チ チ ェ ン イ ッ ツ ァ

 

早くもメキシコ旅行のハイライト

すっかり熟睡し、モーニングコールでめざめた。いつもはコールを頼むことはないが、この日は頼んでおいてよかった。あわてて起きて、出発準備をしてバスターミナルへ。昨日調べたときには、Orienteという会社であることがわかっていたので、その会社の切符売場へ直行したが、早朝であるためまだ開いていなかった。ちょっと戸惑ったが、行列のできている窓口があったので、そこへいってみると、案内係?に行先を聞かれ、ここでよいと言われて、安心して並んだ。無事5時発のチチェンイッツァまでのチケットを手にした。朝食用と昼食用のパンと飲物を買って、乗場へ。

まだ真っ暗で夜中のようである。2等バスであるので、頻繁に停車して客を拾っていく。自分の隣に客がやってこないうちに、朝食をすませる。案の定、すぐに隣の席も埋まり、そのうちに立ち客もあらわれてきた。1時間走っても、まだ40kmくらいしか進んでいない。チチェンイッツァまでは200km少しなんで、かなり時間がかかりそうなことを覚悟する。ようやく、順調に走るようになってきて、そのうちバリャドリッドという町のターミナルに到着。ここからは、1時間かからずにチチェンイッツァに到着した。9時20分だったので、4時間20分かかったわけだ。

すでに駐車場には、多くの乗用車やバスが止まっていた。さすがに、メキシコを代表する観光地だけのことはある。チチェンイッツァの入口はかなり立派なつくりになっていた。この入口から入ると、少し歩いてから、チケット売場などのある建物がある。メキシコの遺跡や国立の博物館の料金は、いくつかにランクわけされていて、ランクが同じであれば料金も同じであるようだ。チチェンイッツァとウシュマルは、特別に高い料金が設定されていて88ペソだった。

カンクンからメリダに向かう途中で、全部の荷物を持って、チチェンイッツァに立ち寄った。荷物が心配であったのだが、無料で預かってもらえるところがあったので助かった。メリダへは数少ない1等バスで向かう予定なので、あらかじめチケットを確保しておこうとチケット売場にも行ったが、そこには誰もいなかったので買えなかった。しかし、見学を終え、帰ろうとしたときには係員がいた。普通のチケット以外に、手首に輪をはめるようになっていて、これで再入場ができるようになっている。

遺跡エリアに入って100mほど森の中を歩いたあと、いきなり、エルカスティージョが見えてくる。チチェンイッツァの中心的な神殿である。ピラミッド状になっていて、4つの面にそれぞれ階段がついている。現在は、上の画像で見える階段と、その右手の階段が利用できる。この画像では、裏側にあたる部分にある2つの階段は、整備されておらず利用することができない。利用できる階段もかなり急な階段である。階段の真下から見上げると、壁のような感じもする。

エルカスティージョの頂上へ行くと、この遺跡は、ジャングルに囲まれた中にあることがよくわかる。下は、戦士の神殿とその前と右側にある千本柱の間、これらはあとで回ったのだが全体はエルカスティージョの上からがよくわかった。その外側は、ジャングル、ジャングル、ジャングル、延々と続いている。

 

さて、頂上でしばらく休んだあと、階段を下りる。これがまた大変なのだ。なんせ、急な階段で、途中に踊り場にあたる部分もない。足を踏み外せばイチコロだが、階段の真中にとりつけられているロープも使わずに何とか下りることができた。下りる途中は、いっさいほかのことを考えたりしてはいけない。メキシコの遺跡の階段も急なところが多いが、その中でも、ここのエルカスティージョが一番、急でかつ長いが、アンコール遺跡のいくつかの階段よりはマシ。それは、階段を含め、遺跡全体が整備されていることと、もともと階段の一段一段の幅が、普通の階段なみにあること。ちなみに、アンコール遺跡では、その幅の狭いものが多かったのだ。

続いて、球戯場へ。この球戯というのは、死の球戯である。捕虜たちに、壁の上のほうについている輪の中にボールをくぐらせるのを競わせるのである。このときに、手を使わず、足や上腕が使われる。で、勝った側という説と負けた側という説があるのだが、どちらかのチームのキャプテンが生贄になるというのだ。つまり、遊びではなく、生贄をささげる儀式の一環なのであった。輪は、両側の壁の上についているのだが、見えにくい。下の画像は壁の中央部だけのもので、輪がかなり高い位置にあることがわかる。

