2日目
2日目は、昌徳宮(チャンドックン)からスタート。 ここは、ガイドに連れられて見学することになっているので、日本語ガイドの始まる9時30分にあわせて、15分ほど前に到着。 左 仁政殿 昌徳宮の正殿。王が政務を行ったところで、玉座が置かれている。 |
左 昌徳宮だが、何という建物かは不明。 昌徳宮は、朝鮮王朝3代国王太宗の時代である1405年に建てられた。離宮として用いられた。豊臣秀吉の侵攻で焼失したが、再建された。 再建後は、19世紀に景福宮が再建されるまで、代々の国王はここに住んで政務を行った。 |
左 これも昌徳宮だが、何という建物かは不明。 見学は1時間ほど。王の使ったトイレなども見ることができた。 |
次にタプコル公園へ。 左 3・1運動のレリーフ レリーフは10枚あって、日本官憲に抵抗する人々が描かれている。 1910年、日本による韓国併合があり、日本に対して独立運動がおこるが、その最初が、1919年3月1日に始まる3・1運動であった。
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その日、ここタプコル公園で独立宣言文が読み上げられ、デモ隊がソウル市内に出発した。 左 独立宣言文を読み上げた民族代表 公園内は、老人の憩いの場になっていてのどかな感じだ。 |
次に向かったのは、西大門独立公園。 西大門はソウルの4大門のひとつだが、1925年に撤去され、現存しない。 その近くに1907年に監獄が設置され、独立運動家などが多く投獄された。 現在、獄舎などが公開され、教育施設の役割を果たしている。 右 獄舎 |
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上左 西大門独立公園内の案内板 死刑場のマークが印象的だ。死刑場にも行ったが、撮影する気持ちにならなかった。死体を外に出す秘密通路もあった。 上中 地下独房 柳寛順(ユガンス)が入獄した独房の復元されたもの。とても狭い。ガラス越しに見ることができる。 上右 監獄の正門
右 独立門 1898年に朝鮮が清国から独立した象徴として、従来は清朝の使節を受け入れていた迎恩門を撤去して設置された。パリの凱旋門を模して設計された。 |
歩いて、ソウル市庁へ。 かつては、京城府庁であった。 |
次に、徳寿宮(トクスグン)へ。 右 石造殿 ほかの王宮にはない西洋式建築。1900年着工。1910年竣工。1910年の日韓併合条約の調印、1946,7年の米ソ共同委員会の場であった。
豊臣秀吉の侵攻のさいに景福宮が焼失し、王族の私邸であったここが仮の王宮となった。 |
1897年、高宗がロシア公使館からここに御所を移し、慶雲宮とした。1907年、高宗は退位するが、それまでの間、ここが正宮であった。その後、純宗が正宮を昌慶宮に移し、慶雲宮は徳寿宮と名を変えた。高宗は1919年に死去するまで、ここで暮らした。
右 中和殿 徳寿宮の正殿である。 |
この日、最後に入場したところは、戦争博物館。豊臣秀吉の侵攻や抗日独立運動の展示もあるが、メインは朝鮮戦争とベトナム戦争。 左 正門から入ると巨大な展示館 下左 屋外展示の朝鮮戦争で使われた戦車 下右 ベトナム戦争の戦場の体験室 |
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さらに南大門市場を見る。 左 豚肉の塊を売っているのだろうか。 写真左上には、豚の顔が並んでいる。 たぶん、南大門市場で夕食にしたと思うが、はっきりしない。 |
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