16  グアナファト郊外  

 

銀鉱跡やミイラ博物館を楽しむ

前日の夕方から、少々疲れているなと思っていたが、体全体がだるく、下痢気味でベッドからでるのがつらかった。持ってきた薬を飲んだが、結局、効いたのか効かなかったのか、この日から3日間、体調をくずしての旅となってしまった。 旅先で体調崩したのは、2,3回あるのだが、最近は、食べ物に気をつけたり、旅慣れしたためか、ほとんど体調崩すこともなくなっていたので、5年ぶりの試練であった。この日は無理はせず、9時ごろまでベッドに入っていたが、やはり出歩き たいという欲望には勝てず、グアナファトの郊外を無理のない程度でまわることにした。

朝食は食べたくなかったが、何も食べないのもいけないと思い、露店で売っていたカットフルーツを食べた。客の希望で、塩、トウガラシ粉、ライム汁をかけてくれる。自分は何もかけずに食べたが、ほとんどの人が3点セットでかけてもらている。それにしても、トウガラシ粉をフルーツにかけて食べるのには驚いた。実は、午後にもフルーツを食べたのだが、そのときには3点セットかけてもらった。これは失敗、トウガラシ粉はかけるんじゃなかった。

まずは、バレンシアーナにある銀鉱跡の坑道に向かった。アロンティガ広場から出ているバスで20分、山を越えてバレンシアーナの村に到着。教会が見えたので、ここだろうと思って下車。降りたらすぐに、Mineという表示があった。ところが、ガイドブックに書いてある行き方とは違う方向なので、不思議に思ったが、ガイドブックも間違いがあるので、ここは標識に従って歩いていった。バス停から15分ほど歩き、10時30分ごろにMineに到着。

Mineの内部はスペイン語のガイドとともに回る。ガイドブックには、坑道をスペイン語ガイドとともに回るって書いてあったので、この時点でも、ここが銀鉱跡と信じていた。下のような建物の中を見たりした。

下は、掘削の機械と掘削であく穴の展示。

展望台からは、グアナファトの町が見渡せた。

さあ、これから地下の坑道めぐりかと思っていたら、何とガイドはこれで終わり、後は自由に見学だという。ここでやっと、銀鉱跡の見学ではなく、現役の銀鉱の見学だったのだということがわかった。

バス停から歩いてきた道を引きかえし、教会まで戻り、ガイドブックに書いてある通りに歩いてみた。そこには銀鉱跡があった。最初に、ヘルメットを渡されかぶるように言われる。ガイドブックではスペイン語のガイドと回るとあるが、英語のガイドが1対1でついてくれた。

上の画像の真中の入口から地下へ入っていく。延々と続く階段を下りたところに横向きの坑道がある。ガイドが明かりを消すと光っている岩がある。下の画像のような階段を下りたのだ。

下っていったからには、上がらなければならない。これがまた大変だった。建物でいうと10階建てくらいの建物の階段を上り下りしたようなものだ。

銀鉱跡を見たあと、バス停そばの教会にもはいってみた。

バスでグアナファトに戻ると13時すぎ。チキン丸焼きで有名なレストランで昼食。チキンは2分の1か4分の1かを選ぶのだが、体調が悪いこともあり4分の1にした。このほかトルティージャもついている。ガイドブックでは地元客に人気があると書かれていたが、実際、客は多く、店頭では持ち帰り販売もおこなわれているのだが、こちらは行列ができていた。

昼食後、タクシーでミイラ博物館に向かった。14時30分ごろに着いたのだが、チケット売場にすごい行列ができていて、チケットを買えば、今度は入場にまた長い行列に並ばなければならなかった。結局 合わせて1時間くらい並ばされた。

ようやく入場したが、館内も、押し合いの連続でゆっくりと見学できない。展示されているもののほとんどがミイラという異色の博物館である。よくぞこれだけミイラを集めたものである。

ミイラばかりで飽きてきたが、出口にたどり着くためには、客の流れとともにゆっくりと歩いていかねばならない。ようやく、外に出てタクシーで町に戻った。

グアナファトに戻り、口づけの小道に行った。上の画像の奥のところである。小道をはさむ家と家が口づけできるくらい近いので、口づけの小道と呼ばれる。

夕食は、屋台のホットドッグ、カットフルーツですませた。宿にはまだ明るいうちから戻ってって体を休めた。

昼間、元気よく動いていたのだが、宿に戻ってから、また体調が悪化。一晩を通じて、つらい思いをし続けたのだ。

 

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