20  ク エ ル ナ バ カ

 

最終日はクエルナバカとソカロ周辺へ

いよいよ、メキシコ最終日となった。幸い、体調は昨日に回復、日本食のおかげで力も出るようになったので、最後の1日は、できるだけいろんなところを見て回ることにした。まずは、クエルナバカへ。

地下鉄で南バスターミナルに隣接した2号線の終点タスケーニャ駅まで行き、そこからバスで向かう。この駅は、降車ホームと乗車ホームが分離している。それで、降車したあと、地下鉄電車の写真を撮影。地下鉄内ではスリが多いとか、メキシコシティではディジタルカメラ専門の強盗がいるという情報があり、地下鉄での撮影は避けていたのだが、降車ホームでなら比較的安心して撮影できると思い撮影したのだ。



クエルナバカ行きのチケット売り場を探し、チケットを購入。そのさいに、スペイン語で何か問いかけられたのだが、意味不明。帰国後、どうも、クエルナバカには2つのターミナルがあり、どちらに行くのか問われたようである。チケットを見ると発車時刻は9時03分と半端な時刻である。こういう時刻のバスはメキシコでは初めてだった。 乗車時にカバンを開けての荷物検査とボディーチェックと徹底しているのも初めて。

1時間20分ほどで、クエルナバカのターミナルに到着。クエルナバカの中心部は道路幅が狭く、市内に入ってからかなり時間を要した。帰りのバス時刻をチェックすると、頻繁に発車しており、時間を気にすることなく町歩きを楽しめそうであった。まずは、カテドラルへ。


カテドラルには、豊臣秀吉にまつわる壁画があるので、それが見たくてこの町を訪問したようなものだ。堂内は薄くらいのだが、両側の壁面いっぱいに画が描かれている。下の画像には、TAYCOSAMAという文字が見えるが、皇帝太閤様が殉教を命じ、、という意味のことが書かれている。16世紀末、長崎で26人の日本人、外国人宣教師が処刑されたのだが、その模様を表した壁画である。

殉教者のなかにはメキシコ人もいたので、それにちなんでこの壁画が描かれたというが、そのメキシコ人殉教者はクエルナバカ出身ではない。26人は聖人に列せられ、26聖人殉教として知られる。ここの壁画を模写したものが、長崎にある26聖人博物館にも展示されている。

下の画像は、船に乗せられ運ばれる長崎へ運ばれる聖人。手が縛られているのがわかる。


続いて、コルテス宮殿へ。コルテスは、アステカを征服して、スペインによるメキシコ支配を決定づけた人物。彼は、アステカの神殿を壊し、神殿の跡に宮殿をつくらせたのだが、その宮殿がコルテス宮殿。神殿の石材も利用されている。現在は歴史博物館になっているのだが、アステカ遺跡の遺構の展示コーナーもあった。


コルテス宮殿のバルコニーからの眺め。坂道の多い街であることがうかがえる。左上に見えるのがカテドラル。

コルテス宮殿からタクシーでサンアントンの滝に向かった。ガイドブックに書いてあるよりも遠く感じた。クエルナバカの西にある深い谷を橋で渡った西側にある。一見、木々の多い住宅地に過ぎないのだが、遊歩道を歩いていくと滝があった。涼しいのでしばらく休憩。

滝からの帰路は、タクシーを待たせていなかったので、徒歩にした。坂道を上がり下りしながら、市街地に戻った。クエルナバカでは、このほかボルダ庭園も行きたかったが、バス時刻の関係でパス。まっすぐにバスターミナルに向かった。下の画像は、クエルナバカの市街地のひとこま。

行きとは逆コースでメキシコシティに戻り、地下鉄でソカロへ。先日、国立宮殿を訪問したものの、中には入れなかったので再挑戦。入場のさい、パスポートを見せる必要があるが、無料である。この宮殿もまた、アステカ時代の神殿などを破壊して、その跡地に建設されたものである。

国立宮殿の中には、かつて利用されていた議事堂などがある。また、アステカ遺跡の遺構も一部が見えるようにしてある。

下の画像は、国立宮殿の中庭。1階の回廊には、リベラの壁画があり、メキシコの歴史を表している。

国立宮殿の北側にあるのが、テンプロ・マヨール遺跡。コルテスによって破壊されたアステカ時代の遺跡である。市街地の中心部に大きな遺跡があるのだ。遺跡エリアの外側からも内部がある程度うかがえるためか、のぞいている観光客もいる。だが、細かく見るには入場しないと無理である。発掘はされていないが、国立宮殿、メトロポリタン・カテドラル、ソカロの広場などの地下にも遺跡が眠っているのである。

遺跡の敷地内には博物館もあり、遺跡からの発掘物が展示されている。遺跡付属の博物館としては、かなり大きな博物館で見学には1時間近く要した。下の画像は、今はなきテノチティトランの神殿の復元模型。テンポロ・マヨール遺跡は、テノチティトランの中央神殿の跡だとされている。そして、ソカロの周辺一帯に、このような建物が並んでいたのだ。

博物館の見学に時間がかかたっため遺跡の閉館時間になってしまった。幸い、博物館は見学コースの最後にあったので、遺跡は一通り見ることができた。

このあと食事をしてホテルに戻った。下の画像は、途中の街角で見かけた警報機。危険な目にあったときに火災報知器と同じように使うのだろう。このようなものは初めて見た。治安の悪い町の場合には、こういうものをどんどん設置すればいい。

メキシコ旅行で最後の見学場所は、ベジャス・アルテス宮殿。メキシコで最も格式のある劇場だという。この日は公演があるので内部の見学はできなかった。


ホテルに戻ったのが18時30分。あとは帰国するだけ。翌朝、4時にタクシーを予約。シャワーを浴びて、荷物の整理をして早めに就寝。



帰 国

予約してあるアメリカン航空のダラス行きは7時だが、空港には4時30分に着くようにした。ところが、アメリカン航空のカウンターの手続は待ち時間に時間がかかり、ようやく6時ごろに手続。しかし、なんとダラス行きがディレイなんで、メキシカーナ航空を利用してのロサンゼルス経由に振りかえられ、新しい航空券が発券された。そして、チェックインはメキシカーナ航空のカウンターでするようにいわれる。メキシカーナ航空でも長く待たされ、7時すぎにチェックイン完了。さいわい、ロサンゼルスから乗り継ぐ成田行きもスルーチェックインしてくれて助かった。出発は8時過ぎで、指定されたゲートで待つがどうも変更があったようだ。結局、長い距離を歩いて変更されたゲートへ行くと、まもなく搭乗だった。


ロサンゼルスでは、米国入国が必要で、荷物を受けとったあと、30分ばかり待って入国手続。税関を通って、すぐに荷物を預けなおして、出発便のゲートがある建物へ。その間、10分ほど歩く。ロサンゼルスの空港には、ターミナルがたくさんあり、大部分が航空会社別になっている。アメリカン航空のターミナルに入ると、またまたチケットチェックに長く待たされる。結局、成田行きのゲートにたどりついたらすぐに搭乗。売店などを見に行く時間もなかった。それでもトイレだけはいったけど。


成田への便は混んでいたが、メキシコで早い時間に発券されたためか、非常口近くの、ブロック最前列が割り当てられてラッキーだった。ビデオなどで時間つぶしして、あまり眠れないまま成田着。入国手続のあと、食事。そして、国内線のターミナルへバスで向かい、これまたまもなく搭乗。あっという間に伊丹に到着し、これにて旅が完了したのだった。

 

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