19  テオティワカン  

 

体調回復したがテオティワカンは登頂断念

この日、体調がようやく回復、8時にホテルを出て、テオティワカンへ行くことにした。ただ、前の日はほとんど絶食状態 、この3日間で普段の食事の1食分程度を食べただけだったので、体調が良くなったといっても、馬力不足である。

ホテルの近くには4つの地下鉄駅があるのだが、この日は3号線のイダルゴ駅から乗車。ラ・ラーサ駅で5号線に乗換えたが、乗換えに長い通路を歩かされるのは日本と同じ。通路がやや薄暗いので、何かと犯罪が多いとか言われる地下鉄なので、周囲には気をつけて歩いた。5号線は1つ目が、北バスターミナル駅。バスターミナルへは、案内に従えば、簡単にいける。

ここのバスターミナルは、乗り入れているバス会社がたくさんあるので、まずバス会社を見つけなければならない。バス会社別のチケット売場の案内図があったので、その売場へ。たくさん並ぶブースの一番端のほうである。ガイドブックに、テオティワカンの町までしか行かないバスもあると書いてあるので、ピラーミデ、ウノと言ってチケットを購入。

発車時刻は9時と書いてあるが、すでに8時55分。乗場へ急ぐ。その途中、朝食用のパンと飲物を購入して、バスに飛び乗った。ところが、発車は10分ほどたってからだった。久しぶりにまともなものを口にすることができた。その後、眠気に襲われ、居眠り状態でテオティワカンまで行った。

10時前に到着。バスを降りたところに小屋がありそこでチケットを購入。チチェンイッツァやウシュマルに比べると、ここの遺跡は管理施設が未整備だと感じた。飲物を買って、遺跡エリアに入る。 まず、ケツァルコアトルの神殿。この神殿は、城壁に囲まれた中にあるピラミッドの向こうにある。

このピラミッドの装飾はテオティワカンの中でも優れているものだとガイドブックに書いてあったので、行きたかったのだが、とても階段を上るだけの気力がなく、城壁からこの画像を撮影しただけ。なお、画像からわかるように、最上部にある神殿の部分は工事中のようだったので、階段を上がっても装飾がみられないのでは、と思った。

城壁を下り、死者の道と呼ばれるこの遺跡のメインストリートを北に向かった。正面に見えるのが、月のピラミッド、右手に見えるのが太陽のピラミッド。城壁を下りたところから太陽のピラミッドまでが1km、月のピラミッドまでが1.8kmくらいある。この間、ゆるやかな上り坂になっている。

城壁を下りたところから太陽のピラミッドまでのちょうど中間のあたりにで、死者の道が広場のようになり一段低くなっている個所がある。わずかな階段なので下りてみた。この広場は、かつての球戯場の跡だと言われている。ここで生贄を決めるためのゲームが行なわれたらしい。

途中で休み休みしながら歩いてきたので太陽のピラミッドまでまで歩くのに30分くらいかかった。ここは、テオティワカンにあるピラミッドの中では一番高いので、上るつもりをしていたのだが、一番下から一つ目のテラスまで上って、そこでダウンした。やはり、上れるだけの力が出ないのだ。そのため、太陽のピラミッドの登頂は断念。下の画像を見ると、一番下のテラスまでは左右に階段があって、そこから頂上まで階段が一つになっているのがわかるが、その階段の合わさるところでダウンしたのだ。

せっかくなんで、テラスのところで30分ほど休憩して、力の回復をはかった。月のピラミッドも、ここから見るだけにして、登頂は断念。麓まで行っても、バスに乗るためには、太陽のピラミッド近くまで戻らねばならないので、麓も行かないことにした。

自分と同じ頃にテラスにやってきて、登頂を果たしてきた人たちが下りてきたので、自分もここを立ち去ることにした。

月のピラミッドは、高さでは太陽のピラミッドよりは低いが、建っている場所が太陽のピラミッドよりも高いので、頂上の高度は同じくらいらしい。また、重要な宗教儀式は月のピラミッドのほうで行なわれていたと言う。月のピラミッドやそこに行く途中にあるジャガーの宮殿やケツァルパパロトルの宮殿などをパスして、バス乗場に向かった。テオティワカン遺跡は、十分には見学できていないので、再度メキシコを訪問する機会があれば、必ずスケジュールに入れたいと思う。

12時ごろのバスで帰路に着く。行きに乗ったバスとは違うバス会社のバスで、すぐにテオティワカンの町を通り、そこから満席になった。行きは居眠りしていたので、はっきりわからないが、テオティワカンの町は通らなかったように思う。

1時間ほどかかってバスが到着したのは、地下鉄3号線の終点であるインドス・ベルデス駅。この付近にはバスがたくさん止まっていたので、2等バスのバスターミナルになっているのかもしれない。

インドス・ベルデス駅から3号線で30分ほどかけてビレロス駅(植物園駅)まで行った。レオン・トロツキー博物館に向かうためである。この駅から博物館まで2kmほどあり、街中であれが歩ける力がありそうだし、リベロのタクシーは避けたかったので、30分ほどかけてゆっくり歩いた。付近は、高級住宅地のようである。

レオン・トロツキーは、ロシア革命のリーダーの一人で、一時はレーニンの後継者と考えられていたこともあるが、スターリンとの権力闘争に敗れて、メキシコに亡命していた。彼の亡命中の住居が博物館になっているのである。住居は高い壁で囲まれ、監視塔や警備員の住居などもあり、寝室は鉄の扉で仕切られていた。しかし、まず友人になって油断させ、住居に出入できるようになったスパイによって、殺されたのである。

上の画像が外壁。立っている人の姿と比較してかなり壁が高いことがわかる。真ん中の高くなった建物は、監視塔で、銃眼がいくつかあいている。監視塔は別の場所にもあった。

トロツキーの墓は、館内の中庭にある。彼は鶏を飼っていて、中庭に残された鶏舎の中には鶏がいまも飼育されていた。

上は彼の寝室。窓には鉄の内扉がついている。この部屋に通じる入口2つは、鉄の扉になっている。左下に見えているのはベッド。

上は住居の外側。左手のほうの建物に寝室や書斎があり、奥の建物に食堂などがあった。撮影している私の背後に墓がある。

住居を見たあと、博物館にするときに建てられた新しい建物で展示をおこなっていた。彼の生涯の写真や遺品などを見ることができる。

駅への帰り道は、植物園の中を歩いた。無料で、植物園というよりは森林公園である。リスの姿もよく見かけた。またジョギングコースとして利用する人がたくさいんいた。

地下鉄で町の中心まで戻り、昼食を食べてなかったので、16時すぎに昼食兼夕食。この日は、日本食を食べることにした。今まで、海外では現地の食事を食べる主義で、わざわざ日本食を食べることに抵抗感があったのだが、この日は、体調を崩した直後なんで、口に合う日本食にしたかったのだ。みかど、という店でみかど定食を注文。

先に、酢の物と刺身が出て、食べ終わるのを見計らって、トンカツと天ぷら、ご飯、味噌汁が出てくるという日本式。このあとデザートが出るが、抹茶アイスクリームと和風に徹している。かなりのボリュームがあって、値打ちがあると思った。

ホテルには17時30分ごろ戻った。日本食をたっぷり食べて、力も回復してよかった。まだ時間は早かったが、体調維持のため、シャワーを浴びて、早めにベッドにはいった。

 

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