2日目 安東河回村とチムタク
|
2泊3日の真ん中の日。今回は安東に行くことにした。ずっと以前から気になっていたが、ユネスコ世界遺産に2008年指定されたこともあり早く行きたかった。また、この地の名物料理である「チムタク」と「塩サバ定食」はぜひいただいてみたいと思っていた。 さて、安東へのバスが出ているバスターミナルは地下鉄2号線の江辺(カンピョン)の駅前にあるトンソウル・ポストミノルだ。前日下調べをして、安東行きの始発は6時とわかっている。それに乗るためには、ホテル最寄りの東大門歴史文化公園を5時35分発の地下鉄2号線の始発で出発する必要がある。それで、5時25分にホテルの自室を出て、駅に向かった。 |
地下鉄2号線のラインカラーはグリーン。床もグリーンだったことに始めて気づいた。やがて地上区間に出るが、まだあたりは真っ暗。韓国は日本と時差なしなので、全般的に夜明け、日暮れとも遅い感じがする。 江辺に到着したのは5時54分。ここから計画通りの行動に出る。走って階段を降り、駅の外に出て、道路を横断してトミノルに入る。安東行きの切符売場、バスの出発ホームともわかっている。おつりもないように15700ウォン(約1050円)を渡して、切符を確保。ホームに行きバスに飛び乗る。最後に乗った客が自分で、乗って1分後にバス出発。下調べをしていなかったら、不可能な行動だった。 |
バスは真っ暗な中を出発し、高速に入る。いったん南東に向かい、原州(ウォンジュ)で、南北方向の高速道路では一番東にある55号線に入り、南に向かう。55号線は釜山と春川を結ぶ路線だ。 バスは片側2人席、片側1人席で、リクライニングもかなりきく28人乗りのバス。客はほぼ半分。採算はとれているのだろうか。前夜遅くまで外出していたこともあり、安東に着くまでほとんど眠っていた。外が明るくなったのは7時30分ごろだった。 |
乗車券の半券。 8時40分に安東ポストミノルに到着。とても新しい建物だ。が、ここで大ショック。バスターミナルが移転していたのだ。あとでわかったのだが2011年5月に街の中心部から郊外に移転していた。 自分の持っているガイドブックは数年前のもので、市のど真ん中、安東駅に隣接してポストミノルがあることになっている。 |
ここで判断ミスをしてしまった。元の
バスターミオナルへタクシーで向かえば、計画通りに河回村(ハフェマウル)のほか陶山書院(トサンソウォン)にいけたはずだった。しかし、自力でバスに乗ることにこだわたっために、時間を浪費してしまった。 結局、河回村へは少し離れたバス停からバスに乗れるのだが、陶山書院は元のバスターミナルれない。こういったことがわかるまでに1時間ほどかかってしまった。河回村に行くバスは、少し離れたバス停から10時30分に出る。 |
1時間ほどあるので、その間に食事。この日は2食とする。時間的なこともあるが、「チムタク」の量が半端じゃなく多そうな感じだったので。 バスターミナルの中の食堂で「塩サバ(カンコドゥンオ)定食」を頼んだ。安東でなぜ塩サバか。海から離れた安東へは塩漬けされたサバが運ばれたことが由来らしい。 |
上左
バスターミナル内の食堂。ここで「塩サバ定食」をいただいた。 上右 バスターミナル内の様子。 左 河回村行きのバスが出るバス停。トミノルから歩いて5分ほど。 下 バス停への行き方の案内図と河回村への時刻表。 |
10分ほど遅れて46番のバスがやってきた。すでに満席で、終点の河回村まで30分強であったが、ずっと立席。安東はT-moneyが使えて便利だ。運賃は1650ウォンだが小銭の心配がない。 ところで、あとで市内にある元のバスターミナルの前の乗場の出発時刻を見たが、乗車したバス停と同じ時刻が記載されていた。となれば、10分ほど遅れてくるのは当たり前ということになる。
|
