8   プ エ ブ ラ

 

予想外のバスが見つかり予定変更

オアハカからの夜行バスは早朝4時半すぎにプエブラに到着。わずか4時間少しの移動だった。夜中のため早かったのだろうが、少し早すぎる。到着した場所の近くの椅子でしばらく座ったり、トイレを使ったりしているうちにようやく6時。明るくなってきたので、午後から移動するメキシコシティへのバス時刻を調べ、そのあとプエブラ市内に向かう予定だ。

ところが、バスのチケット売場や乗場がないのはどうして、と迷ってしまった。しばらくうろうろしてわかったのだが、プエブラのバスターミナルは、降車ターミナルと乗車ターミナルが別になっていたのだ。で、長い通路を歩いて乗車ターミナルへ移動。ここでメキシコシティ行きの時刻を確かめるため、チケット売場を見て歩くうちに、予想していなかった行先のバスを発見。グアダラハラ行きのバスがあったのだ。 画像は、乗車ターミナルのコンコース。

ガイドブックを読む限り、メキシコのバスは、メキシコシティ集中の傾向が強く、メキシコシティから南の都市から、メキシコシティを越えて北の都市へ向かうバスは存在しないように思える。実際、プエブラで見つけたメキシコシティを越えて北へ行くバスはグアダラハラ行きだけだった。それで、スケジュールを検討した。で、この日の夜行バスでグアダラハラに行くことにした。そうすれば、旅行前には考えてもみなかったチワワ太平洋鉄道に乗れるのだ。急遽、ここで予定を変更して、チワワ太平洋鉄道まで行くことにした。そして、グアダラハラ行きの夜行バスのチケットを購入。

待合室の椅子に座り、スケジュール変更を1時間以上かけて考えたので、すでに8時前。バスターミナルの外に出て、市内バスで市の中心に向かおうとしたが、しばらく待っても、ガイドブックに書かれている番号のバスはやってこない。それもそのはずで、その番号のバスはターミナルのバス乗場にはやてこないのである。夕方、プエブラ中心部からバスターミナルに戻るときには、市内バスに乗り、少し離れた道路上で下ろされたので、このことがわかった。そのため、チケットタクシーで市内に向かうことにした。

タクシーでソカロまで15分。タクシーを降りると、目の前にカテドラル。ここから、プエブラの町歩きを始める。まずは、カテドラル を見学。上の画像がカテドラル。

ソカロをはさんで、カテドラルの反対側にあるのが市庁舎。市庁舎の1階の道路に面したところはアーケードになっていて、道路の端には噴水が並んでいる。

歩行者天国の通りを歩いていくと、サントドミンゴ教会があった。この内部にあるロサリオ礼拝堂には、美しい装飾があり、金箔で覆われている。

次に、サンタモニカ宗教美術館を訪問。上の画像は中庭。もとは、サンタモニカ修道院であったのだが、ベニート・フアレス大統領のときに、教会財産が没収されたりしたため、普通の民家に見せかけたものにして生き延びて、秘密裏に宗教活動がおこなわれた。結構見学場所がたくさんあった。

町歩きをしていると、魚のにおいがしている一角があった。あたりには、魚屋が集まっていた。

このあと、民芸品美術館にいってみた。ここは、ガイドに連れられての見学になる。スペイン語の解説だが、まったくわからず、苦痛であった。

次に、サントドミンゴ教会の隣の、ホセ・ルイス・ベージョ&セティーナ博物館へ。個人の収集した美術品を展示しているところで、日本の美術品もあった。

続いて、セルダンの家へ。メキシコ革命の指導者、セルダンの家。1910年の革命の当時、この家が襲撃されて彼は死亡する。そのときの銃弾のあとなどがそのまま残されて、革命記念博物館になっている。下の画像は、外観であるが、内部にも銃弾で破壊された鏡や、彼の最期となった隠れ部屋とかが残されていた。

次に、砂糖菓子の家を見学。古美術品の博物館であるが、外観が砂糖菓子を連想させるところから砂糖菓子の家と呼ばれる。私は連想しませんでしたが、、

これだけ見学してきて、昼食にした。プエブラ名物のモーレ・ポプラーノ。辛目のチョコレートソースのかかったチキンであるが、あまり口にあわあなかった。ライスを別料金で注文。炒め飯だった。飲物は、コロナビール。

午後は移動時間になる予定だったが、夜行バスに乗ることになったので、時間ができた。それで、郊外にある遺跡チョルーラに行ってみることにした。バス乗場は町の中心から1kmほど離れたところにある。歩いて移動する。下の画像は、途中通った歩行者天国。前出のサントドミンゴ教会の近くで撮影。

チョルーラ行きのバス乗場に着くと、バスが停まっていて乗るとすぐに発車。30分ほどで、丘の上に教会が建っているところが見えたので下車。その山をめざして歩いていく。1kmほどで遺跡に到着。金網ごしに遺跡は見えているのだが、入口がわからなくて、しばらくうろうろして、時間をロスする。

ようやく入口がわかった。遺跡が見えているところのそばにはなく、遺跡とは丘をへだてた反対側に入口があったのだ。なぜかというと、丘の下に地下通路があって、その地下通路の入口が遺跡の入口になっていたのだった。地下通路を抜けて、遺跡の広がるエリアに出て遺跡を見学するというコースになっていたのだった。

地下通路は、大人が普通にたって歩ける高さがあった。全長は500mくらいあった。途中に階段があり、上に上がれるようになっていた。丘はもともと、トラチウアルテベトルというピラミッド状の神殿であって、その内部に階段や通路がはりめぐらされていたのだ。現在は神殿はなくなり、丘が残っているのだ。そして、丘の上に教会が建っている。

地下通路を抜けて少し歩くと遺跡エリアである。この遺跡は、残念ながら建物はあまり残っておらず、ピラミッド状の神殿の下部にあたる部分が目立つ程度である。遺跡エリアでは、発掘された遺構を見ることができるが、地上には遺跡はあまりない。

神殿の下部の階段を上ってみた。これが、この遺跡で残る唯一の大型建造物である。 もしピラミッドの上部が今でも残っていたとしら、、チチェンイッツァやテオティワカンを上回る巨大遺跡なのだが、、

階段の一番上で休んでいると、この階段の正面方向にある広場でボラドーレスが始まった。30mくらいの塔のてっぺんから、足をロープでしばられて逆さづりになり、回転しながら下がっていくというものである。

チョルーラから再び、プエブラの中心部で戻った。

夕食はタコス屋にはいって、いろんな種類のタコスを食べた。食事のあと、今度は市内バスでCAPU(プエブラのバスターミナルの略称)へ。バスターミナル近くの路上で下ろされ、露店の立ち並ぶ通路を通ってターミナルに向かった。そして21時発グアダラハラ行きに乗車。

 

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