輪の右下で観光客が何かを見ているが、レリーフがあって、そこには、生贄になった人が首を切られるシーンが描かれているのだ。生贄になった人は、生首をさらされることになるが、その置き場所がツォンパントリである。ここには、壁面に頭蓋骨のレリーフがあった。

続いて向かったのが、セノーテ、つまり泉。遺跡のあるエリアから300mほどジャングルの中の道を歩いたといころにある泉なのだ。ユカタン半島の内部は、雨が多そうであるが、降った雨は地中にしみ込みやすく、川がないのである。それで、この泉に生贄を投げ入れて、雨乞いをして、雨水を確保したという。

このあと、遺跡エリアに戻り、エルカスティージョから見えていた戦士の神殿に行ったが、こちらは、上ることはできない。千本柱の間は、延々と柱が続いていた。さらに、浴場跡に行ったが、かなり破損していてた。そして、下の市場跡。チチェンイッツァの中の主な遺跡は、宗教儀式に使われるようなものだが、一般人の集まってくる場でもあったので、市場もあったのだろう。

チチェンイッツァ遺跡は、時期的に6世紀ごろの旧チチェンイッツァと、10世紀ごろの新チチェンイッツァの二つのグループにわかれる。エルカスティージョをはじめ、ここまでに見てきたものは、新チチェンイッツァである。このあと、ジャングルの中の道を少し歩いて、旧チチェンイッツァに向かった。旧チチェンイッツァの中で、最大のものがカラコルである。これは天文台であったらしく、上部が円形をしているのが特徴である。ここは、中に入ることはできない。

このほか旧チェチェンイッツァでは、尼僧院、高僧の墳墓、エルアカブ・シブなどを見て回った。一通り、チチェンイッツァを見て回ると13時半。休憩も含めて、4時間かかったことになる。最後に、エルカスティージョをもう一度ながめて、出口へ。バスのチケット売場には人がいて、14時25分発のメリダ行のチケットを確保し、朝買っておいたパンの昼食。簡単なものなら、レストランがあって食べられるが、混雑しているうえ、値段も高い。飲物だけを購入。しばらく休んだあと、荷物を受け取り、バス乗場へ。

バスは、ADO社の1等バスで、チチェンイッツァからメリダまでノンストップ。朝、乗ってきたOriente社の2等バスは1時間ごとにあるが、1等バスは1日2本で、明るいうちにメリダにつけるのは、乗った1本しかない。やはり1等バスは快適。しばらくして、眠気に襲われ、メリダに到着するまでの2時間、ほとんど眠っていた。

16時半ごろ、メリダ着。まず、1等バスターミナルとは、道をへだてている2等バスターミナルで、翌日のプウク5遺跡周遊のバスのチケットを確保。最後の1枚だったみたいで、危ない、危ない。そのあと、ソカロ近くのホテルまで歩いて向かった。

この日、泊まったのは、「エルグラン」。古い建物を利用しており、部屋の天井もかなり高い。また、建物の最上部は、明り取りのために屋根がなく、ちょうど雨がホテルの真ん中のフロアにも降っていた。なかなか趣のあるホテルであった。

シャワーを浴びて、しばらく休憩。19時ごろになって、雨が小降りになるのを待って食事に出かける。まず、ホテルと道を隔てたところにある州庁舎へ。この中は公開されていて、装飾や壁画を見ることができる。

このあと、カテドラルへいったあと、ソカロ近くのレストランへ。料理名がよくわからないままに、スープとチキンの料理を注文。まず、山盛のバナナチップがでてくる。朝、昼とパンをかじっただけなんで、かなりの食欲。どんどんチップが減っていく。スープは、すでに食したアステカスープと同じようなもの、ビールも注文したものがなくXX(ドスエキス)にかえたので、これらは画像を省略。チキン料理は、緑色のソースがかけられていた。何なのだろうか。皿に書いてあるPANCHOは店の名前。途中、マリアッチの演奏などもあって、くつろげる店であった。

この店を出たのはすでに21時半を回っていたが、21時から市庁舎の前で伝統的なダンスをやっているらしいので、見に行った。ほとんど終わりかけであったが、少し見ることができた。ソカロ付近は、かなりの人出でにぎやかである。

朝5時に出発し、22時まで動き回った長い一日であった。ホテルに戻り、再度シャワーを浴びて、これからの計画などを考えていたら、知らぬ間に眠っていた。

 

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