下車時にもらえた無料乗車券。「ハフェマウル ムリョショチャコォン アンドンポス」と書いてある。河回村の入口で下車し、入場券を買ったあと、シャトルバスに乗る。このバスは500ウォンいるのだが、バスでやってきた場合はこの券で無料になる。ただし、自家用車の場合、ここで駐車してシャトルバスに乗るのだが、その場合は500ウォンいる。 下左 入場券売場。大人2000ウォン。 下右 シャトルバス。バス乗車時に、入場券の半券が切られ、無料乗車券を渡して乗る。 |
左 1kmほどで村に到着。シャトルバスを下車したところに展示施設があったので入った。1999年にエリザベス女王が訪問したとのことで、その記念館であった。たまたま訪問の日が女王の誕生日で豪華な食べ物が出されていた。画像左の机は女王がサインをした机で、サインも展示されていた。 下 村へはバスを下車してからさらに5分ほど歩く。まさに田舎という感じ。遠くからでも古い家々が集まっていることがよくわかる。
|
河回村は朝鮮王朝時代に両班(ヤンバン)と呼ばれた貴族たちがたくさん住んだ村で、瓦屋根の邸宅が多く残されており、 今も住み続けている子孫も多くいて、生きた村である。 門構えも立派な家がいくつもある。 |
一方、茅葺きの屋根も多く残っている。 |
村の中の道路。両側は土塀になっているところが多い。 |
北村宅。河回村を代表する邸宅で、典型的な両班屋敷であるとのこと。床下にはオンドルの設備があって、仕組みの説明もしてあった。 2008年にペ・ヨンジュンが一夜を過ごしたとのことで、その写真なども展示されていた。 |
上左 北村宅の裏手にある河回松。河回村は、洛東江がクネクネ曲がっているところからそう呼ばれるようになったのだが、この松の幹も同じように曲がっているところから名づけられた。 上右 けやきの周りにおみくじのようなものがつけられている。三神堂のけやきで、この木を中心として、村の建物は川に向かって建っているという。 左 千手松。根元からたくさん枝分かれしている。 |
左 なぜか紐の長いブランコ。 下左 対岸の芙蓉台。渡し舟で向こう側に渡り、上ってみようかなと思ったが、やはり大変そうということで、とりやめ。 下右 シャトルバスで村の入口に戻る。このときは500ウォン必要だった。でも、バスに乗り継ぐといえば無料券がもらえたのかな、ちょっと不明。このあと、仮面博物館へ。河回村は仮面劇でも有名で、春から秋は毎日上演されている。河回村の仮面のほか、世界の仮面が展示されていた。 |
少々歩きつかれたので仮面博物館の中のベンチで休憩のつもりが、うたたねしてしまった。 左 バスで元のバスターミナルへ向かった。トタンで覆われ、更地になっていた。現在のバスターミナルから10分強かかった。現在のターミナルはかなり郊外に移動したようだ。 下左 元のバスターミナルの隣には駅。 下右 チムタク横丁に向かう途中にあった屋台街。 |
左 チムタク横丁。100mほどのアーケードの両側にチムタク専門店が並んでいる。 下左 入った店。 下右 どの店も店頭で強い火力を使ってチムタクを作っている。 |
鶏をぶつ切りにして、じゃがいも、にんじん、白菜、にら、春雨などととに煮込んだ大皿料理。半羽にしたが、それでもこの量に圧倒。干唐辛子も入っているが、しょうゆ味が勝っている。日本のすき焼き似ているが、少し辛い感じ。 これでも”小”。3〜4人連れの客は、鶏1羽の”大”を食べていた。こちらはホント大皿。”小”で15000ウォン。 |
左 飲物はこのあとソウルにバスで戻る関係で、手洗いの心配があるビールは避けてスプライト2000ウォンにした。計17000ウォン(約1200円)。ウォン安のおかげでめちゃ安。 中 つけあわせの カクテキもあっさりしていてよい。 右 春雨を半分くらい残したもののほぼ完食。 |
帰りのバスはすいていた。車内では熟睡。2時間40分でトンソウルに到着。地下鉄でホテルに戻った。 |
|