が記念撮影。 |
![]() ![]() |
![]() 左 地面に放置されていた解体されていた生贄の水牛をさらに細かく切っていた。そして、放送で肉の部位ごとに案内が行われ、販売されていった。好みの部位があると、その場でお金を払って買っていた。 |
![]() |
![]() 下左 2階から下をみると、何やら行列が動き出そうとしていた。招待客をもてなすための行列のようだった。 下右 飲食物を持った人たちが招待客の休憩場所に向っていった。 |
![]() ![]() |
![]() ここから15分ほど歩いて、車をとめてある場所まで戻った。この旅行のメーンイベントである葬儀をしっかり見ることができて満足だ。 |
ロンダの洞窟墓と闘鶏 |
![]() |
![]() 下左 洞窟の中に入るにはアセチレンランプを持った、この洞窟専用のガイドを雇う必要があった。 下右 洞窟の中には、至るところに棺桶が置かれていた。写真のように棺桶が朽ち果ててしまい、棺桶の底部だけが残り、その上に遺骨が見えているものもあった。 |
![]() ![]() |
![]() 下左 ロンダのすぐ近くの村では闘鶏をやっているとのことで、見に行くことにした。トンコナンが並ぶ村の中心に人々が集まっていた。 下右 戦う鶏がまず引き合わされ、興奮させられる。 |
![]() ![]() |
![]() 下左 戦いの直前に鶏同士が顔を合わせ、再び興奮させられている。 下右 戦いが始まり、刃物で傷つけられ倒れた鶏が敗者となる。 |
![]() ![]() |
![]() 闘鶏が命がけの戦いで、こんなに残酷なものだとは知らなかった。 |
![]() 闘鶏のあとホテルに戻ったころには、あたりはまた真っ暗になっていた。ホテルのロビーでガイド料や車やドライバーの料金合わせて、2日分として190ドルを払った。ガイドは翌日も雇ってもらいたさそうにしていたが、翌日以降は自力で観光したい旨を告げ、引き取ってもらった。 |
伝統料理パラマッサンを食す |
![]() 途中、大きなプロテスタント教会があり、その上にも十字架が輝いている。丘の上の十字架だが、なかなか素敵な感じだ。 |
![]() 建物は教会ではなく、展望台のようだ。見晴らしはよさそうで、ランテパオがよく見えそうだが、滞在期間中に上がる時間はとれなかった。 |
![]() 下左 店内。ほどよい混みようであった。 下右 インドネシアで第2のシェアをもつアンカービールがあったので、アンカーを注文。値段はビンタンと同じ40000ルピアだった。 |
![]() ![]() |
![]() パラマッサンは、もともとは木の名で、この木からとれる香辛料もパラマッサン。料理名もパラマッサンだが、パラマッサン自体は辛くはなく、ほのかに香りがする程度だ。色は真っ黒なのだが、胡椒や唐辛子のために少し辛い程度で刺激は少ない。 バビは豚で、豚肉のパラマッサン炒めということだろう。同額で牛、鶏、魚もあった。最初は魚を注文したが、売り切れということで豚にした。 |
![]() 食後はホテルまで1kmほど歩いて戻った。ガイドを雇っての2日間が終わり、翌日からは自力での観光になるので、回り方などをよく検討しておいた。 |
|